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(研究報告)「男寺党」について―朝鮮(韓)半島における性的マイノリティの歴史として― [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

性欲研究会(2013年第4回・韓国合宿)     2013.9.2(ソウル大学)

「男寺党」について
 ―朝鮮(韓)半島における性的マイノリティの歴史として―
                   三橋 順子
1 はじめに ―「男寺党」とは―
「男寺党」(남사당 ナムサダン)とは、朝鮮半島における移動芸能集団である。
「男寺党」は、数10人の集団で、朝鮮半島各地を旅し、立ち寄った村で、「男寺党ノリ(遊び)」と総称される芸能を披露し、村の発展と人々の健康を祈願し、喜捨(布施)を集めることで生活をした。名目は寺院の建立や補修のための勧進であり、寺を中心に活動したため「寺党」の名称がある。
その演目は、プンムル(풍물、風物、農楽)、ポナ(버나、皿回し)、サルパン(살판、曲芸)、オルム(어름、綱渡り)、トッペギ(덧뵈기、仮面劇)、トルミ(덜미、人形劇)の6種だった。
朝鮮王朝(1392~1910)では「賤民」(非自由民)の中の「八般私賤」の一つに数えられ、厳しい差別のもとにおかれながらも、多くの集団が活動していた。しかし、20世紀に入り、日本統治下(1910~1945)で徐々に数が減り、朝鮮戦争などにより構成員が四散し、芸能の伝承も困難になっていった。1959年に南亨祐を団長に「民俗劇会男寺党」が結成され、1964年には韓国の重要無形文化財第3号に指定された。現在はソウルにある「伝授会館」に「保存会」がある。
また、日本においても、奈良県に「男寺党日本支部」があり、伝統の保存と普及に努めている。http://namsadang.jp/

日本における「男寺党」の学術的紹介としては、次の2つがある。
(1)中村輝子「韓国の放浪芸一座―男寺党(ナムサダン)―」
  (『季刊民族学』8巻4号、千里文化財団、1984年10月)
(2)志村哲男「背徳の男寺党牌―韓国の放浪芸能集団―」
  (藤井知昭・馬場雄司編『(民族音楽叢書1)職能としての音楽』 東京書籍、1990年4月)
なお(2)は、沈爾晟『男寺党牌研究』(同文出版公社、ソウル、1974年)の翻訳・紹介である
また、被差別民と芸能の視点からも注目されている。
(3)沖浦和光(聞き手)「(インタビュー)男寺党―日帝の弾圧下を生きぬいてー」
  (『部落解放』225号、1985年2月)
(4)久保 寛「朝鮮賤民芸能のエースー流浪芸能集団『男寺党』をめぐってー」
  (『部落解放』225号、1985年2月)
しかし、「男寺党」特有のセクシュアリティに注目し、言及している論考はあっても、それを朝鮮半島における性的マイノリティの存在形態として積極的に考察した論考はまだ無いように思う。
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↑ 村に入る「男寺党」。先頭で旗を持つのはピリ(女装の少年)の役割(中村1984)
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↑ 「三層舞童」の演戯でいちばん高いところに立つのはピリ(女装の少年)の役割(中村1984)

2 「男寺党」の構成とセクシュアリティ
「男寺党」の構成員は男性のみであることに特色がある。
* 女性だけの芸能集団は別にあり、「女寺党」(ヨサダン)もしくは単に「寺党」と称した(朝鮮王朝時代は禁止)。「男寺党」の末期(1930年代)には女性も加わるようになった。

男寺党は、コッドゥソェ(꼭두쇠、座長)、ゴルベンイソェ(골뱅이쇠、副座長、企画・渉外)、トゥンソェ(뜬쇠、各芸能分野の長)、カヨル(가열、弟子、演技者)、ピリ(삐리、見習い。女裝)、ジョスンペ(저승패、冥土衆、元老)、ドンジムクン(등짐꾼、担ぎ人夫)で構成され、その員数は50名内外だった。
新たに集団に入ったピリは、演戯を習得してカヨルになるまでは、女装しなければならず、演戯の練習とともに、コッドゥソェ以下カヨル以上の身の回りの世話(性的な奉仕を含む)をしなければならなかった。
たとえ、ピリの数が全体の半数に至らない場合が多かったため、座長のコッドゥソェであってもピリは1人しか持てず、カヨル以上すべてがピリを持てるわけではなかった。したがって、ピリの確保は重要で、他集団との間でピリの争奪戦も熾烈だった。

また、「男寺党」の収入は、興行の後、村人から与えられる「布施」だけでは不十分で、それを補うために、日常的に女性との性交渉の機会に乏しい下層の村人に、ピリをあてがって「花代」を稼ぐ男色売春も日常的に行われていた。そうした点でも魅力的なピリを数多く確保することが重要だった。

