12月19日(土)メゾ・ソプラノの田中淑惠(よしえ)先生のリサイタル [映画・コンサート]
12月19日(土) 雨 東京 7.6度 湿度70%(15時)
14時、冷たい雨の中、千駄ヶ谷の「津田ホール」へ。
年末恒例のメゾ・ソプラノの田中淑惠(よしえ)先生(国立音楽大学大学院教授)のリサイタル。
プログラムは、山田耕筰の「待ちぼうけ」、「ペチカ」、「鐘がなります」に始まり、フランツ・シューベルトの歌曲6曲。
「ます」は、高校の音楽の授業で習ったのを思い出した。
白銀のドレスが素敵。
後半は、ロベルト・シューマンの歌曲5曲の後、オペラのアリア3曲。
アンブロワーズ・トマの:歌劇「ミニョン」より「君よ知るや南の国」
アミルカレ・ポンキエッリの歌劇「ラ・ジョコンダ」より「貴婦人の声か、それとも天使の声か」
ガエターノ・ドニゼッティの歌劇「ファヴォリータ」より「ああ、私のフェルナンド」
最後の「ああ、私のフェルナンド」は大熱唱。
やっぱり、田中先生は声にも姿にも華があるから、オペラが似合うなぁ。
アンコールは3回。
ルドルフ・ジーツィンスキー「ウィーン わが夢の街」
モーツアルト「アベ マリア」
グリーグ「春に寄せて」
↑ 田中先生を囲んで、学芸大学東口商店街にあった居酒屋「一善」の仲間と。
わっ、私、レンズの収差で歪んでる。
↑ 歪んでない今日の私。
14時、冷たい雨の中、千駄ヶ谷の「津田ホール」へ。
年末恒例のメゾ・ソプラノの田中淑惠(よしえ)先生(国立音楽大学大学院教授)のリサイタル。
プログラムは、山田耕筰の「待ちぼうけ」、「ペチカ」、「鐘がなります」に始まり、フランツ・シューベルトの歌曲6曲。
「ます」は、高校の音楽の授業で習ったのを思い出した。
白銀のドレスが素敵。
後半は、ロベルト・シューマンの歌曲5曲の後、オペラのアリア3曲。
アンブロワーズ・トマの:歌劇「ミニョン」より「君よ知るや南の国」
アミルカレ・ポンキエッリの歌劇「ラ・ジョコンダ」より「貴婦人の声か、それとも天使の声か」
ガエターノ・ドニゼッティの歌劇「ファヴォリータ」より「ああ、私のフェルナンド」
最後の「ああ、私のフェルナンド」は大熱唱。
やっぱり、田中先生は声にも姿にも華があるから、オペラが似合うなぁ。
アンコールは3回。
ルドルフ・ジーツィンスキー「ウィーン わが夢の街」
モーツアルト「アベ マリア」
グリーグ「春に寄せて」
↑ 田中先生を囲んで、学芸大学東口商店街にあった居酒屋「一善」の仲間と。
わっ、私、レンズの収差で歪んでる。
↑ 歪んでない今日の私。
12月19日(金)「Naomi Grace クリスマス・ディナーショー2014」 [映画・コンサート]
12月19日(金) 晴れ 東京 9.5度 湿度34%(15時)
18時半、芝のホテル「プリンス パークタワー東京」」へ。
イルミネーションがとてもきれい。
今夜はこのホテル1Fホールの「Melody Line」で、年末の恒例となったジャズ・ポップの美しき歌姫「Naomi Grace クリスマス・ディナーショー2014」。
美しい歌声のクリスマスソングを堪能して、久しぶりに楽しい夜だった。
ナオミさん、「第30回日本ジャズボーカル賞2014」を受賞、おめでとうございます。
https://www.youtube.com/watch?v=qBcTZnjdrDI
お誘いくださった「シーズン・コンサルティング」の原田社長、ありがとうございました。
(付録) 今夜の東京タワー
↑ 通常バージョン
↑ ハートが浮かんだ
↑ イルミネーション・バージョン
18時半、芝のホテル「プリンス パークタワー東京」」へ。
イルミネーションがとてもきれい。
今夜はこのホテル1Fホールの「Melody Line」で、年末の恒例となったジャズ・ポップの美しき歌姫「Naomi Grace クリスマス・ディナーショー2014」。
美しい歌声のクリスマスソングを堪能して、久しぶりに楽しい夜だった。
ナオミさん、「第30回日本ジャズボーカル賞2014」を受賞、おめでとうございます。
https://www.youtube.com/watch?v=qBcTZnjdrDI
お誘いくださった「シーズン・コンサルティング」の原田社長、ありがとうございました。
(付録) 今夜の東京タワー
↑ 通常バージョン
↑ ハートが浮かんだ
↑ イルミネーション・バージョン
5月30日(金)浜野佐知監督・山崎邦紀脚本、映画『BODY TROUBLE ―ボディ・トラブル―』 [映画・コンサート]
5月30日(金) 晴れ 東京 29.0度 湿度49%(15時)
9時、起床。
シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
髪にあんこを入れて頭頂部で結わえて、黄色のシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、黒のトートバッグ。
12時過ぎ、家を出る。
かなり気温は上がっているが、風があり、湿度が低いので、それほど汗はかかない。
東急東横線で学芸大学駅で移動。
「クロネコ」出張所で宅急便を受け取った後、昼食。
何年かぶりでカレーの「coco壱番屋」へ。
↑ インドカレー(チキン)の2辛(ご飯200g)
予想以上に辛くてかなり発汗。
↑ 卵サラダ
以前よりお皿が大きくなり量が増えた?
