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10月10日(金)小田急線「稲田多摩川駅」ってどこ? [性社会史研究(連れ込み旅館)]

10月10日(金)  曇り   東京   26.3度   湿度53%(15時)
9時、起床。
朝食はグレープフルーツ・デニッシュとコーヒー。
まだ風邪が治っていないので、外出の予定を明日に延期して自宅で静養。

昼食は、「いわちく」の銀河璃宮まかないカレー(ポーク)。
141010-1.JPG

午後は、資料の画像取り込み作業。
登戸(福田屋・19530404) (3).jpg
この旅館の所在地は、小田急線の「稲田多摩川駅」。
一瞬、「どこだっけ?」と思う。
すぐにわかった人は、かなりの鉄道通か、小田急沿線に昔から住んでいた人。
答えは、現在の小田急線「登戸駅」。
小田急の「登戸駅」は、1927年(昭和2)4月1日の開業から1955年(昭和30)3月31日まで 「稲田多摩川」という駅名だった。
この広告はその時代のもの(『内外タイムス』1953年4月4日号掲載)。
1955年(昭和30)4月1日に「登戸多摩川駅」と改称された。
登戸(新雪) (2).jpg
この「新築旅館 新雪」の広告は「登戸多摩川駅」時代のもの。
現在の「登戸駅」になるのは、1958年(昭和33)4月1日。
ちなみに、国鉄南武線の駅名は、1927年(昭和2) 3月9日の開業以来、ずっと「登戸駅」。
この「福田屋」と「旅館新雪」という連れ込み旅館が登戸のどこらへんに在ったのか、まだ調べていない。
1950年代の登戸が、ちょっと訳有りの男女が、いつもより少し遠出して多摩川の風光を楽しむ場所だったことがわかる。

夕食は、簡単に。
お刺身。
141010-2.JPG
鶏団子の中華スープ。
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野菜サラダ。
141010-4 (2).JPG

お風呂に入って温まる。
就寝、2時。

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コメント 4

マミー

登戸は私の親友の実家があり、昔よく泊まりに行きました。大昔、陸軍の毒ガス兵器の研究所がありませんでしたか?毒ガスにつれこみにまあにぎやかな所ですこと。川沿いにボート乗り場があって、昔子供と一緒に乗りました。なつかしい!若かりし頃、あの辺りを仕事で同僚たちとクルマで通りがかった時、ホテル『御苑』という看板が道沿いの電柱にたくさんついていました。みんなの話しによるとどうも”つれこみ”?あの後、同僚の一人がオフィスの不倫相手とその『御苑』に泊まったと話して居ました。どんな所だったかは知りませんが、普通のラブホ?まだあるんでしょうかねえ(笑)
by マミー (2014-10-16 12:54) 

三橋順子

マミーさん、いらっしゃいま~せ。
実は、多摩川に沿って、小さな花街が連なっていたのです。
下流から、新丸子、二子玉川&二子新地、そして登戸。
子どもたちの遊び場であると同時に、大人の遊び場でもあったのです。
「ホテル御苑」は、今の所、広告を見つけてません。
私が調べている時代(1950年代)より、新しいと思います。
1950年代の千駄ヶ谷には「御苑荘」という有名な連れ込み宿があったのですが、時期的、場所的にそれとは違うと思います。

by 三橋順子 (2014-10-18 01:15) 

マー坊

 初めまして。

 たまたま、ネットサーフィン中に見つけました。

 ちょうど、昨日に登戸の新雪という旅館前を通りましたよ。駅から相変わらず徒歩2分でした。

 1955年代から建ててあった事に驚きです。

 また、遊びに来ます。
by マー坊 (2015-08-18 05:54) 

三橋順子

マー坊さん、いらっしゃいま~せ。

おお、「新雪」まだ健在ででしたか。
今度、登戸に行ったとき探してみましょう。
by 三橋順子 (2015-08-18 11:37) 

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