性別を越えて生きることは『病』ではない [現代の性(性別越境・性別移行)]
1月7日(日)
「性別を越えて生きることは『病』ではない」という主張は、『情況』2003年12月号に書いて以来、私の一貫した主張。
その考えに基づいて「性同一性障害」概念を批判し続けてきた。
ただ、「性同一性障害」を持つ人たちの生き方は批判していない。
そこの線引きはつけてきたつもりだ。
講演などでも「性同一性障害の人たちが、手術で性器の外形を変え、戸籍を変更して、それで幸せに生きられるなら、たいへん結構なことだと思います」といつも言ってきた。
実際、性同一性障害の人たちへのサポート活動もそれなりにやってきた。
少なくとも恨まれる筋合いはないと思う。
自身に自分ついては、自分の状態が「精神疾患」だとはまったく思わないし、「精神疾患」になるメリットもまったく感じなかったから「性同一性障害」を名乗ったことは一度もない。
メディアなどの取材で「性同一性障害ですか?」と問われたら、「いえ、性同一性障害という立場はとりません」といつもはっきり言ってきた。
「性同一性障害ではない」と言わないのは、私は医師ではなく病理概念である性同一性障害であるか、ないかの診断をつける立場ではないからだ。
専門医が私の状態をどう診断するかは純粋学問的に興味はあるが、仮に性同一性障害の診断が出たとしても、私はその診断書を使うつもりはまったくないので意味がない。
「精神疾患」という形でなくても、「性別を越えて生きること」は可能だし、私はそれを証明してきた。
そうした生き方を気に食わない人たちがいることはわかっているが、もういちいち関わりたくない。
私に残されている時間は多くないが、為すべきことはまだたくさんあるのだから。
さあ、前に進もう!
「性別を越えて生きることは『病』ではない」という主張は、『情況』2003年12月号に書いて以来、私の一貫した主張。
その考えに基づいて「性同一性障害」概念を批判し続けてきた。
ただ、「性同一性障害」を持つ人たちの生き方は批判していない。
そこの線引きはつけてきたつもりだ。
講演などでも「性同一性障害の人たちが、手術で性器の外形を変え、戸籍を変更して、それで幸せに生きられるなら、たいへん結構なことだと思います」といつも言ってきた。
実際、性同一性障害の人たちへのサポート活動もそれなりにやってきた。
少なくとも恨まれる筋合いはないと思う。
自身に自分ついては、自分の状態が「精神疾患」だとはまったく思わないし、「精神疾患」になるメリットもまったく感じなかったから「性同一性障害」を名乗ったことは一度もない。
メディアなどの取材で「性同一性障害ですか?」と問われたら、「いえ、性同一性障害という立場はとりません」といつもはっきり言ってきた。
「性同一性障害ではない」と言わないのは、私は医師ではなく病理概念である性同一性障害であるか、ないかの診断をつける立場ではないからだ。
専門医が私の状態をどう診断するかは純粋学問的に興味はあるが、仮に性同一性障害の診断が出たとしても、私はその診断書を使うつもりはまったくないので意味がない。
「精神疾患」という形でなくても、「性別を越えて生きること」は可能だし、私はそれを証明してきた。
そうした生き方を気に食わない人たちがいることはわかっているが、もういちいち関わりたくない。
私に残されている時間は多くないが、為すべきことはまだたくさんあるのだから。
さあ、前に進もう!
2018-01-07 13:18
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コメント(1)
こんばんは。
他の地域にお出かけしたり引っ越す事(住所変更)は
自由とされているので、病気を理由にする必要はありませんし
そもそもそれほど理由は問われません。
性別を越えたり移行(変更)するのもこのくらいになればいいですね。
─というのはわたしのほうの考えです。
他の人がより良く生きることまで考えると、
‘性別を越えたり変えたりすること’だけでなく
‘心の性別と体の性別が違う人のこと’や
‘性別違和感を抱えている人のこと’も考えをめぐらせてしまいます。
人によって何を望むか何がベストかは違うので…。
by みれい (2018-01-08 22:16)