東急東横線(渋谷駅乗換)京王井の頭線(明大前駅乗換)京王本線と乗り継ぐ。
柴崎は、初めて降りる駅。
何度も通過しているはずだが「そんな駅あったっけ?」という感じ。
駅を出るとすぐに細い道で、駅前広場もなく、駅前商店街もほとんどない小さな駅。
でも、都市地理学の「お約束」である「駅前の果物屋」はちゃんとあった。
なぜこここに来たかというと、調布市の「東映ラボ・テック」で、浜野佐知監督・山崎邦紀脚本の映画『BODY TROUBLE ―ボディ・トラブル―』( 制作:浜野組・旦々舎、R15指定、90分)の完成試写会があったから。
この映画、引き籠りのニートの駄目駄目青年が、ある朝、起きてみたら、AV女優並の美女に変身していたという、今どき素人が書く小説もどきでも「それはちょっと」と言われそうな超ベタな設定。
男が女になるのに、何の苦労もなく若くて魅力的な美女になれるのだったら、こんな楽なことはない。
その後も、トランスジェンダーの実践者からすると、まじめに見たら腹が立つような、リアリティのない展開が続く。
山崎さんの脚本は、植島啓司『男が女になる病気―医学の人類学的構造についての三〇の断片―』に起点があるそうだが、この本は1980年の初版。
私も若い頃に読んだし、当時としてはいたって斬新な内容だが、はっきり言って、今では古い。
その後34年間のトランスジェンダー論の進展は、自分で言うのもなんだが、相当の進展がある。
「そんな昔の本じゃなく、私が書いたもの、読んでよ!」 と言いたくなる。
でも、これが脚本家の山崎さんが30数年間温めてきた妄想、もとい、ファンタジーなのだと思えば、腹も立たず、けっこう楽しく見ることができた。
23年前、日本初の商業ベースの女装雑誌『クロス・ドレッシング』(光彩書房、1991年12月)を編集し、「返本率7割」という驚異的な数字を記録した山崎さんの長年の想いが形になってほんとうに良かったと思う。
この世知辛い世の中、観客の批評とか、採算とかをほとんど考えず、芸術家が自分のセクシュアル・ファンタジー(性幻想)に忠実に、これだけの映像を作れるって、めったにないことで、それだけでも素晴らしいことだと思う。
山崎さんの妄想がてんこ盛りの脚本に浜野監督は相当に苦労されたらしい。
でも、やはりちゃんと浜野監督の作品になっている。
映像の美しさはいつものことだし、登場する男たちは例外なく駄目駄目で、女たちはそれぞれにかっこいい。
フィルムに強い愛着を持っている浜野監督にとって、初のデジタル制作作品。
「監督がフィルムと心中しちゃうのではないか」と心配していた私としては、監督が「デジタルも面白かった。また100本くらい撮りたくなった」とおっしゃっていたのが、いちばんうれしかった。
主演の愛田奈々さんは、男性の意識を残しながら美女になった主人公の戸惑いと、女性としてのぎこちなさを上手に表現していて新境地。
ゲスト出演の菜葉菜さんは前世は男性だった女性を演じて、「百合子、ダスヴィダーニヤ」の湯浅芳子役に続き、レズビアン心を刺激するかっこいい役。
トランスジェンダー論の専門家としては、指摘したいことはいろいろあるが、1つだけ、興味深く思ったポイント。
引き籠りの青年が、女になった途端に、なぜか外を平然と歩けるようになり、初対面の人間とちゃんとコミュニケーションを取れるようになる。
エロ本の山があちこちにある万年床の乱雑極まる屋根裏部屋がだんだんきれいになり最後は布団も畳まれる。
つまり、駄目駄目な人間がどんどん真人間になっていく。
男から女に変わったことで、性別だけでなく人間性が改善されるのだ。
こうした設定は、映画『僕の中のオトコの娘』(窪田将治監督・脚本、2012年)でも見られたが、『BODY TROUBLE ―ボディ・トラブル―』ではもっとあからさま。
最初は駄目息子が女になったことをまったく信じず冷たく突き放す主人公の母親が、最後には「まともな人間になるんだったら女になるのも悪くないね」みたいなことを言い出す。
現実には、男で駄目な人間は、ほとんどの場合、女になっても駄目なわけで、女性になることで、すべてが良い方向に動き出す、というのはまったくのファンタジーだ。
でも、そうしたファンタジーは意外に広く共有されているのかもしれない。
先ほど、トランスジェンダーの実践者が、まじめに見たら腹が立つ、と言ったが、世の中、トランスジェンダーの実践者よりも、トランスジェンダー願望を密かに抱きながら実践できない男性の方がずっと多い。
