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私の振袖 [着物]

1月11日(月・祝)

私が40歳の時に購入した大振袖(黒地銀ラメ、裾に曙模様)は、「三松」のモデルさん(たしか黒谷友香さん)が広告撮影で着たもののお下がりだったので、5万円だった(正価は60万円くらいだったと思う)。

少なくとも5回は着たから、まあコストパフォーマンスは良いと思う。
1996年お正月
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2009年お正月(築地本願寺)
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時代劇の着物の色がおかしい [着物]

6月8日(月)

時代劇の着物の色が、染色史的におかしい、という話。
明治初期以前の着物の色は、基本的に、白(生成り)、黒、水色(浅黄色)、黄土色、茶色が中心。
これらを発色する植物はけっこうあり、比較的安価に染められるので、庶民の着物はだいたいこの色味。

黄色は、黄肌や梔子(くちなし)で染まるが、もっと深みのある黄色は、コブナグサ(黄八丈)やハマナス(秋田八丈)を使うので希少。

黄色に水色を染め重ねると緑色になるので、薄い緑色の着物はあるはず。
ただ、濃い鮮やかな緑色になると難しい。

薄い赤(茜色)は、アカネで比較的簡単に発色する。
濃い赤は、茜を何度も重ねる(材料を大量に使い、手間もかかる)か、南蛮渡来の蘇芳で染めるしかないので高価。
紅(紅花)の赤はもっと高価で、糸を染める(それで刺繍する)ことはあっても、面積のある布を染めることはまずない。
だから、長屋の娘が真っ赤な着物を着ているはずがない。

藍色も、藍汁に1度漬けただけの水色なら安価だが、何度も染め重ねる濃く深い藍色だと,、高価になる。
大店の主人が濃い藍の唐桟を着ているのは納得だが、長屋の熊五郎が着ていたらおかしい。

紫色は、本来、高価な紫根を大量に使って染めるので、いちばん高価。
なので、赤と藍を染め重ねた偽紫(にせむらさき)が多かったはず。

日本で、化学染料が導入され鮮やかな濃い色が安価に染められるようになる(染色革命)のは、だいたい明治時代の中頃(1890年代後半)以降。
日本文学でいうと、樋口一葉が描いている世界は、それ以前。

こういう(今、私が10分くらいで書いた)知識って、ドラマの演出家だけでなく、学術(文学・歴史)研究者も意外と知らない(というか気にしていない)。

4
渡邊 さゆり、香川 則子、他2人

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伊勢崎銘仙の新動向 [着物]

4月15日(水)

伊勢崎銘仙の新動向についての金井珠代さんの記事。

『上毛新聞』2020年4月8日。
加賀谷富士子さん(群馬県議会議員)に送っていただく(感謝)。

伊勢崎は、1920~60年代、銘仙の4大産地(群馬・伊勢崎、埼玉・秩父、栃木・足利、東京・八王子)の中でも、生産量が多く、最も優れた技術を誇ったところ。
伊勢崎には、もうだいぶ前になるが、群馬大学医学部の講義の後、「伊勢崎織物会館」の銘仙の展示を見に行った。
新しい動きがあるようなので、コロナ禍が収まったら、また行ってみたい。
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3月20日(金・祝)銀座松屋「いせさきメイセン展」 [着物]

3月20日(金・祝) 晴れ 東京 19.4度  湿度24%(15時)

10時、起床。
13時、家を出る。
東急東横線(中目黒駅乗換)東京メトロ日比谷線で銀座駅へ。
地下道を歩いて「松屋銀座」へ。

第764回デザインギャラリー1953企画展「いせさきメイセン -メイセンは二度死ぬ-」を観る。
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【解説】
この度、日本デザインコミッティーでは、第764回デザインギャラリー1953企画展として、「いせさきメイセン -メイセンは二度死ぬ-」を開催します。銘仙は、明治から昭和初期にかけて女性を華やかに彩った絹織物の日常着。その代表的な産地である群馬県伊勢崎市で生産された「併用絣(へいようがすり)」は経糸(たていと)と緯糸(よこいと)の双方に絣糸(かすりいと)を用いて複雑な図柄を織り上げる世界でも類をみない技術です。
本展では⼀度は廃れたこの「併用絣」が、関係者の熱意によって2016年に奇跡的に復元されるまでの経緯を、新旧の豊富な銘仙コレクションとともにご紹介します。
近年、銘仙は著名なファッションデザイナーに影響を与えるなど海外での評価が高まっており、このたび復元された「いせさきメイセン」もイギリスのヴィクトリア&アルバート博物館(V&A)への収蔵が決まっています。今、世界が注目する伊勢崎銘仙の驚くべき技術と斬新なデザインの世界をこの機会にぜひお楽しみください。

