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性社会史研究(性別越境・同性愛) ブログトップ
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変名を使う人 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

12月29日(木)

いろいろ変名を使う人(東京の女装世界の大御所だった人)、客観的に見て(エピソードの一致など)、同一人物であることは確実。

もう面倒くさい(学問的にややこしい)ので、「論文」では、全部、一つの名前(女装名)に統一。

引退されてから、来年で10年だから、もういいでしょう。
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12月24日(土)帰宅 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

12月24日(土)

10時にホテルをチェックアウト。
地下鉄谷町線で阿倍野へ。

今、書いている論文「唄子を探して」の現地調査。

寒いので、あまり無理をせずに切り上げて御堂筋線で新大阪駅へ。
1時間早い新幹線に変更。

12時33分発予定の「のぞみ140号」、雪の影響で5分遅れ。
湖東平野は真っ白、関ヶ原付近は吹雪。
徐行の影響で名古屋駅15分延発。
その後、少し遅れを取り戻し、新横浜駅に7分遅れで到着。

16時30分、帰宅。

休む間もなく、クリスマス・シチューの仕上げにかかる。
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「平成の三大女装者」の動画インタビュー、撮っておきたい [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月5日(土)

「平成の三大女装者」の動画インタビューは、ぜひ撮っておきたい。

いちばん年長のキャンディ・ミルキィさんは、「アマランス」のトークライブで撮ったけど、もう少し補充インタビューをしたい。
もう1度、呼んでもらおうか?

次に年長の宮崎留美子先生は、たぶん今までインタビュー調査がないので謎な部分が多い。
いろいろ尋ねたいこともあるので、3時間×2回くらい必要だろう。
ご本人への謝礼が1回2万、撮影&編集者の謝礼が5万、会場費1万で、10万円くらいでできるかな?

「セーラー服おじさん」は、私より若いから、最後でいいと思うけど、この油断が後悔につながった苦い経験は何度もある。
男性の60代はいつなにがあってもおかしくない。
やはり予算10万円として、3人で25万円あればできそう。

資金はなんとかなるとして、最大の問題は、インタビューする側の私に、それだけの時間的余裕があるか?ということ。
高齢者が高齢者にインタビューするというのは、けっこう厳しいものがある。

まあ、来年、様子を見ながら着手してみよう。
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「装いの力ー異性装の日本史」の紹介記事 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月15日(木)

渋谷区立松濤美術館の企画展「装いの力ー異性装の日本史」の紹介記事(『朝日新聞』2022年9月13日夕刊)。
朝日新聞20220913夕刊 - コピー.jpg
詳細で、丁寧に取材している良記事だが、1つ明白な間違い。
3段目中頃「(18)80年に法令がなくなった後も」

異性装の法的禁止が解かれるのは、異性装の禁止を規定した違式詿違条例が、明治刑法(1882年1月1日施行)の違警罪に継受されなかったことによる。

したがって、「(18)82年に法令がなくなった後も」が正しい。

なぜ、こんな間違いが生じたのか?と、調べたら、なんと図録の解説(170頁上段)が間違っていた。

私は、自分の出品物についての解説は校正段階でチェックさせていただいたが、図録全体を監修する立場ではない。
(そこらへんの年次は頭に入っているので、チェックしていたら、すぐに気づく)

もし、図録が増刷されるのなら、訂正してもらおう。
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新宿歌舞伎町のゲイバー「アドニス」の位置 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月13日(水)

ゲイ・アクティビストの最長老・南定四郎さんが65年?前に行った新宿・歌舞伎町のゲイバー「アドニス」。

今年4月、その思い出深い跡地にご案内したのだが、今、あらためて当時の住宅地図と航空写真で確認したらドンピシャだった。
アドニスの位置 - コピー.jpg アドニスの位置.jpg
1965年の住宅地図。

文字通り、そこに立っていただけた。
歴史地理学のささやかな勝利。

戦後新宿のゲイバーの内、東口「二幸」裏の逆コの字形の路地にあった「夜曲」は、路地ごとビルになっていて旧観をとどめていない。
新宿「夜曲」(1963) (2) - コピー.JPG
新宿「夜曲」(1963) (1).JPG