私の経験からすると、女装者好きの男性のかなり(半数以上)は、ほんとうは自分が女になりたいのだ。
この映画は、そうした女性への性転換願望(「女になりたい」)を密かに抱いている男性、さらに女性に性転換したどこか双性(Double Gender)的な魅力がある人と女同士でいちゃいちゃ遊びたい女性に、お薦めの映画だと思う。
【追記】この映画評、脚本の山崎邦紀さんのお心をかなり傷つけてしまったようで、長年、お付き合いいただいた者として、たいへん申し訳なかったと思う。
ただ、トランスジェンダー論を専門とする者としては、これでもかなり肯定的に批評したつもり。
それが、お心に叶わなかったのは残念だが、映画芸術に疎い者の妄言として無視していただければと思う。
9時、起床。
シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
髪にあんこを入れて頭頂部で結わえて、黄色のシュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(3分袖)、黒のレギンス(5分)、黒のサンダル、黒のトートバッグ。
12時過ぎ、家を出る。
かなり気温は上がっているが、風があり、湿度が低いので、それほど汗はかかない。
東急東横線で学芸大学駅で移動。
「クロネコ」出張所で宅急便を受け取った後、昼食。
何年かぶりでカレーの「coco壱番屋」へ。
↑ インドカレー(チキン)の2辛(ご飯200g)
予想以上に辛くてかなり発汗。
↑ 卵サラダ
以前よりお皿が大きくなり量が増えた?
東急東横線(渋谷駅乗換)京王井の頭線(明大前駅乗換)京王本線と乗り継ぐ。
柴崎は、初めて降りる駅。
何度も通過しているはずだが「そんな駅あったっけ?」という感じ。
駅を出るとすぐに細い道で、駅前広場もなく、駅前商店街もほとんどない小さな駅。
でも、都市地理学の「お約束」である「駅前の果物屋」はちゃんとあった。
なぜこここに来たかというと、調布市の「東映ラボ・テック」で、浜野佐知監督・山崎邦紀脚本の映画『BODY TROUBLE ―ボディ・トラブル―』( 制作:浜野組・旦々舎、R15指定、90分)の完成試写会があったから。
この映画、引き籠りのニートの駄目駄目青年が、ある朝、起きてみたら、AV女優並の美女に変身していたという、今どき素人が書く小説もどきでも「それはちょっと」と言われそうな超ベタな設定。
男が女になるのに、何の苦労もなく若くて魅力的な美女になれるのだったら、こんな楽なことはない。
その後も、トランスジェンダーの実践者からすると、まじめに見たら腹が立つような、リアリティのない展開が続く。
山崎さんの脚本は、植島啓司『男が女になる病気―医学の人類学的構造についての三〇の断片―』に起点があるそうだが、この本は1980年の初版。
私も若い頃に読んだし、当時としてはいたって斬新な内容だが、はっきり言って、今では古い。
その後34年間のトランスジェンダー論の進展は、自分で言うのもなんだが、相当の進展がある。
「そんな昔の本じゃなく、私が書いたもの、読んでよ!」 と言いたくなる。
でも、これが脚本家の山崎さんが30数年間温めてきた妄想、もとい、ファンタジーなのだと思えば、腹も立たず、けっこう楽しく見ることができた。
23年前、日本初の商業ベースの女装雑誌『クロス・ドレッシング』(光彩書房、1991年12月)を編集し、「返本率7割」という驚異的な数字を記録した山崎さんの長年の想いが形になってほんとうに良かったと思う。
この世知辛い世の中、観客の批評とか、採算とかをほとんど考えず、芸術家が自分のセクシュアル・ファンタジー(性幻想)に忠実に、これだけの映像を作れるって、めったにないことで、それだけでも素晴らしいことだと思う。
山崎さんの妄想がてんこ盛りの脚本に浜野監督は相当に苦労されたらしい。
でも、やはりちゃんと浜野監督の作品になっている。
映像の美しさはいつものことだし、登場する男たちは例外なく駄目駄目で、女たちはそれぞれにかっこいい。
フィルムに強い愛着を持っている浜野監督にとって、初のデジタル制作作品。
「監督がフィルムと心中しちゃうのではないか」と心配していた私としては、監督が「デジタルも面白かった。また100本くらい撮りたくなった」とおっしゃっていたのが、いちばんうれしかった。
主演の愛田奈々さんは、男性の意識を残しながら美女になった主人公の戸惑いと、女性としてのぎこちなさを上手に表現していて新境地。