「男寺党」は、男性のみの集団でありながら、ジェンダー的には男性としてのカヨル以上の者と、女性ジェンダーを割り当てられたピリとによって構成された男と「女」の男色集団であったことに、大きな特色がある。
「男寺党」の形態は、年齢階梯制とジェンダー転換の2つの軸によって三橋が設定した男色文化の4類型(三橋2013b)の内のⅠに相当する。
 Ⅰ 年齢階梯制を伴い、女装も伴う男色文化
 Ⅱ 年齢階梯制を伴い、女装を伴わない男色文化
 Ⅲ 年齢階梯制を伴わず、女装を伴う男色文化
 Ⅳ 年齢階梯制を伴わず、女装も伴わない男色文化
同じ類型のものとして、日本の中世寺院社会の女装の稚児や江戸時代の陰間(三橋2008)、中国清朝の「相公」(三橋2013a)などがある。
なお、男色文化における年齢階梯制とは、古川誠によれば「年長者と年少者という絶対的な区分にのっとった同性愛」であり、「能動の側としての年長者と受動の側としての年少者という役割が厳格に決められている」点に特徴がある(古川1996)。

また、三橋は、トランスジェンダーの職能として、次の5つを挙げている(三橋2008)が、「男寺党」におけるピリの役割は②と④に相当する。
 ① 宗教的職能(シャーマン)
 ② 芸能的職能
 ③ 飲食接客的職能
 ④ 性的サービス的職能(セックス・ワーク)
 ⑤ 男女の仲介者的機能

3 今後の検討課題
(1) その起源について
「男寺党」の源流についてはほとんど史料がなく不明である。
その芸能に着目すれば、人形劇(傀儡)は統一新羅時代(676~935)に遡る可能性があり、曲芸の中には唐の散楽に源流があると思われるものもある。
男性のみの集団の中で年少の者が女装して芸能を行い、上位の者に奉仕する(性的奉仕を含む)という形態は、日本の中世寺院社会の師僧と稚児の関係に類似する(稚児も芸能が必須であった)。
「男寺党」はその名称から仏教の寺院との関係が想定されている。「男寺党」のセクシュアリティの在り方は、仏教が盛んだった統一新羅時代、高麗時代(918~1392)の寺院文化に起源があるのではないかと推測しているが、史料的には未検討である(史料があるのか?)。

(2) 男巫との関わり
「男寺党」がその公演で最初に演奏される打楽器曲「風物儀」は、農耕に関する祭天儀式でシャーマンが舞うときの奏せられるもので、巫俗儀礼の音楽だった。
ここに、「男寺党」と巫俗(シャーマニズム)との起源的関係が想起される。
ところで、朝鮮半島の巫俗(シャーマニズム)は女巫が中心だったが、数は少ないが男巫(バクスー)もいて、しかもその男巫がしばしば女装したことが『朝鮮実録』に見える。(太祖7年4月条・中宗8年10月条・明宗3年11月条・仁宗元年3月条、粛宗14年11月条) (柳1976)
20世紀になっても、下着のみだが女装している男巫がいたことが報告されている(赤松1938)。
朝鮮における男巫の女装については、まだ文献的な検討をしていないので、事例のみを挙げておく。
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↑ 1930年、黄海道黄州郡黄州邑碧城里で撮影された男巫。下着のみだが女装している(赤松1938)
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↑ 1971年、ソウル市の国師堂で撮影された男巫(柳1976)

まとめにかえて
「男女七歳にして席を同じうせず」(『礼記』内則)と男女の別を重んじ、子孫の残すことをなによりも重視する儒教社会である朝鮮王朝時代に、男女の別をあいまいにする異性装者や、基本的に子孫を残さない同性愛者が厳しく抑圧・差別されたことは想像に難くない。
そうした社会状況下で、厳しい差別にさらされながらも、「男寺党」が同性愛者や異性装者にとっての数少ない生存の場になっていた可能性がある。
朝鮮半島の歴史において性的マイノリティがどのような形で存在していたのか、についての研究は、残念ながら日本や中国に比べて乏しいように思う(少なくとも日本には伝わっていない)。しかし、そうした人々が存在しなかったはずはない。今後、韓国においてもこうした視点からの研究が深まることを願っている。

文献
赤松智城1938 『朝鮮巫俗の研究 下巻』
沖浦和光1985 「(インタビュー)男寺党―日帝の弾圧下を生きぬいてー」(『部落解放』225号、1985年2月)
志村哲男1990「背徳の男寺党牌―韓国の放浪芸能集団―」(藤井知昭・馬場雄司編『(民族音楽叢書1)職能としての音楽』 東京書籍、1990年4月)
久保寛1985 「朝鮮賤民芸能のエースー流浪芸能集団『男寺党』をめぐってー」 (『部落解放』225号、1985年2月)
沈爾晟1974『男寺党牌研究』(同文出版公社、ソウル、1974年)
中村輝子1984 「韓国の放浪芸一座―男寺党(ナムサダン)―」(『季刊民族学』8巻4号、千里文化財団、1984年10月)
古川誠1996 「同性愛の比較社会学―レズビアン/ゲイ・スタディーズと男色概念―」(『講座現代社会学10 セクシュアリティの社会学』 岩波書店)
三橋順子2008 『女装と日本人』(講談社現代新書)
三橋順子2013a 「中国の女装の美少年『相公』と近代日本」(井上章一編『性欲の研究』 平凡社)
三橋順子2013b 「『台記』に見る藤原頼長のセクシュアリティの再検討」(倉本一宏編『日記の総合的研究』 思文閣出版)
柳東植1976 『朝鮮のシャーマニズム』(学生社)

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