明治通り東側の映画館街(新宿三丁目)の裏通りにあった「イプセン」は、ビルは建て替わっているが、地割はそのままで、所在地の見当はつく。
イプセン(1965) (2) - コピー.JPG
イプセン(1965) (3) - コピー.JPG
そして、歌舞伎町区役所通り東側「柳街」にあった「アドニス」は、長らく空き地だったが、近年「シタディーン新宿東京」という滞在型ホテルが建ち、1階は「ローソン」になっている。
その敷地の南東隅が「アドニス」の跡地。

1960年代前半、新宿における最初のゲイバー集中地だった「千鳥街」(新宿御苑の北側)は、御苑大通りの南への延長工事で、1967年末~68年初に解体・立ち退き(現状は道路とグリーンベルト)。
その一部店舗が集団移転したのが、現在の二丁目「新千鳥街」。



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トークセッション「Drag Queen in Japan ~異性を装うとは何か? 」のPP資料 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月9日(金)

10月9日の松濤美術館企画展「装いの力―異性装の日本史」スペシャル・トークセッション「Drag Queen in Japan ~異性を装うとは何か? ジェンダーとセクシュアリティの見地から~」のPP資料を作り始める。

司会の私は、前振りと大枠だけ作ればいいので楽。

あとは、シモーヌ深雪さんとブブ・ド・ラ・マドレーヌさんにおおいに語っていただく。

歴史事象的にいうと、日本でドラァグ・クイーンという形態が知られるようになったのは、ニューヨーク・ハーレム地区の「ドラァグ・ボール」(drag ball)に集まる黒人・スパニッシュ系のゲイ世界を記録したドキュメンタリー映画『パリ 夜は眠らない』(原題:Paris Is Burning、Jennie Livingston監督、1990年制作)。
パリ 夜は眠らない.jpg
日本公開は1992年11月の「GAY&TRANSSEXUAL/OUR LIFE」(六本木シネセゾン)。
私も、そこで見て、初めてDQの存在を知った。

この頃、現在美術家の古橋悌二さんの活動がある。
1984年、パフォーマンス集団「ダムタイプ(Dumb Type)」を結成。
1994年、映画「DIAMOND HOUR」に古橋が扮するDQ「ミス・グローリアス」が出演。
ミス・グローリアス(古橋悌二).jpg
古橋さんの活動は、日本におけるDQの起源として重要だが、1995年10月に逝去されたこともあり、広く知られることはなかった。。

次のエポックは、オーストラリア映画『プリシラ』(1994年制作)。
海辺の街シドニーに住む3人のDQが、オーストラリア大陸の中心アリススプリングのホテルで開かれるショーに出演するため、バス「プリシラ号」に乗って旅をする物語。
プリシラ.jpg
日本公開は1995年8月。
広大な砂漠とDQのド派手な衣装の対比が実に印象的で、かなり評判になった。

で、その翌年、1996年12月に、初の日本人DQの写真集(マーガレット、ルチアーノ、ホッシー)『DRAG』(デラフィック)が出版される。
DRAG.jpg

私が最初にDQに会った時。のは、その頃。
960308-2 (3).jpg
1996年3月、マーガレット小倉さんと。

つまり、日本におけるドラァグ・クイーンカルチャーの社会的顕在化は、1990年代前半から中頃(1992~96年頃)に進行したということ。

これが骨格で、あとは、シモーヌさん、マドレーヌさんに肉付けしてもらう予定。



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個人保存は、もう限界だし危ない [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月8日(木)

松濤美術館の内覧会の日、キャンディ・ミルキィ師をご案内しながら、衝撃的だったのは、展示品の女装雑誌『ひまわり』創刊号について、「ウチにもない」とおっしゃったこと。