ゲスト出演の菜葉菜さんは前世は男性だった女性を演じて、「百合子、ダスヴィダーニヤ」の湯浅芳子役に続き、レズビアン心を刺激するかっこいい役。
トランスジェンダー論の専門家としては、指摘したいことはいろいろあるが、1つだけ、興味深く思ったポイント。
引き籠りの青年が、女になった途端に、なぜか外を平然と歩けるようになり、初対面の人間とちゃんとコミュニケーションを取れるようになる。
エロ本の山があちこちにある万年床の乱雑極まる屋根裏部屋がだんだんきれいになり最後は布団も畳まれる。
つまり、駄目駄目な人間がどんどん真人間になっていく。
男から女に変わったことで、性別だけでなく人間性が改善されるのだ。
こうした設定は、映画『僕の中のオトコの娘』(窪田将治監督・脚本、2012年)でも見られたが、『BODY TROUBLE ―ボディ・トラブル―』ではもっとあからさま。
最初は駄目息子が女になったことをまったく信じず冷たく突き放す主人公の母親が、最後には「まともな人間になるんだったら女になるのも悪くないね」みたいなことを言い出す。
現実には、男で駄目な人間は、ほとんどの場合、女になっても駄目なわけで、女性になることで、すべてが良い方向に動き出す、というのはまったくのファンタジーだ。
でも、そうしたファンタジーは意外に広く共有されているのかもしれない。
先ほど、トランスジェンダーの実践者が、まじめに見たら腹が立つ、と言ったが、世の中、トランスジェンダーの実践者よりも、トランスジェンダー願望を密かに抱きながら実践できない男性の方がずっと多い。
私の経験からすると、女装者好きの男性のかなり(半数以上)は、ほんとうは自分が女になりたいのだ。
この映画は、そうした女性への性転換願望(「女になりたい」)を密かに抱いている男性、さらに女性に性転換したどこか双性(Double Gender)的な魅力がある人と女同士でいちゃいちゃ遊びたい女性に、お薦めの映画だと思う。
【追記】この映画評、脚本の山崎邦紀さんのお心をかなり傷つけてしまったようで、長年、お付き合いいただいた者として、たいへん申し訳なかったと思う。
ただ、トランスジェンダー論を専門とする者としては、これでもかなり肯定的に批評したつもり。
それが、お心に叶わなかったのは残念だが、映画芸術に疎い者の妄言として無視していただければと思う。
5月10日(土)太田好則+アダ ソロ・ジョイントリサイタル(12)「夜のとばりが降りるころ《トスティと子守唄》」 [映画・コンサート]
5月10日(土)
17時過ぎ、家を出る。
駅前の回転寿司で早めの夕食。
↑ さくら海老
東急東横線で渋谷に出て、東京メトロ半蔵門線に乗換えて東京の東側へ。
住吉駅で下車すれば、そこは深川。
猿江恩賜公園に沿って歩いて、18時30分「ティアラ江東(江東公会堂)」に着く。
↑ 月が出ている。
この写真を撮っていた時、「順子さん」と声をかけられる。
振り向くとスキンヘッドの強面のおじさん。
一瞬どこの組の人だっけ?と思ったが、声でわかった。
10年ほど前まで、新宿でよく遊んだ女装仲間のM川Rのさん。
Mixiで剃髪したという日記を読んでなかったら結びつかなかったかも。
「いや~ぁ、そこまで思い切っちゃうと、すがすがしいね」などと言いながら会場へ。
今日は、「太田好則+アダ ソロ・ジョイントリサイタル(12)―夜のとばりが降りるころ―《トスティと子守唄》」。
アダさんは「エリザベス女装会館」時代(1990~94年)の友人。
毎年、リサイタルのご案内をいただくが、5月は忙しい月でなかなかスケジュールが合わず、3回に1度くらいしかうかがえない。
今回も3年ぶり。
19時、開演。
前半はテノールの太田好則先生によるフランチェスコ・トスティ(1846~1916年)の歌曲。
トスティはイタリアの作曲家・声楽教師で、仕事柄、歌曲を数多く作曲した。
セレナード(小夜曲)が多い。
やたら未練たらしい男の歌もある。
20分のはずの「休憩」が10分近く延びて、後半が始まる。
アダさん(メゾ・ソプラノ)による「子守歌」特集。
←スキンヘッド
↑ 実際のドレスはもっとキラキラ光っていた。
「ゆりかごの唄」「中国地方の子守歌」「竹田の子守唄」など日本の子守唄(正確には「守子唄」)に続いて、シューベルト、ブラームス、モーツァルト(実はフリース作曲)の子守歌など。
唄ったことがある歌がほとんどなので、懐かしく楽しかった。
アンコールでは、フォスターの「夢路より」を皆で唄う。
20時45分、閉演。
会場の外でアダさんと記念撮影(太田好則先生はどこにいったのだろう?)