主催:日本デザインコミッティー
共催:「いせさき銘仙の日」記念イベント実行委員会
協力:杉原みち子、金井珠代
展覧会担当:須藤玲子
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展示は、布の状態で短30点、長10点?、それに着物(コーディネート)の状態で2点。
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さすがに、デザイン的に優れたものが多く、伊勢崎銘仙の特徴(特技)である緯綜、併用絣のものが多く展示されていた。

ただ、私とYUKOの銘仙コレクションは、着物としての銘仙、着装状態のイメージを重視するので、やや視点が違うなと思った。

(参考)
順子の「銘仙図鑑」
https://junko-kimono.blog.ss-blog.jp/archive/c2303196926-1
YUKOの「気軽に楽しく美しく・銘仙の時代の女」
http://blog.livedoor.jp/yukononono-12/


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月岡芳年「東京自慢十二ヶ月」に描かれた着物 [着物]

8月4日(日)

月岡芳年「東京自慢十二ヶ月・六月・入谷の朝顔」(1880年)
月岡芳年「東京自慢十二ヶ月・六月入谷の朝顔・新橋・福助」(1880年) - コピー.jpg
モデルは新橋芸者の福助。
水色の地に猫柄の浴衣、欲しい人、たくさんいそう(にゃあ、にゃあ、ほしいにゃあ)。


月岡芳年「東京自慢十二ヶ月・九月・千駄木の菊」(1880年)
月岡芳年「東京自慢十二ヶ月・九月千駄木の菊・根津八幡楼・小桜」(1880年) - コピー.jpg
モデルは根津遊廓・八幡楼の小桜花魁。
藍地に絞染めで麻の葉柄の半襟、紅地に同じ柄の掛け襟の対照がおしゃれ。
着物の柄は、水に流れる紅葉。

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銀座「いせよし」のコピー [着物]

6月20日(木)

Twitterで批判が集中している、銀座の着物屋「いせよし」のコピー。
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「着物を着ると 扉がすべて自動ドアになる」

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「ハーフの子を産みたい方に」

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「ナンパしてくる人は減る。ナンパしてくる人の年収は上がる」

たしかに、着物を着ていると、現象としては、ドアを開けてくれる人は増える。
外国の人は民族衣装として敬意を払ってくれる。
ナンパしてくる人の年齢層は確実に上がるから、中には年収の高い人もいるだろう。

でも、それが目的で着物を着るんじゃない。
そうした功利的な理由で着物を着るのは、いささかあさましいと思うし、着物屋が「それを言ったらおしめえよ」。
着物が好きだから、着物を着るのだ。



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銀座いせよし、広告コピー(博報堂・志水雅子)炎上「ハーフの子を産みたい方に」「ナンパしてくる人の年収は上がる」

東京都中央区銀座にある着物の販売店(呉服屋)「銀座いせよし」の広告コピーが批判を浴び炎上している。

といっても、炎上している広告コピーは2016年のもので、しかも広告業界の賞まで受賞しているものだ(詳細は後述)。
以下の画像はポスターの一部。

博報堂のコピーライター、志水雅子さんの作品だ。このコピーで新人賞を受賞しているので、割と若い人だと思われる。

「ハーフの子を産みたい方に。」一見して意味がわからないが、他のコピーとあわせてみると、その思想、世界観が伺える(後述)。

銀座いせよし公式サイトによると、「伊勢由」は明治元年(1872年)創業。

店主の千谷美恵さんは「伊勢由」の三女として生まれ、米金融シティバンクに勤務した経験により日本文化の大切さを再認識したとのことで家業を継ぐことに。その後「伊勢由」とは方向性が違うということで独立したとのこと。

今回の炎上のきっかけは、6月18日に投稿されたある別のコピーライターの指摘とみられる。

ハーフの子供を産むことを、ひとつのステータスと捉えるようなメッセージに、むちゃゾワっとした。。。 pic.twitter.com/o1fjcz3zhU
— ほりいさやか (@horiisayaka) 2019年6月18日

ここからジワジワと燃え広がり、6月19日の夜になり一気に炎上した。

3年前、2016年6月20日の銀座いせよしのブログには、このコピーが「東京コピーライターズクラブ新人賞に入選した」と誇らしげに報告されている。

掲載されている一連のキャッチコピーは以下だ。

・着るという親孝行もある。
・ナンパしてくる人は減る。ナンパしてくる人の年収は上がる。
・着物を着ると、扉がすべて自動ドアになる。
・スマホでしか撮らなかったことを、久しぶりに後悔した。
・ハーフの子を産みたい方に。

