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LGBT教育のあり方 [現代の性(同性愛・L/G/B/T)]


「保守」ゲイのT氏が、「多様な性の教員研修/子ども向け授業をしている」若い活動家を「(あなたは)教育の勉強をされたわけでも、性的少数者のことを専門に学ばれたわけでもないようだ。専門家でもない当事者が、一体、何を基準にして若い方たちに授業をしているのか」と批判しているので、見るに見かねて横入り。

教員でない人が、学校の授業で話をする場合、
 ① 学校長の事前承認
 ② 教員免許のある人(教員)が同席する。
が満たされれば、何も問題はない。

教育学の勉強をしたことがない人でも、性的少数者について専門に学んだことがない人でも、授業をすることはできる。

招聘された講師が語る内容の正否についての責任は、講師を招聘し(同席している)教員と、最終的には学校長にある。

T氏は授業内容を検証すべきだと主張するが、そもそも何が語られているか、メディアの取材でも入らない限り、外部の人間にはわからないので、検証不能。

私は、学校教育の自律性という観点から、外部がいちいち検証する必要はないと思う。

確かに、たまに漏れ聞こえる内容の中には、はっきり言って、「これは違うのではないか?」「その言い方はまずいのではないか?」と思うこともある。

T氏は、文科省が性的少数者について「何を教えて何を教えないか」を決めるべきだと言うが、「何を教えて何を教えないか」ではなく、ちゃんと教えることが大事だと思う。

「ちゃんと」という基準はそんなに多くない。
 ① 事実に反することは教えない。
 ② 他者を傷つけるような語りはしない。
くらいだろう。
あと付け加えるなら、
 ③ 事実と推測をしっかり分ける。
 ④ 自分の考えと他者の考えは分ける。
 ⑤ わからないことは、わからないと言う。

現状、文科省は、性的少数者について授業で扱うことの当否を定めていないので、各教育委員会、各校、各教員がルールの下で裁量している。

問題の本質は、文科省が性的少数者についての教育を、やる気がないことにある。

地域の現場で苦労されている当事者講師を批判するのではなく、文科省の姿勢を批判すべきだろう。

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