2001年に始まったこのリサイタルも12回を数える。
まさに「継続は力なり」で、アダさんのメゾ・ソプラノ、素人の耳にもずいぶん上達したと思う。
住吉駅から都営地下鉄新宿線で新宿三丁目駅へ。
久しぶりに「びびあん」に寄る。
さつきママは土曜日はお休み(金曜日だけ)で、真由美姐さんと、1時間半ほどいろいろ思い出話。
23時20分、辞去。
↑ 新宿三丁目末広通り土曜日23時25分
昔馴染みの人と、久しぶりに話ができて楽しい夜だった。
新宿3丁目駅から、東京メトロ副都心線で終点の武蔵小杉駅へ。
駅からはタクシーに乗る。
0時5分、帰宅。
17時過ぎ、家を出る。
駅前の回転寿司で早めの夕食。
↑ さくら海老
東急東横線で渋谷に出て、東京メトロ半蔵門線に乗換えて東京の東側へ。
住吉駅で下車すれば、そこは深川。
猿江恩賜公園に沿って歩いて、18時30分「ティアラ江東(江東公会堂)」に着く。
↑ 月が出ている。
この写真を撮っていた時、「順子さん」と声をかけられる。
振り向くとスキンヘッドの強面のおじさん。
一瞬どこの組の人だっけ?と思ったが、声でわかった。
10年ほど前まで、新宿でよく遊んだ女装仲間のM川Rのさん。
Mixiで剃髪したという日記を読んでなかったら結びつかなかったかも。
「いや~ぁ、そこまで思い切っちゃうと、すがすがしいね」などと言いながら会場へ。
今日は、「太田好則+アダ ソロ・ジョイントリサイタル(12)―夜のとばりが降りるころ―《トスティと子守唄》」。
アダさんは「エリザベス女装会館」時代(1990~94年)の友人。
毎年、リサイタルのご案内をいただくが、5月は忙しい月でなかなかスケジュールが合わず、3回に1度くらいしかうかがえない。
今回も3年ぶり。
19時、開演。
前半はテノールの太田好則先生によるフランチェスコ・トスティ(1846~1916年)の歌曲。
トスティはイタリアの作曲家・声楽教師で、仕事柄、歌曲を数多く作曲した。
セレナード(小夜曲)が多い。
やたら未練たらしい男の歌もある。
20分のはずの「休憩」が10分近く延びて、後半が始まる。
アダさん(メゾ・ソプラノ)による「子守歌」特集。
←スキンヘッド
↑ 実際のドレスはもっとキラキラ光っていた。
「ゆりかごの唄」「中国地方の子守歌」「竹田の子守唄」など日本の子守唄(正確には「守子唄」)に続いて、シューベルト、ブラームス、モーツァルト(実はフリース作曲)の子守歌など。
唄ったことがある歌がほとんどなので、懐かしく楽しかった。
アンコールでは、フォスターの「夢路より」を皆で唄う。
20時45分、閉演。
会場の外でアダさんと記念撮影(太田好則先生はどこにいったのだろう?)
2001年に始まったこのリサイタルも12回を数える。
まさに「継続は力なり」で、アダさんのメゾ・ソプラノ、素人の耳にもずいぶん上達したと思う。
住吉駅から都営地下鉄新宿線で新宿三丁目駅へ。
久しぶりに「びびあん」に寄る。
さつきママは土曜日はお休み(金曜日だけ)で、真由美姐さんと、1時間半ほどいろいろ思い出話。
23時20分、辞去。
↑ 新宿三丁目末広通り土曜日23時25分
昔馴染みの人と、久しぶりに話ができて楽しい夜だった。
新宿3丁目駅から、東京メトロ副都心線で終点の武蔵小杉駅へ。
駅からはタクシーに乗る。
0時5分、帰宅。
12月25日(水)田中淑江メゾソプラノ・リサイタル [映画・コンサート]
12月25日(水) 晴れ 東京 10.3度 湿度28%(15時)
10時半、起床。
もう少し眠りたかったが、宅急便屋に起こされる。
朝食は、オリーブ入りフランスパンととコーヒー。
シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
午後、来年6月にある医学系の大きな学会のシンポジウムからお声がかかった。
ありがたいことではあるが、半年も前に「演題と報告要旨を投稿せよ」とのお達し。
まだ全然実感がなく気合が乗らないが、一応もっともらしい要旨をまとめて送信。
昼食は、昨夜のビーフ・シチューを残りご飯にかけて食べる。
15時、髪をまとめてた後、化粧と身支度。
青基調に大小の楕円模様のロング・チュニック(長袖)、、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ、ボア襟の黒のカシミアのポンチョ。
16時半、家を出る。
東急東横線で渋谷に出る。
西武デパートB館8Fの「イワキメガネ」へ。
着脱が頻繁な近・中距離用眼鏡の弦が開いてしまってきたので、修正してもらう。
