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学術的な場にトランスジェンダーがいること [現代の性(性別越境・性別移行)]

6月22日(月)

昨日(6月21日)の京都カンファレンス2015「拡張した心を超えて」第4部で針間克己報告「性別違和における心の性と体の性」に質問した「娘が京大に通っている」熟年女性が「トランスジェンダーのような人はテレビの中でしか見たことがない」と発言した。

目の前に、とてもよくわかる事例がいるのに・・・。

「いないと思えば見えない、いると思えば見える」の「お化け理論」(by Junko )の典型だが、学術的な場にトランスジェンダーがいるということがイメージできないのだろう。
それは、この熟年女性だけでなく、会場の哲学系の先生の中にも同じ感覚の人がいたように思う。
世の中の熟年層の感覚って、そんなもんなのだろうな。

この話、けっこう根が深くて、日本のトランスジェンダーは20世紀末まで、職業的に、飲食接客業、ショービジネス、セックスワークの「ニューハーフ三業種」(by Junko )に押し込まれてきた。
その3つの職種なら存在は認めるが、そこから出ることは社会的にほとんど許されなかった。
つまり、そういう人は、盛り場の飲み屋やショーの舞台の上(その延長のテレビの中)にしかいないと思われてきた。

だから、トランスジェンダーが、その三業種から出ることは、社会的なニュースだった。
信じられないかもしれないが、2000年9月に非常勤講師として中央大学の教壇に立った日、週刊誌が3誌も取材に来た。
写真週刊誌『FLASH』などは見開きページで掲載するような騒ぎだった。

1999年の日本社会学会のシンポジウムにパネラーとして呼ばれて上智大学に行ったら、守衛さんに飲兵衛の教授のツケを取りに来た飲み屋のママに間違えられ警戒されたこともあった。

それだけ、トランスジェンダーが大学とか学会などの学術的な場にいることは、「とんでもないこと」「珍しいこと」「あり得ないこと」だったのだ。

それから15年、今では、トランスジェンダーの講師が着任しても、学内誌も取材に来ないような状況になった。
「当たり前のこと」になったかはともかく、少なくとも「珍しくないこと」「あり得ること」になったということだ。

学会などでも、昔のように「そんな人間を呼ぶなんて神聖な学問の場を汚す」と怒るような老先生は、さすがにいなくなった。
それでもまだ、トランスジェンダーが学術的な場にいることがイメージできない人はけっこういるのだろうなぁ、とあらためて思った出来事だった。
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