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麻布霞町「霞ホテル」 [性社会史研究(連れ込み旅館)]

6月1日(水)

1950年代、麻布霞町にあった「霞ホテル」の場所が判明。
麻布霞町(霞ホテル・19531030).jpg
広告(『内外タイムス』1953年10月30日号)の地図にあるように、港区の麻布霞町(現:西麻布1、3丁目)の交差点(現:西麻布交差点)で、「六本木通り」を行く都電6系統(渋谷~新橋)と「外苑東通り」を通る7系統(四谷三丁目~品川駅前)がクロスする。

「霞ホテル」は、1961年現況の住宅地図によると、霞町交差点の北東にあった。
電停からは徒歩1分もかからない抜群の立地だった。
麻布霞町(霞ホテル・1961年).jpg
しかし、よく見ると、東京オリンピック開催に関連する「六本木通り」の拡幅に伴い、霞町交差点を大きく北に拡大する計画線の内側に入っている。

実際、1963年の航空写真では、すでに拡幅工事が始まり、「霞ホテル」の姿はなくなっている。
麻布霞町(霞ホテル・1963年).jpg
ところが、念のため1947年の航空写真を見ると、不鮮明だが、外苑東通りに沿って延びる空襲による焼け跡の東(右)側に、それらしき輪郭が読みとれる。
麻布霞町(霞ホテル・1947年).jpg
屋根が白く写っているので瓦葺きではなくコンクリートの洋風建築だと思う(だから焼けなかった?)。

以下は想像だが、戦災で焼け残った洋風建物を米軍関係者向けのホテルに転用したのが、米軍関係者が減った50年代半ば頃から「連れ込みホテル」化していったのかも。

ということで、「霞ホテル」の場所は、現在の西麻布交差点の北東部(の路面)ということになる。

やっと、麻布在住の館淳一さんの質問にお答できた。



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