後のことを考えて、早めに軽めの夕食。
渋谷駅構内の「しぶそば」で、季節の天麩羅蕎麦。
天麩羅は、はぜ、しめじ、獅子唐。これで500円はお得感がある。
JR山手線(代々木駅乗換)JR総武線で千駄ヶ谷駅下車。
↑ 東京都体育館のイルミネーション。ちょとしょぼい。
18時過ぎ、駅前の「津田ホール」へ。
早く着きすぎたので1階のロビーで読書。
18時30分、3階のホールへ。
今夜は、ここでメゾソプラノの田中淑江先生(国立音楽大学教授)のリサイタル。
田中先生とは、学芸大学駅東口商店街にあった居酒屋「一善」の常連仲間。
ほぼ毎年、年末恒例のリサイタルを聴きに行っているが、昨年は体調不良で行けなかったので2年ぶり。
19時過ぎ、開演。
プログラムは、日本を出てロシア経由でドイツ、フランスへと音楽の旅をする趣向。
【日本】「平城山」(平井康三郎)、「出舟」(杉山長谷夫)、「雪の降る街を」(中田喜直)
【ロシア】「リラの花」「わたしは悲しい恋をした」「夢」(セルゲイ・ラフマニノフ)、「風ではない」(ニコライ・リムスキー=コルサコフ)、「騒がしい舞踏会の中で」「なぜ」「ただ憧れを知る者だけが」(ピョートル・チャイコフスキー)
【ドイツ】「あの下の谷では」「死は冷たい夜」「われらはさまよい歩いた」(ヨハネス・ブラームス)、「万霊節」「愛の賛歌」「献呈」(リヒャルト・シュトラウス)
【フランス】歌劇「カルメン」より「ハバネラ」(ジョルジュ・ビゼー)、歌劇「サムソンとデリラ」より「あなたの声にわが心は開く」(カミーユ・サン=サーンス)
田中先生、お元気そうで、歌声も相変わらずすばらしく、何より。
中でも、カルメンの「ハバネラ」はオペラ風に振りをつけて歌われ、もちもとオペラで活躍された方だけあって、とても素敵だった。
歌劇ではカルメンが赤い花をホセに投げ与えて気を引こうとするのだが、同じように最後の客席に真っ赤な薔薇を投げた。
でも、ご夫婦で来ている男性に投げちゃあまずいでしょう(笑)
アンコールは3度。
「母の思いたまいし歌」(アントニン・ドボルザーク)
「アヴェ・マリア」(ウラディーミル・ヴァヴィロフ)
「パリス・アンジェリクス」(セザール・フラン・)
20時50分、終演。
久しぶりクラッシック音楽を聴いて耳の保養をしたクリスマスだった。
ロビーで、田中先生にご挨拶。
「一善」の難民メンバー(今日は5人)で記念撮影。
22時過ぎ、帰宅。
お風呂に入って温まる。
「日記」を書く。
就寝、3時。
10時半、起床。
もう少し眠りたかったが、宅急便屋に起こされる。
朝食は、オリーブ入りフランスパンととコーヒー。
シャワーを浴びて髪と身体を洗う。
午後、来年6月にある医学系の大きな学会のシンポジウムからお声がかかった。
ありがたいことではあるが、半年も前に「演題と報告要旨を投稿せよ」とのお達し。
まだ全然実感がなく気合が乗らないが、一応もっともらしい要旨をまとめて送信。
昼食は、昨夜のビーフ・シチューを残りご飯にかけて食べる。
15時、髪をまとめてた後、化粧と身支度。
青基調に大小の楕円模様のロング・チュニック(長袖)、、黒のブーツカットパンツ、黒網の膝下ストッキング、黒のショートブーツ、黒のトートバッグ、ボア襟の黒のカシミアのポンチョ。
16時半、家を出る。
東急東横線で渋谷に出る。
西武デパートB館8Fの「イワキメガネ」へ。
着脱が頻繁な近・中距離用眼鏡の弦が開いてしまってきたので、修正してもらう。
後のことを考えて、早めに軽めの夕食。
渋谷駅構内の「しぶそば」で、季節の天麩羅蕎麦。
天麩羅は、はぜ、しめじ、獅子唐。これで500円はお得感がある。
JR山手線(代々木駅乗換)JR総武線で千駄ヶ谷駅下車。
↑ 東京都体育館のイルミネーション。ちょとしょぼい。
18時過ぎ、駅前の「津田ホール」へ。
早く着きすぎたので1階のロビーで読書。
18時30分、3階のホールへ。
今夜は、ここでメゾソプラノの田中淑江先生(国立音楽大学教授)のリサイタル。
田中先生とは、学芸大学駅東口商店街にあった居酒屋「一善」の常連仲間。
ほぼ毎年、年末恒例のリサイタルを聴きに行っているが、昨年は体調不良で行けなかったので2年ぶり。
19時過ぎ、開演。
プログラムは、日本を出てロシア経由でドイツ、フランスへと音楽の旅をする趣向。
【日本】「平城山」(平井康三郎)、「出舟」(杉山長谷夫)、「雪の降る街を」(中田喜直)
【ロシア】「リラの花」「わたしは悲しい恋をした」「夢」(セルゲイ・ラフマニノフ)、「風ではない」(ニコライ・リムスキー=コルサコフ)、「騒がしい舞踏会の中で」「なぜ」「ただ憧れを知る者だけが」(ピョートル・チャイコフスキー)
