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ニコニコ超学会「摩訶大将棋」のコーナー [お勉強(研究会)]

4月26日(日)
「ニコニコ超学会」のポスター発表コーナーを見て回る。
文系高齢者には意味不明なものが多かったが、中で興味深かったのが「摩訶大将棋」のコーナー。
P1210209.JPG
「摩訶大将棋」は古将棋のひとつで、縦横19マスの将棋盤で50種類、敵味方合わせて192枚の駒で戦う盤上遊戯。
私が将棋の歴史を調べたころには、駒の動かし方など不明な部分が多かった。
http://junko-mitsuhashi.blog.so-net.ne.jp/2013-11-06-2
「日本摩訶大将棋連盟」の高見友幸さん(大阪電気通信大学総合情報学部教授)にお話をうかがう。
近年、研究(文書の解読)が進み、全体像が明らかになってきたらしい。
縦横9マス、8種40枚の駒を使う現行の将棋ですら盤上遊戯としては世界一複雑なのに、縦横19マス、50種192枚という将棋の複雑さは、私のような頭の悪い人間には想像の外。
それをコンピューターで操作できるようにしたことで、実際に対局することが可能になった。
http://www.takami-lab.jp/摩訶大将棋のブログ-1/

いろいろ興味深く、もっとお話を聞きたかったが、自分の出演するセッションの時間が迫ってきたので、辞去。



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コメント 7

長さん

この将棋種については。西暦1350年頃出現した、中将棋より古い
のか新しいのかで、高見友幸教授とかつて、だいぶん議論しました。
関東系のMizoさんや私は、中将棋の方が先。高見先生は摩訶大将棋
の方が先の御意見です。
「このゲームの全貌を明らかにし」ても。将棋類自体。記録に無い
ものも含めると、19×19升目ので別の将棋が、西暦1350年頃に
消失した文書に記載されていた可能性もあるんですね。その他、
写真の摩訶大将棋が新しいものと疑われたのは、中将棋より、
このブログでも御紹介されている、(後期)大将棋の方が新しく
(1430年頃以降の作)、摩訶大将棋が後期大将棋と形態的に
同一系統と、議論した当初から疑われたことも有りました。一般に
19×19升目の将棋は、19×19が361で1年、365.2422日に近い
ため、囲碁と同様、暦や天文、数学と言った理系の複雑系の学問と
古来から関係するとされ、学問の神様、菅原道真公を祭る天満宮の
周辺の神社や仏閣、たとえば京都の曼殊院で、鎌倉末期以降、
頭を鍛える脳トレ用のアイテムの一つとして、代々作られ伝えられて
いた可能性も有り得ると思います。

by 長さん (2015-05-07 16:05) 

三橋順子

長さん、いらっしゃいま~せ。
古将棋の歴史を専門的に研究したわけではありませんが、その昔、平安時代史を専門に勉強した者として、興味があります。
今回、魔訶大将棋を見せていただいて思ったのは、盤上遊戯としての機能性や面白さよりも、陰陽道・暦道・天文道、さらには宿曜道などの諸学の知識を盤上に導入しようという意識が強いように思いました。
盤上遊戯としての面白さは、『二中歴』の「平安大将棋」(13×13マス)くらいが限度のように思います。
いくら当時の時の流れがゆっくりでも、貴族は貴族なりに忙しいですから、あまり長い時間かかる遊戯は実用的ではなかったと思います。
by 三橋順子 (2015-05-09 11:01) 

長さん

高見先生の為に弁護しますと。
平安大将棋より、摩訶大将棋の方が、ゲームとしては優れています。
大きく動ける駒の数が増え、変化が激しくなるからです。
人と人とは。おっしゃる通り。どちらのゲームも、前者は変化の乏しさ、
後者は並べるののめんどくささと手数の多すぎから、余り流行りそうに
ないと想像はできます。対コンピュータ将棋としては。並べてくれますし、
タダ取りだけ喰らわないようにして、早指しするのも暇つぶしとしては
面白いので、本将棋の1局の3~4倍程度のゲームなら、充分実用的。
AIについては。高見先生の研究室に頑張ってもらって。もう少し強い
のを作ってもらえれば、ありがたいというのが、このゲームも、まあ
一応指せる人間の一人としては、現状正直な所ですね。
by 長さん (2015-05-12 08:20) 