10年くらい前の感覚だったら、『ひまわり』のバックナンバーは、編集・発行人のキャンディ師に頼めば、出てくる、と思っていたが、もうそうではないということ。

今回の展示品の内、「演劇評論」は私の所蔵品以外古書市場で見たことがなく、おそらく、この世に現存1~2点と思われる。
『風俗奇譚』も完全収集はもう困難。
どちらも、丸善雄松堂の「性社会文化史アーカイブ」に全文収録して、できる限りの保全措置はとった。

二大女装雑誌『くいーん』『ひまわり』も、近々、同様の保全措置が必要になるだろう。

完全収集は、ウチと、某大学に死蔵されている分だけかも。

昨日、朝日新聞の記者さんと話したことだけど、ドラァグ・クイーンの舞台映像なども、できるだけ公的な場所にアーカイブを作って保全しておくべき。

誰かが映像を持っている、という個人保存は危ない。
その人に何かあった時、あっけなく失われてしまう。
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女装商業雑誌の失敗 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月3日(土)

日本最初の商業異性装雑誌『CROSS DRESSING』(光彩書房)の創刊号(1991年12月)と第2号(1992年4月)。
『クロスドレッシング』創刊号(1991).jpg『クロスドレッシング』2号(1991年).jpg
記録的な返本の山で、「3号雑誌」にも届かず、2号であえなく廃刊。

商業雑誌にしては知性的に過ぎ、逆にエロ度が少なすぎたのが敗因。

時期的にも5年早すぎたと思う。
残念ながら、今回の「装いの力 ー異性装の日本史」展では、展示する余裕がなかった。

『CROSS DRESSING』の大コケの後も、同じく光彩書房から『innerTV』が刊行され、3号で廃刊(1994年1月~8月)、『女装読本』(1994年12月)は1号で廃刊と、商業女装雑誌はまさに死屍累々。

意欲はあっても戦略がなく、正直言えば、「この人、編集者なのに、なんで一貫の女装者(私)よえい、世間を知らないのだろう?」と不思議に思った記憶がある。

やはり、エロ(ヌード・グラビア)がなければ売れないという判断で、「脱げる」プロ中心の『ニューハーフ倶楽部』(三和出版)創刊(1995年3月)となる。
『NH倶楽部』創刊号.jpg
そこらへんの流れ(女装商業雑誌の失敗)、ずっと関わっていたのだけど、よく考えたら、まとめて書いたことはなかった。

もう誰も興味ない(誰もインタビューに来ない)だろうから、詳しい話は、お墓まで持って行く。
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カラーフィルムを使うのは・・・ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

8月10日(水)

講演のPP資料作成のため、1960~80年代に活動した女装秘密結社「富貴クラブ」の写真をチェックしていて、あることに気づく。

1960年代末~70年代初、まだ貴重だったカラーフィルムで撮影されているのは、若手のきれいな女装会員ばかりなことに。
fu5-20 - コピー.jpg夢野すみれ(中野部屋:1973~74年頃) - コピー.jpg
おそらく、撮影者である西塔会長さん(男性)は、高価なカラーフィルムは、お気に入りの「娘」にしか使わなかった、ということだと思う。

気持ちはわからないわけではないが、けっこう露骨な話。
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8月5日(金)松濤美術館に資料を搬入 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

8月5日(金)

渋谷区立松濤美術館に、9月から始まる企画展「装いの力ー異性装の日本史」の展示資料を搬入。

手提げ袋に入れた資料を、担当学芸員さんに「はい。よろしく」と渡して、帰れるかというと、そういう訳にはいかず・・・。

搬入したのは、絵葉書1セット、書籍2点、雑誌3種5点、女装同好会の会誌10冊。
学芸員さん2人がかりで、1点、1点、チェックして、現状(どこに破れがある、傷がある)を記録し、写真を撮る。

「そんなたいした物じゃないから、適当でいいですよ」と言いたいが、一応、学芸員資格を持っているので、この作業が「基本」だということも分かっているので、言えない。

45分後、ようやく「預かり証」をいただく。

で、重要文化財の江戸時代の若衆振袖(東京国立博物館所蔵)と、1960年代の性風俗雑誌『風俗奇譚』や、1990年代の女装雑誌『くいーん』『ひまわり』が同列に(展示資料として)並ぶことになった。


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