おそらくこれらのキャッチコピーの世界観では、着物を着ると、年収の高い人や外国人男性が言い寄ってきて、親切にしてくれて、年収の低い人は退散し、親孝行になって、デジカメで撮らなかったことを後悔する・・・・・・という冗談なのかマジなのかわからないが。

さて、前述の通りこの「ハーフの子を産みたい方に。」というコピーは、日本最大のコピーライター・CMプランナー団体「東京コピーライターズクラブ(TCC)」の新人賞に入選した。

当時のPRtimesの記事によると、その時グランプリとなったコピーはau三太郎シリーズの「みんながみんな英雄。」(電通の3名による)

最優秀新人賞は、電通九州の渡邊千佳氏による「名もなき一日を走る。長崎バス」。
そして20以上ある新人賞入選作の一つとして(一番末尾に)以下のようにある。

志水雅子(博報堂)
【代表コピー】ハーフの子を産みたい方に。

2019年06月20日01:39
http://blog.livedoor.jp/ninji/archives/53507347.html


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10月7日(日)北山晴一ゼミ「秩父銘仙巡見」 [着物]

10月7日(日)  晴れ  秩父  30.3度  湿度57%(15時)

「化粧文化研究会」でお世話になっている北山晴一先生の「秩父銘仙巡見」のご案内。

秩父銘仙館→秩父蕎麦の名店「やなぎや」→ 数少なくなった銘仙工場「逸見織物」(秩父市黒谷)の見学と、充実した半日だった。

でも、ともかく暑くて暑くて、消耗。

「ちちぶ銘仙館」で、銘仙の羽織を着て遊ぶ北山晴一先生たちを撮影していて、あれ?って気づく。
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背後の壁面に掲げられている秩父織物組合の歴代組合長の写真の左端。
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えっ、私のひいじいちゃん(母方の曽祖父・柏崎才一)って、初代組合長だったの?
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そう言えば、そんな話を聞いた覚えもかすかにあるけど、初代だったとは・・・。

まあ、京都所司代・松平容保(会津藩主)の側近として幕末動乱の京洛で奔走、榎本武揚のもと土方歳三(新撰組副長)などと共に箱館・五稜郭で戦って、秩父事件(明治17年=1884)の後、秩父警察署長になった人だから、時代を考えたら、そうだよね。

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麻の葉柄の綿絽 [着物]

8月1日(水)

今夏、仕立てた綿絽(京都・紫織庵)。
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少し暈しが入った青紫の地に、白で大きな麻の葉柄。
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3月8日(木)浅草へ 下駄の受け取り [着物]

3月8日(木)  雨  東京  6.6度  湿度100%(15時)

11時、起床。
朝食は、りんごデニッシュとコーヒー。
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13時15分、家を出る。
本降りの冷たい雨。
途中、後ろから空車のタクシーが来たので、武蔵小杉駅まで乗ってしまう。

昼食は、駅構内の「しぶそば」。
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↑ 甘皮筍とたらの芽天そば(480円)

東急東横線(渋谷駅乗換)東京メトロ半蔵門線(表参道駅乗換)同銀座線のルートで浅草へ。

昭和の名残が濃厚にただよう「浅草地下商店街」。
現存するものとしては日本最古の地下商店街。
1955年1月の開業なので、私と同じ歳。
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木曜定休なので開いているお店が少なく、いっそう侘しい。
それにしても天井が低い。
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階段、捻れているように見える。
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花川戸の履物問屋「長谷川」で、鼻緒すげをお願いしてあった下駄を受け取る。

長年愛用していた焼き桐の下駄がついに焼き(風塗装の)桐の下駄になってしまったのがショック。
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やっぱり質感がかなり違う。
昔は、何回か履くうちに(足袋裏がすこし黒くなる分)、艶が出てきたのだけど、焼き風塗装だと、履かないうちからピカピカしている。

時代の流れで仕方がないのかもしれないが、やっぱり寂しい。

もう1足は、白木の右近下駄。
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成人式の振袖 [着物]

1月10日(木)

成人式で女子がこぞって(ほぼ100%)振袖を着るようになったのは、そんなに古いことではない。
たぶん1960年代後半に始まり1970年代に成立した習俗だと思う。
いわゆる「団塊の世代」(1947~49年生)が成人を迎えた1967~69年あたりに始まるのではないだろうか。
つまり、高度経済成長以降の「一億総中流化」の産物。

階層格差が少なくなった時代の習俗が、階層格差がどんどん拡大していく時代に廃れていくのは、ある意味、当然のなのかもしれない。
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