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「勝ち負けの問題ではない」気がする [現代の性(性別越境・性別移行)]

4月1日(金)

昨日の「BuzzFeed News」の取材で印象的だったこと。

2000年頃から「性同一性障害」概念の流布による性別移行の病理化圧力が強まっていくが、それに抵抗するトランスジェンダリズムの立場から、私は「性別を越えて生きることは『病』なのか?」(『情況』2003年12月号 )という論考を書いた。
それから15年経って、WHO(世界保健機構)の疾病分類の改訂(ICD-10からICD-11への移行)で、「性同一性障害」という疾病概念(病名)が消え、性別移行を望むことが精神疾患でなくなること(脱精神疾患化)がほぼ確定的な情勢になった。

そのことを踏まえて、「私の『性別を越えて生きることは「病」ではない』という主張は間違っていなかった、ということだと思います」と語った。
そうしたら、Lester Feder記者に「それはあなたの主張が勝ったということですね?」と念押しされた。

その時、子供の頃からディベート(討論)のトレーニングをしているアメリカ人は、主張の「勝ち」「負け」という発想になるのだろう、それに対して、私の言い方は物事を婉曲的に言うことを良しとする日本語表現の典型だな、ということに気づいた。

長年、戦ってきた「性同一性障害」概念が、近い将来、国際的に「死語」になることがほぼ確実になったのだから、たしかに「私(たちトランスジェンダリズム)は勝った」のかもしれない。

ただ、やはり「勝った」とは言いにくい。
なぜなら「勝ち負けの問題ではない」気がするから。

大事なことは、性別の移行を望む人たちの人権・健康・福祉をどう確保していくかということで、そこに至る道筋(方法)の違いだと思うからだ。

と、思ってしまうのは、私の考え方が甘いからだろうか?


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コメント 8

アダ

そうなんですよね、それ、アメリカ型の、あるタイプのディベートみたいですよ。
by アダ (2016-04-02 07:53) 

三橋順子

アダさん、いらっしゃいま~せ。

コメントありがとうございます。
言葉の感覚が違うところから考えてみました。

by 三橋順子 (2016-04-02 11:08) 

香住

ただ、10年前に負けてしまったことで10年分の誤診被害者の救済って余計な仕事が増えちゃった。
10年で済んだのをよしとすべきなのかも
by 香住 (2016-04-03 11:40) 

麦子

性別移行を望む人の人権が認められる事を考えると、まだ一回の裏が終わったぐらいカナァ?

まだまだ先のほうが長いと思います(^_^;)
by 麦子 (2016-04-03 12:01) 

ほわほわうさこ

記者さんを始めとするいわゆる訴訟社会に生きている方々は『個人』主義であり、『主張』の勝ち負けではなく根底にはその主張をしている『人物』が勝ったのか負けたのかを考えているのだとも言えないでしょうか。
そう考えれば、順子さんの言い回しは相手にとってはもどかしかったのかもしれません。
by ほわほわうさこ (2016-04-03 14:25) 

三橋順子

香住さん、いらっしゃいま~せ。
たしかに10数年分の「性同一性障害の負の遺産」はあると思います。
「過剰な病理化」に取りこまれてしまい、「アンバランスな病理化」の結果、人生が狂ってしまった人も、かなりの数いると思います。
このブログにも、そうした声が届いています。

ただ、それも自己決定の結果だと思うので、そうした人たちの「救済」は、私の仕事ではないと思っています。

by 三橋順子 (2016-04-03 22:43) 

三橋順子

麦子さん、いらっしゃいま~せ。

今が1回の裏が終わったところなら、私の出番は2回までかな。
性別移行の「脱精神疾患化」が達成されたら、私の役目は終わりです。
後は、後輩たちが頑張ってくれるでしょう。

by 三橋順子 (2016-04-03 22:50) 

三橋順子

ほわほわうさこさん、いらっしゃいま~せ。

はい、そうでしょうね。
言語文化の違いみたいな感じかなと思いました。
 
by 三橋順子 (2016-04-03 22:52) 

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