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春の秩父路3人旅(2日目:石仏の寺・金昌寺) [旅]

4月10日(水)

秩父三十四カ所観音霊場4番・金昌寺。

ここに最初に詣でたのは、13歳の夏休み、坊主頭の男子中学生だった。
それから55年・・・。
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↑ おゆうちゃんに「お姉ちゃん、後光が差してるよ」と言われた。

その間、3~4回、訪れているが、こんな満開の桜に出会えたのは初めて。
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もう思い残すことはない。
観音様に導かれて、阿弥陀様のところに行ってももいい。
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この寺は石仏の寺として知られる。
中でも、観音堂の軒に坐す「子育て観音」(江戸時代中期)は最大の作品で、赤子に乳をふくます優しい姿は、秩父路観光のアイドル的な存在。
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観世音菩薩は男性だが、時に女身に変身する(33化身のうち7つが女身)。

拙著『女装と日本人』で神も仏(菩薩)も性転換する国で、人が性別越境していけないという規範があるはずがない、と書いた原点は、この「子育て観音」の存在があったから。
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4月10日(水)春の秩父路3人旅(2日目:春のお散歩) [旅]

4月10日(水)

6時半、起床。
露天風呂に入って身体を起こす。
良いお天気で、気持ち良い。

7時、身支度。
私は、化粧、髪、着付けで約1時間だが、おゆうちゃんは30分。

8時過ぎ、お食事処で朝食。
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この山菜茶碗蒸し、おいしかった。
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ちゃんと身支度している。
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9時過ぎ、荷物を預けて、お散歩に出かける。
お泊まりした「新木鉱泉」(秩父市山田)は、もともと秩父34カ所観音霊場の3番「常泉寺」と4番「金昌寺」の間にある古い巡礼宿。

仲居さんが、おゆうちゃんの髪に興味津々で、質問攻め。
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昨日の大雨が嘘のような、雲一つない青空、桜は満開、これから春のお散歩。
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お宿からほど近いところに花桃(枝垂れ)の大木があって、まさに満開。
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花の下にこの2人がいる景色を見た村人(集落の人)が、「現実とは思えない、幻?」「もしかして妖(あやかし)かも?」と思う事態が、この後、続発する。
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私も、あながち否定はできない気分。

お宿(新木鉱泉)から徒歩10分ほどの秩父観音霊場4番・金昌寺へ。
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満開の桜の下に日本髪の佳人がたたずむ。
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その景色に、地元のおじさんが感動して
「自分は『秩父音頭』の歌い手なんですが、せっかくきてくださったのだから、一節歌っていいですか?」と言う。
私が「それは、それは、ぜひお願いします」と応じると、とても良い声で唄ってくれた。
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「秩父音頭」は歌詞がいろいろあるが、この場にいちばんふさわしい歌詞を選んでくれた。
ハァーエ 三十四ヶ所の 観音巡り 三十四ヶ所の 観音巡り 娘ナァーエ 娘十九の アレサ厄落とし
唄っているおじさんの脇に「娘十九」っぽい、くーちゃんがいるのが笑える(3枚目)。
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満開の桜の下で、「秩父音頭」の生歌を聴けるなんて・・・、幸せだった。

いろいろな「花の精」を兼ねている人と、その娘分なので、きれいに咲いている花があると、駆け寄っていってしまう。
で、しばらく花を愛でている。
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その様子を見た村の人々が不思議に思って、私に尋ねてくる。
「プロ(芸能人・モデル)の方ですか?」
「プロ」って言えば介護と看護のプロ(しかも凄腕)だけど・・・その意味じゃないよね。
で、私は「いえ、一般人です。普通にお散歩しているだけです」
と答える。

きっと、翌日は集落中の噂になっているだろう。
「俺も見た」「あたしも出会った」「じゃあ、幻じゃねえな」「何だったんだろうね」

だから「花の精」なんだって。

青い空。満開の花々、思い出のお寺、ほんとうに良いお散歩でした。
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春の秩父路3人旅(1日目:新木鉱泉旅館) [旅]

4月9日(火)