【ドイツ】「あの下の谷では」「死は冷たい夜」「われらはさまよい歩いた」(ヨハネス・ブラームス)、「万霊節」「愛の賛歌」「献呈」(リヒャルト・シュトラウス)
【フランス】歌劇「カルメン」より「ハバネラ」(ジョルジュ・ビゼー)、歌劇「サムソンとデリラ」より「あなたの声にわが心は開く」(カミーユ・サン=サーンス)
田中先生、お元気そうで、歌声も相変わらずすばらしく、何より。
中でも、カルメンの「ハバネラ」はオペラ風に振りをつけて歌われ、もちもとオペラで活躍された方だけあって、とても素敵だった。
歌劇ではカルメンが赤い花をホセに投げ与えて気を引こうとするのだが、同じように最後の客席に真っ赤な薔薇を投げた。
でも、ご夫婦で来ている男性に投げちゃあまずいでしょう(笑)
アンコールは3度。
「母の思いたまいし歌」(アントニン・ドボルザーク)
「アヴェ・マリア」(ウラディーミル・ヴァヴィロフ)
「パリス・アンジェリクス」(セザール・フラン・)
20時50分、終演。
久しぶりクラッシック音楽を聴いて耳の保養をしたクリスマスだった。
ロビーで、田中先生にご挨拶。
「一善」の難民メンバー(今日は5人)で記念撮影。
22時過ぎ、帰宅。
お風呂に入って温まる。
「日記」を書く。
就寝、3時。
12月20日(金)「Naomi Grace クリスマス・ショウ2013」 [映画・コンサート]
12月20日(金) 雨のち曇り 東京 9.4度 湿度86%(15時)
冬の雷雨は止んだものの(雹が降った所もあったらしい)、ますます寒さがつのる中、家を出る。
18時30分、都営地下鉄三田線の芝公園駅へ。
この駅から地上に出るとすぐに赤い東京タワーが目に入ってくるはずなのだけど・・・。
あれ?なんかいつもと違う色をしている。
ホテル「プリンス パークタワー東京」は、クリスマス・イルミネーションが美しい。
今夜はこのホテル1Fホールの「Melody Line」でジャズ・ポップの美しき歌姫「Naomi Grace クリスマス・ショウ2013」。
http://naomigrace.com/
ナオミさんのクリスマス・ショウは、2011年以来2年ぶり。
お誘いくださった「シーズン・コンサルティング」の原田社長にご挨拶。
http://www.season-c.com/
同じテーブルの方たちと名刺交換。
ビールを飲んでビュッフェ・ディナーをいただいて、「2020年東京五輪」仕様の東京タワーを間近に眺めながらショウの開幕を待つ。
20時過ぎ、開演。
最初はダークブルーのロングドレス。
相変わらずスタイル抜群で美しい。
いつもよりトーク少な目で、クリスマス・ソングを次々に歌う。
ナオミさんの声は、ジャズ歌手にしては明るいのでクリスマス・ソングにはぴったり。
3度目の着替えはかわいらしい紫のミニドレス。
スノーマンと戯れていると、20代のお嬢さんに見える。
いったいこの人、何歳なのだろう?(年齢不詳)
最後は、エレガントでちょっとセクシーな真っ赤なロングドレス。
1時間半、たっぷり歌を聞かせてもらい、恒例の抽選会。
今年は残念ながら外れ(前回は大当たりで巨大ポップコーン缶をもらった)。
アンコールの最後にクリスマス・ソングの名曲「ホワイト・クリスマス」を皆で歌う。
22時、終演。
ナオミさんと並ぶの、あまりに幅が違いすぎて辛いのだけど・・・、うれしい。
また遠近法を間違えてしまった。
日頃、引き籠りがちな私にとって、珍しく社交的な場で、楽しい夜だった。
23時過ぎ、帰宅。
冬の雷雨は止んだものの(雹が降った所もあったらしい)、ますます寒さがつのる中、家を出る。
18時30分、都営地下鉄三田線の芝公園駅へ。
この駅から地上に出るとすぐに赤い東京タワーが目に入ってくるはずなのだけど・・・。
あれ?なんかいつもと違う色をしている。
ホテル「プリンス パークタワー東京」は、クリスマス・イルミネーションが美しい。
今夜はこのホテル1Fホールの「Melody Line」でジャズ・ポップの美しき歌姫「Naomi Grace クリスマス・ショウ2013」。
http://naomigrace.com/
ナオミさんのクリスマス・ショウは、2011年以来2年ぶり。
お誘いくださった「シーズン・コンサルティング」の原田社長にご挨拶。
http://www.season-c.com/
同じテーブルの方たちと名刺交換。
ビールを飲んでビュッフェ・ディナーをいただいて、「2020年東京五輪」仕様の東京タワーを間近に眺めながらショウの開幕を待つ。
