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10月31日(土)「現代風俗研究会(東京の会)」「新・風俗学教室」第18期「食の風俗」第1回「イタリアンからイタ飯へ ~そのグローバル化とローカル化~」(黒田勇さん) [生活文化・食文化・ファッション文化論]

10月31日(土)

土曜日(10月31日)は、丸の内の成蹊大学サテライトオフィスで開催された「現代風俗研究会(東京の会)」の「新・風俗学教室」に参加。
今回から第18期に入り、「食の風俗」がテーマ。
その第1回の報告は、黒田勇さん(関西大学教授:マス・メディア論)「イタリアンからイタ飯へ ~そのグローバル化とローカル化~」。
黒田さんは『ラジオ体操の誕生』(青弓社)の著者でメディアやスポーツ、身体などに関連する幅広い論考を発表されている方。
また、「食レポ」の世界でも著名な方で、特にイタリア料理への思い入れが深い。
お人柄そのままに、自由闊達なお話ぶりで、いろいろ思い当ることも多く、とても興味深く面白かった。
こういう緩いけど刺激的なお話は、頭に入りやすく勉強になる。
自分の講義も、そうありたいと思う。

以下、私の知識も入れた適当なメモ。

(1)伊太利亜料理、事始め
1912年、東京京橋区鈴木町(現:中央区京橋2丁目)の鳥料理「高砂本店」が伊太利亜料理を始めた。
1930年代、声楽家がイタリア料理を紹介したが広まらなかった。

質疑で「イタリア料理は新潟が早い」というコメント。

(2)イタリア料理の輸入期
1960年代 カンツォーネの流行。
テノール歌手五十嵐喜芳(きよし)のイタリア料理紹介。
1968年 「ベルベデーレ」(銀座「ソニービル」7階)の開店。
   → 客の3分の1は外国人
(3)マカロニからスパゲッティへ
戦後、学校給食に出てきたマカロニ →「ララ物資」に含まれていた。
家庭料理で、マカロニがスパゲッティにとって代わられる時期?
→ 東京オリンピック(1964年)の影響だと1960年代後半?
→ 大阪万博(1970年)の影響だとすると1970年代初頭?
私の記憶では、小学校時代(1967年以前)はマカロニ。
スパゲッティは高校時代(1971年以降)から。
当時のスパゲッティは、ナポリタンかミートソースの2択。
→ ナポリタンの方が早い(洋食の付け合わせ)
埼玉県にイタリアンレストランが多い。
 → 小麦麺食文化(うどん)の伝統との関係?

(4)「フレンチ」から「イタリアン」へ ー「バブル期」の下剋上ー
1980年代、麻布「キャンティ」、神戸「ドンナロイヤ」、大阪本町「コロッセオ」などが開店。
でも、「バブル全盛期」(1980年代後半)のデート(ディナー)の主流は、圧倒的に「フレンチ」。
1989~1990年、イタリアン・デザートのティラミスが大流行。
バブル崩壊期(1990年代前半)に高価な「フレンチ」が後退して、比較的安価な「イタリアン」が台頭。
→「イタ飯」の登場、「パスタ」という言葉の普及

それまで、フランスに修業に行っていたシェフがイタリアに行くようになる。
イタリア人シェフも数多く来日して開店。

(5)ビザの普及
アメリカのイタリア料理としてのピザ。
元祖としての六本木「ニコラス」(1954年)と「シシリア」(1954年)。
→ 六本木・麻布界隈にイタリア料理の店ができたのは、占領軍(アメリカ軍)のイタリア系部隊が駐屯していたから。

アメリカの宅配ピザの展開。
 「シェーキーズ」(1973 年。赤坂に1号店)
「ピザハット」(1970年代)
「ドミノピザ」(1985年、恵比寿に1号店、最初から宅配)

(6)グローバル化とローカル化
生バジルが手に入らない時代の日本で「バジリコ・スパゲッティ」を食べる。
  → パセリと青しそを刻んで混ぜる(六本木「キャンティ」 
→ それが定着する。
刻み海苔が乗った、たらこスパゲティ → 和風スパゲッティの典型
  → バンコク「甚右衛門」でタイ人のカップルが食べていた。
  → ジャパニーズ・イタリアンの東南アジア展開

以下、「豆知識」
① ナポリタンの起源はアマトリチャーナか
アマトリチャーナは、ローマ郊外のアマトリーチェ村が起源のローマ料理。
トマトソース、玉ねぎ、グアンチャーレ(豚頬肉の塩漬け)、ペコリーノ・ロマーノ(羊乳のチーズ)で作る。
組み合わせが、ナポリタンと似ている(他に同類がない)。
日本のナポリタンは、GHQに接収されていた横浜の「ニューグランドホテル」のシェフが考案。

② カルボナーラ(炭焼き職人風)は、意外に新しい。
戦前のイタリアにはない。
戦後に連合軍が大量の卵を持ち込み(イタリアも敗戦国で食糧事情が悪かった)、現地の「カシオ・エ・ペペ」(チーズと黒胡椒のみ)に卵を追加したのが起源。
「炭焼き職人風」という名称は、黒胡椒を炭の粉に見立てたもの。

③ 食後にカプチーノは飲まない
ミルクが入っているものは、基本、食べ物で飲み物ではない。
午前中に飲むもの。
食事の後に飲むのはエスプレッソ。

④ エスプレッソの起源
1930年代にトリエステのコーヒー焙煎会社「イリィ」が考案し、販売開始。
特許を公開したので急速に普及。

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コメント 2

東スポ読者

マカロニのほうが早く普及していたんですね。それは知りませんでした。山口瞳さんの「江分利満氏の優雅な生活」で、昭和20年代後半頃、息子さんに離乳食としてマカロニグラタンを食べさせる場面が出てきたのを思い出しました。アメリカなどで「スパゲッティウエスタン」と呼ばれたイタリア製西部劇を日本では「マカロニウエスタン」と呼んだのも、理由は諸説あるようですが、当時の日本ではマカロニのほうが馴染み深かったから…というのもあるかもしれませんね。

スパゲティはナポリタンの方が早く普及した、というのは納得です。私が幼い頃(70年代前半)、家で食べたスパゲティはほぼナポリタンでした。
by 東スポ読者 (2015-11-04 00:14) 

MIKA

イタリアン、といえば、ピザをはじめて食べたのはいつだったっけ?と
記憶を紐解けば、ひょっとして70年万博のころ?
(歳がばれます(^_^;))
あのとき、ハンバーガーとかグラタンとかといっしょにピザも一般に認知されたような気がするのです。
ちがったかな?


by MIKA (2015-11-04 11:19) 

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