西武秩父駅に戻り、一休みの後、お迎えの車で、秩父市街地から山一つ越したところにある「新木鉱泉旅館」(秩父市山田)へ。

もともとは江戸時代の文政10年(1827)創業の秩父34カ所観音霊場の3番「常泉寺」と4番「金昌寺」の間にある古い巡礼宿。
それを、古民家風の旅館にリニューアルし、現在は秩父路でトップクラスのお宿になった。

特別室「ひのきの間」(12畳)に通される。
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一段高いテラスに、檜の円形の露天風呂がある。
下は、横瀬川の絶壁で、風がよく渡る。
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実は、くーちゃんが隠し撮りした、おゆうちゃんと私の入浴写真があるのだが、流出すると、スキャンダル確実なので載せない。

泉質は、単純硫黄冷鉱泉(低張性・アルカリ性・冷鉱泉)で、泉温15度、pH9.24でアルカリ性が強く、とても滑らかなお湯。

18時半、別室に移動して夕食。
別室と言っても、すぐ向かいの部屋で、テーブルは3人だけ。
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陶板焼きのお肉は上州牛(秩父牛というのは聞いたことがない)。
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竹の子、今年の初物。
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焼魚はニジマス(撮り忘れ)。
天麩羅は、3人前。
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デザートの果物たっぷり。
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全体に野菜が多く、やさしい感じのお料理。
もともと食が細いおゆうちゃん、カロリーメントかじりながら激務をこなしているくーちゃん、2人とも満足してくれたようで何より。

部屋に戻ると、お布団が敷いてあった。
ビールの酔いと、お腹いっぱいで、脳貧血気味でダウン。

隣の布団で、2人が戯れている気配で意識が戻る。
どうも、くーちゃんがおゆうちゃんの布団に入り込んで、マッサージしているらしい。
ただ、おゆうちゃんは、身体が温まるマッサージが苦手なので、
「あたしはいいから、お姉ちゃんにしてあげなさい」
と、くーちゃん、追い出されて、こっちに来る。

くーちゃんのマッサージは、ひたすら揺する。
押すではなく、ともかく揺する。
揺すられているうちに、その部分がぽかぽかしてくる。
揺すり動かすことで、血行が良くなる。
私のような血行・循環不全気味の人には向いている。

とても気持ちが良い。
うつ伏せのまま身を任す。
とくに、筋肉の凝りとしびれで、棒のようになっていた左足の膝下がほぐれていくのがはっきりわかる。

「くーちゃん、お世辞じゃなく、すごい技術だよ。マッサージでお金取れるよ、プロになれるよ」
「看護師の仕事だけで十分です」
「高齢の患者さんにやったら、気持ち良くて極楽に逝っちゃうよ」
「それは、看護師としてまずいから、しません」

私は意識が遠のいていたから、わからないが、おゆうちゃんによれば、なんと2時間も揺すっていてくれたらしい。

2人が大きなお風呂に行っている間に、部屋の露天風呂に入る。
星空。
明日は、お花見日和だろう。

安らかな気持ちで眠りに就く。
就寝、1時半。
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4月9日(火)春の秩父路3人旅(1日目:秩父銘仙館) [旅]

4月9日(火)

午前中の東京は大雨で、雨除けのショールはもちろん、着物の袖もぐっしょり。

集合時間(11時)ぴったりに、おゆうちゃん、くーちゃんが出現。

11時30分西武池袋駅発の特急「ラビュー」に乗車。
飯能を過ぎたあたりから雨が小止みになる。
車窓から満開の桜や花桃が見えると、はしゃぐ2人。

12時45分、西武秩父駅に到着。
雨、止んでいる。
お互いの妖力のせいと主張している2人を案内して、徒歩5分ちょっとの「秩父銘仙館」へ。

今回の旅の目的の1つは、銘仙の織成過程を、まだよく理解していないくーちゃんの教育。

まず、秩父銘仙の歴史。
市場に出せない屑繭から紡いだ節糸使った堅牢な自家生産織物(江戸時代~1880年代)から、紡績糸、人工染料、半自動織機を使った近代工場・大量生産織物への発展。
そして、解し織りの発明によるデザイン性の向上。

