SSブログ

10月15日(水)田中貴子『猫の古典文学誌』 [読書]

10月15日(水)  雨   東京   19.1度   湿度70%(15時)

8時、起床。
朝食は、カスタード・デニッシュとコーヒー。
シャワーを浴びて、髪と身体を洗う。
髪はよくブローして、あんこを入れて頭頂部で結んでシュシュを巻く。
9時、化粧と身支度。
グレーの地に黒の唐草模様のチュニック(長袖)、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、焦茶のトートバッグ。

10時、家を出る。
駅までの途中で雨が降り出す。
東急東横線で自由が丘駅に移動。
10時半、産経学園(自由丘)で「『続日本紀』と古代史」の講義。
『続日本紀』巻19、天平勝宝8歳(756)4月条の講読。
聖武太上天皇の遺詔による道祖王の立太子と、孝謙朝の政治体制について。
光明皇太后、聖武太上天皇、孝謙天皇の三頭政治と見るか、実質、光明皇太后の朝廷と見るか?
なぜ、太上天皇の崩御にあたって皇太子が定められたのか?
天平宝字元年(757)7月12日条の孝謙天皇の宣命に「皇太后の朝」とあることを、どう理解するか?
12時、終了。

外に出ると本降りの雨。
気温が上がらず、肌寒いくらい。
東横線で学芸大学駅に移動。
P1120721 (3).jpg
昼食は、ほとんど濡れずに行ける西口前の「てんや」へ。
P1120724 (2).JPG
↑ オールスター天丼(720円)

東口駅前の「恭文堂書店」で、田中貴子『猫の古典文学誌―鈴の音が聞こえる―』(講談社学術文庫、2014年10月)を購入。
P1120736 (2).JPG
プロローグ
第一章 「猫」という文字はいつごろから使われたか
第二章 王朝貴族に愛された猫たち
 ね・こらむ1 和歌のなかの猫
第三章 ねこまた出現
第四章 金沢文庫の猫
第五章 猫を愛した禅僧
 ね・こらむ2 犬に噛まれた猫
第六章 新訳 猫の草子
第七章 猫神由来
 ね・こらむ3 猫の島
第八章 江戸お猫さまの生活
第九章 描かれた猫たち
エピローグ
【付録】漱石先生、猫見る会ぞなもし

日本の猫の文学と歴史をたどった名著『鈴の音が聞こえる―猫の古典文学誌―』(淡交社、2001年)の文庫版による復刻。
東口商店街の「ドトール」で、早速、新たに収録された「漱石先生、猫見る会ぞなもし」を読む。
日本最初の猫の品評会は、大正2年(1913)4月5日に、上野の「精養軒」で、優勝は下谷黒門町(ほとんど地元)鈴木彦太郎氏の飼い猫「ミイ」(牡、三毛)で、商品は鰹節券5円だった。

田中さんの国文学者(中世文学・仏教説話)としての文献分析力と猫への限りない愛情とが、見事に合体した名著がわずか864円(税込)で読めるのは、すごくお得感がある。
私も、猫について書くときに必ず参照させていただいている。
(参照)2010年11月12日 石山寺縁起絵巻を読む(特講:日本古代~中世の猫-絵巻を中心に-)
http://zoku-tasogare-2.blog.so-net.ne.jp/2013-02-14-15

14時、「仕事部屋」へ。
郵便物の整理。
1時間半ほど昼寝。

17時、再外出。
自宅最寄り駅前の「ドトール」で読書の続き。
P1120725 (2).JPG
↑ 最近、お気に入りの「ピクルス・ドッグ」。

18時半、帰宅。
夕食は息子の希望で肉。
豚ばら肉を焼く。
P1120727 (2).JPG
牛はらみ肉を焼く。
P1120728 (2).JPG
野菜炒めを作る。
P1120726 (2).JPG
食後1時間ほど眠る。
溜まっている「日記」を書く。
お風呂に入って温まる。
就寝、4時。
nice!(0)  コメント(2)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 2

真樹猫ちゃん

うーん・・・。
何しろ昔の事にゃので・・・
昔、玉藻の前様がご活躍の頃、ご先祖の猫が術を教わりみゃして
姿形を変える術でごにゃいみゃすよ・・・。
それからは、あるものは院の北面の者、ある者は院の女官などと
代々院にお使えしたにょでした。源平の院の戦さの時には大勢
の者がお上を守って討ち死にしたにょでした。
その後も院に代々お仕えして参りみゃした。
いわゆる南北朝という時代には南山の賊共に対抗して、印宣を
忠義な者に伝えるなど、東奔西走の活躍でしたしゃ。

ところが別系統の怪しのものども、術を使ってある時は袴誰とか
都の夜を騒がせたり、ある時は応天門に放火したりとか悪行も
数知れず・・・と聞いておりみゃす。
・・・と長老の三毛が伝えておりみゃす。

by 真樹猫ちゃん (2014-10-17 23:56) 

三橋順子

真樹大姉様、いらっしゃいま~せ。
久しく書き込みがなかったので、補陀落にお渡りあそばしたかと思っておりました。
そうでございましたねぇ。長い時の流れの間に、いろいろなことがございました。
その「別系統の怪しのものども」は「阿毘死尼庵」という庵に集まっておりましたが、その棟梁は、たしか「真樹大姉」(しんじゅだいし)と名乗っていた記憶が・・・。
by 三橋順子 (2014-10-18 00:18) 

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0