三橋順子

長さん、いらっしゃいま~せ。
なるほど、マスが多くなると動ける余地が大きくなるのですね。
それと、人間が手で駒を並べる手間をコンピューターが担ってくれれば、ずいぶん楽かもしれません。
でも、本将棋の1局の3~4倍程度って、素人基準にしても3~4時間ということですか?
気が短い、私にはきついなぁ。

by 三橋順子 (2015-05-13 02:16) 

長さん

対高見研究室AI(test2号)で現行1局、ゆっくりで30分ないし40分
です。人間(私)の一手は平均10秒位。AIは現状1秒以内に指します。
対人間の昼休み縁台将棋よりも、たぶん早く終わりますね。
摩訶大将棋と平安大将棋の差は、「走り駒の頭数の差」です。13升目
が15升目に増えるという、行きどころの増加の効果では無いです。

平安時代史。素人です。私は「藤原道長の時代は、天皇と上皇の権力
は、藤原長者とナンバー2よりは一時期弱かった」と、単純に考える
脳細胞の持ち主ですが。これって正しいんでしょうかね。
平安小将棋って、平安摂関全盛時代の藤原氏と藤原長者が編成した
軍隊を模しているように、私は思っているのです。ただ当の藤原長者と
ナンバー2は、「玉(北インド産の瑪瑙)将」と「金将」に、自分達がなぞ
らえられているのが、内心気に入らなかったのですね。これは「成り金
者だが頭空っぽ」という意味にとれたんで。それで、藤原頼長あたりが、
平安大将棋を作って指して、藤原長者が諸学に精通している所を
見せようとしたのかもしれないと、空想しています。今の所「大将棋を
指した」と威張っているのは、藤原氏関係者だけですね。
by 長さん (2015-05-13 08:01) 

三橋順子

長さん、いらっしゃいま~せ。
「摂関政治」期の権力関係は、政治システムとそこにいる人物の能力のバランスです。
一条天皇と藤原道長のように、双方がそれなりの政治能力を持っていると、かなり権力は拮抗します。
でも、対立してはまずいので、お互い引くところは引いて妥協します。
もともと叔父ー甥の関係で、外戚(道長)は天皇を輔け導く責任がありますので。
天皇が幼少や政治能力に欠けている場合は、藤原氏長者が摂政・関白として、ほぼ一元的に権力を掌握することになります。

藤原頼長については論文を書く必要上、それなりに調べましたが、最上流貴族としては例外的な勉強家で諸学に通じた博識ですが、まじめすぎて、将棋を指している姿が思い浮かびません。

by 三橋順子 (2015-05-15 14:25) 

長さん

御返事どうもありがとうございます。天皇は。子供なので将棋からは
排除され、日本の将棋に「皇駒」が無く、「将」が一位になるのですね。
あてずっぽうですが。日本の最初の将棋は、北宋商人が、藤原道長
へのお土産として持ってきた、中国雲南省金細工師が作った、宝石
立体駒を使って遊ぶ「大理国マークルック」。これを、五角駒で指すと、
八×八升目制、初期平安小将棋に、実は等しくなると見るんですね。
そしてこれをもともと。ルールを覚えてから、輸入仏典整理札をちょろ
まかし、日本型五角形将棋駒に置き換えた藤原隆家の鎮西軍の
家来達が、自己の出世と京都への凱旋帰国を夢見ながら、九州
大宰府で西暦1015年頃、指したものが最初と見る訳です。他方、
立体将棋駒道具をもらった藤原道長の方はといえば。もともと偉い
ため。恐らく瑪瑙製の玉将が、不成りでは夢が無く、土御門殿の
床の間を、土産の宝石のモニュメントとして飾っただけだったので
しょう。
つまり。大宰府の大宰権帥の藤原隆家は。その数年後に京都に
帰って、藤原長者の藤原道長と、再び張り合う、ほぼナンバー2の
地位になったので、この話。実はつじつまが合うんですね。
これを将棋では。「敵陣で活躍すると、『歩兵』もナンバー2の『金将』に
大きく成る」と、古来よりなぞらえるという訳です。ただ家来の藤原隆家
の軍隊は。「刀伊の入寇」で女真軍(少し後の時代の「金」の仲間ですね)
を撃退する大活躍をしたというのに。恩賞が若干少なく。この不満が
後の、武家の世の中の出現の、発端になったという話らしいですけどね。
by 長さん (2015-05-15 15:35) 

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