結果、絹織物としては安価で丈夫にもかかわらず、デザイン性にも優れ、大正~昭和の働く女性の仕事着、お嬢さの普段着に愛用された。

次いで、新旧たくさん展示されている機械を前に、製糸→整経→仮織り→型枠捺染→解し織り、という秩父銘仙の制作過程を、1時間ほどで解説。

特別展示室で、「銘仙ボーイ」という方のコレクションを見る。
なかなか良い物が並んでいたが。技術的にレベルが高い物がほとんど伊勢崎(群馬県)との生産いうのがちょっと悔しい。

受付に私の名刺を出して、「ご相談があるのですが・・・」。
幸い、スタッフさんが私のことを覚えていて、応接室の案内される。
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今回の訪問のもう1つの目的である、私とおゆうちゃんの銘仙コレクションの寄贈について打診する。
幸い、寄贈を受け付けてくださるとのこと

ああ、よかった。
これで、訪問のもう1つの目的を達成。
今すぐではないにしろ。準備にかかれる。

せっかく集めた銘仙、散逸させたくない。
展示されていた物のような上級品ではないが、そもそも銘仙は普及品なのだから、私とおゆうちゃんのコレクションの方が実態を映していると言える。

銘仙館の建物は、秩父銘仙の全盛期(いちばん儲かった時期)。昭和5年(1930)に建てられた。当時、最新流行のアールデコを取り入れたモダン建築で、国の登録有形文化財。

その前で記念撮影。
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お庭の桜も満開だった。
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戸籍の性別取り扱い変更者数 [現代の性(性別越境・性別移行)]

4月8日(月)

戸籍の性別取り扱い変更者数
2004年  97人
2005年 229人
2006年 247人
2007年 268人
2008年 422人  ← この頃、FtMの外観近似要件が緩む
2009年 448人
2010年 527人
2011年 609人
2012年 737人
2013年 769人
2014年 813人
2015年 855人
2016年 885人
2017年 903人
2018年 868人
2019年 948人  累計 9625人
2020年 676人 ← 「コロナ禍」でタイへの渡航困難に
2021年 729人
2022年 889人
2023年 881人  累計12800人

前年比、ほぼ横ばい。
「コロナ禍」(2020・21年)の減少から完全には回復していない。

「はりまメンタルクリニック」の戸籍変更診断書の性比のデータ(2023年 FtM 62人:MtF 47人)を使って推定すると、881人の内訳は、
FtM 501人、MtF 380人
となる。

2023年10月25日の最高裁判決で、女性→男性については、手術要件が無効化したことの影響が、2024年はどのくらい出るか?
5割増で751人+380人で1131人。
倍増で1502人+380人で1882人。
男性→女性の手術要件が外れれば、さらに増える・

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藤原実資の新しい妻が登場 [テレビ批評(光る君へ)]

4月7日(日)

「光る君へ」第14回「星落ちてなお」
藤原実資の新しい妻が登場。
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↑ 腹肉をまさぐる新妻。

新妻(演:真凛)も。先妻・桐子(演:中島 亜梨沙)と同じく「日記にお書きになればよろしいでしょ」と言っている。
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新妻は村上天皇の皇子・為平親王の娘・婉子女王で、花山天皇女御だった人。
死別した先妻は文徳源氏・参議従三位右大弁源惟正の女だったのに比べると、身分が高い。

しかし、婉子女王も長生きしない(998年、27歳で没)。

2人の妻が健康で多くの子女を生み、長命だった道長に比べると、実資は妻子に恵まれなかった。

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ひこばえが花をつけた [日常(花・街・山・猫・蝶)]

4月7日(日)

2年前の2022年5月、秩父の家の桜の老木を、安全のために伐った。
母方の祖父が植えた桜の最後の1本で、推定樹齢は88年以上だった。

昨年、切り株からかなりの量のひこばえが出ていたので、「もしかして花を付けるかな?」と思った。

今日、隣家の奥さんから
「咲きました!」
と写真が送られてきた。
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けっこう、ちらちら咲いている。
うれしい!
樹木の生命力に驚くとともに、さらに育つといいなと思う。
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4年飛んで永祚2年(990) [テレビ批評(光る君へ)]

