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1950~60年代、同性愛者・異性装者をめぐるアメリカと日本の比較 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

3月17日(土)

昨夜の「いずみちゃんナイト17」での畑野とまとさんのお話で、1969年6月28日のニューヨーク「Stonewall 反乱」以前にも、アメリカでゲイ・トランスジェンダーの人たちの抵抗運動(反乱)があったことを知った。

たとえば、
1959年5月、ロサンジェルスの「Cooper Do-nuts」の「反乱」。
https://en.wikipedia.org/wiki/Cooper_Do-nuts_Riot
1966年8月、サンフランシスコ・テンダーロイン地区の「Compton's Cafeteria」に集まっていたトランスジェンダーの「反乱」。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B3%E3%83%B3%E3%83%97%E3%83%88%E3%83%B3%E3%82%BA%E3%83%BB%E3%82%AB%E3%83%95%E3%82%A7%E3%83%86%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%81%AE%E5%8F%8D%E4%B9%B1
1967年の元旦夜、ロサンジェルス市内のバー 「Black Cat Tavern」を私服警官が潜入捜査し、新年を祝うキスをした人たちを逮捕・暴行したことをきっかけに起こった「反乱」など。
https://en.wikipedia.org/wiki/Black_Cat_Tavern

1950~60年代のアメリカでは、同性間性交渉を禁止する法律(通称:ソドミー法)を根拠に、ゲイが集まる場所に対して警察がしばしば抜き打ち的な捜索(「踏み込み」)を行ない、店にいた者全員の個人情報を記録し(IDカードの強制的提出と確認)、身体接触(手を握り合ったり、キスしたり)や異性装をしていた場合は、警察署に拘引した。

ゲイの「反乱」は、ほとんどの場合、こうした「踏み込み」に対する反発がきっかけだった。

ひるがえって、同時代の日本を見ると、1950年代後半に大都市を中心に「ゲイバー」が急増し、第1次の「ゲイ・ブーム」が起こる。

60年代には、銀座ローズやカルーセル麻紀などの「和製ブルーボーイ」がメディアで活躍するようになり、60年代末には新宿二丁目の旧赤線地区に「ゲイバー」が集中するようになり、「ゲイタウン」が形成されていく。

しかし、その過程で「ゲイバー」など同性愛者や異性装者が集まる場所に警察が踏み込みトラブルになったというケースはほとんど聞かない。

ヒロポン(覚醒剤)とか他の不法行為(犯罪)が絡む場合はともかく、日本では、同性愛者や異性装者が集まる場所だということだけで警察が捜索する法的根拠(法律)が存在しないからだ。

別に日本の同性愛者・異性装者の人権意識が低かったから「反乱」が起こらなかったのではなく、そもそも警察の「踏み込み」がないから、それへの反発としての「反乱」は起こらなかったのが実際だったのではないだろうか。

1960年代、同性愛・異性装というだけで警察に尋問され、場合によっては拘引されてしまうアメリカと、いろいろな社会的差別はあったが、警察の「踏み込み」を心配することなく、同性愛者や異性装たちが集まってお酒を飲める場があった日本。

はたしてどちらが「進んでいた」のだろうか?

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