4月7日(日)

ずっと多忙で、日曜日の夜に自宅にいられず、NHK大河ドラマ「光る君へ」のリアル視聴ができなかった(泣)。

第13回「進むべき道」は、永祚2年(990)正月5日の一条天皇の加冠(元服)のシーンから始まった。
前回(寛和2年=986 8月)から4年も飛んでいて、主要人物の官位などがかなり変化していて戸惑う。

寛和の政変(986年6月)で、悲願の政権獲得を遂げ、摂政となった藤原兼家の子息たちの昇進がめざましい。
       986年7月     990年2月
藤原道隆(37)正三位権大納言 →正二位内大臣
藤原道綱(35)正五位下左近衛少将 →従三位右近衛中将
藤原道兼(29)参議従四位下  →従二位権大納言
藤原道長(24)従五位上右兵衛権佐・蔵人→従三位権中納言 

藤原伊周(16)従五位下  →従四位下左近衛少将・右中弁
(道隆の嫡男)
藤原実資(33)正四位下近衛中将 →参議正四位下
藤原公任(25)正四位下左近衛権中将 →正四位下左近衛権中将・蔵人頭
藤原斎信(24)従五位上左近衛少将 →従四位下右近衛中将
藤原行成(19)従五位下侍従 →従五位上左兵衛権佐

昇進が遅れていた主人公・道長の昇進がすさまじい。
父、兼家が政権獲得した986年中に3回の昇進を重ね(従五位下→従四位下)、さらに987年に従四位上、従三位(正四位下を飛び越し)と進み、そして、988年正月29日、、参議(定員8人)を飛び越して、一気に権中納言に任ぜられた。

左大臣家の婿として恥ずかしくない官位に到達したわけで、すでに妻・倫子との間に、長女・彰子(988年生)が生まれている。
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「胸オペ」の若年化? [現代の性(性別越境・性別移行)]

4月6日(土)

例の本の出版で、思春期ブロッカーの使用に注目が集まっているが。日本で近未来的に。問題(訴訟)が起こるとすれば、「胸オペ(乳房切除手術)」だと思っている。

もちろん、成人が自己決定で行うのならば、問題はない。
問題が起こるとすれば、未成年の「胸オペ」だろう。

「胸オペ」は、健康保険の適用になってから、事例が増加している。
「ガイドライン」では「18歳以上」となっているが、どうも若年化の傾向が見られるようだ。

実際、「16歳で」という事例を聞いたことがある。  

また、当事者の間で、12歳で思春期ブロッカーの投与開始、15歳でクロスホルモンに切り替え、その後、胸オペ、18歳で子宮・卵巣摘出&戸籍性別変更、という「早上がりコース」がイメージされているとも聞く。
高校を卒業して社会に出る、あるいは大学に進学する前に「全部、済ませてしまう」ということだ。

小学校入学時から男児扱いの女の子、女児扱いの男の子の場合は、それが早くて周囲に気づかれないルートなので、仕方ないと思う。

しかし、そうでなく、思春期になって急性発症する性別違和の「胸オペ」希望は、慎重に対処しないと、まずいと思う。
なぜなら、「胸オペ」は議論の余地無く不可逆的だから。
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明治8年(1875)の川崎「金山神社」 [性社会史研究(一般)]

4月6日(土)
松崎貴之さんという、ともかく昔の新聞をたくさん読んで記事を拾うことを趣味(生きがい)にしている方が、明治8年(1875)の『横浜毎日新聞』(10月28日・11月8日)に川崎の「金山神社」についての記事を見つけてくださった。
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↑ 『横浜毎日新聞』明治8年(1875)10月28日
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↑ 『横浜毎日新聞』明治8年(1875)11月8日

すでに明治初期に「かなまらさま」が「淫祠」として摘発(弾圧)されていたことが判明した。
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