20時過ぎ、開演。
最初はダークブルーのロングドレス。
相変わらずスタイル抜群で美しい。
いつもよりトーク少な目で、クリスマス・ソングを次々に歌う。
ナオミさんの声は、ジャズ歌手にしては明るいのでクリスマス・ソングにはぴったり。
3度目の着替えはかわいらしい紫のミニドレス。
スノーマンと戯れていると、20代のお嬢さんに見える。
いったいこの人、何歳なのだろう?(年齢不詳)
最後は、エレガントでちょっとセクシーな真っ赤なロングドレス。
1時間半、たっぷり歌を聞かせてもらい、恒例の抽選会。
今年は残念ながら外れ(前回は大当たりで巨大ポップコーン缶をもらった)。
アンコールの最後にクリスマス・ソングの名曲「ホワイト・クリスマス」を皆で歌う。
22時、終演。
ナオミさんと並ぶの、あまりに幅が違いすぎて辛いのだけど・・・、うれしい。
また遠近法を間違えてしまった。
日頃、引き籠りがちな私にとって、珍しく社交的な場で、楽しい夜だった。
23時過ぎ、帰宅。
浜野佐知映画祭(2)薔薇族映画「メモリーズ」 [映画・コンサート]
8月5日(月)
(続き)
休憩なしで、薔薇族映画「メモリーズ」(監督:山崎邦紀監督、プロデューサー:浜野佐知、1997年、大蔵映画配給)。
男性と男性のSexは私の性的指向(Sexual Orientation)には皆無だし、性的嗜好(Sexual Preference)にも欠片もない。
はっきり言って、生理的な嫌悪感がかなり強い。
だけど、勉強のために観る。
主人公の男性(柳東史)が覚醒すると、そこは海岸の岩場で、しかもアマレスのコスチューム姿。
訳が分からないが、岩の向うから舟虫みたいな全裸の男が手招きしていて洞窟でいきなりSex。
そこに第3の男が出現して、主人公に軽機関銃を手渡す。
なんだこりゃ?と思っていたら、この段階で、4名ほどの男性客が会場から出て行った。
場面は、ダークスーツの男たちのパーティーに。
しかし、飲みながら談笑している男たちは、なぜ自分たちがここに集まったか分からない。
主人公の男の記憶がよみがえり、彼がS女性にフィストファックされるシーンが続く。
3指挿入の後、いきなり腕まで挿入。
ほんとうは4指から後がすごく時間がかかるのだが(初体験なら2~3時間とか)、そんなリアリティを求めてはいけない。
また、パーティーシーン。
一人の男が主人公に近寄ってきて「土手で会いましたよね」と言う。
主人公が思い出す。
夕暮れの多摩川(らしき)土手を、赤いフリフリドレスに真っ赤なランドセルを背負い大型バイクに跨った女装の中年男性(キャンディ・ミルキィ師)が走ってくる。
「猫の国を探しているのですが、知りませんか」と主人公に尋ねる。
「知らない」というと「そうですか」と走り去る。
主人公が土手の斜面に腰掛けていると、河原の葦原の中からビキニパンツに水泳帽の男が出現して主人公に襲い掛かる。
2人の絡みを、走り去ったはずのキャンディ師が見ている。
また、パーティーのシーン。
主人公が男に別室に誘われる。
誘った男はキャンディ・ミルキィ師に変身。
主人公を「パンフェラ」(パンツの上からフェラチオする行為)するキャンディ師。
もう衝撃、そんなシーン見たくないよ。
続いて、主人公がキャンディ師のスカートと膨大な量のパニエをまくり、パンツを降ろして生尻露出。
そしてアナルSex。
キャンディ師が犯されるのを見て、マジで気持ち悪くなる。
観るのを止めて会場を出ようかと本気で思った。
心に般若心経を念じて、なんとか堪える。
キャンディ・ミルキィ師は、女装世界の中でも最もセクシュアリティから遠い人。
そもそも幼女装で、9歳という設定なのだから、性的であってはいけないのだ。
私も女装世界に25年近くいるが、キャンディ師とSexしたいという男性には1人として出会ったことがない。
勝手な憶測だが、キャンディ師の生尻を見たい願望を持っている男性は、多く見積もって日本中で0~2人くらいだと思う。
そのキャンディ師にこんな演技をさせるなんて…、「責任者、出て来い!」
続いて、なぜかダークスーツの男たちが銀行強盗を働く。
主人公の男は警官に腹部を撃たれ大量出血。
なんとかアジトに戻ったものの、医者が呼べず治療ができない。
そんな状況下でも、この男たちはSexにふける。
傷の痛みに苦しむ男に「大丈夫か」と声をかけた仲間の男が、いきなりフェラチオ。
お前ら馬鹿か! 重傷の人間にそんな血圧が上がることしたら…、あ~ぁ、やっぱり死んじゃった・・・(実は死んでいない)。
またまた、パーティーシーンを挟んで、毛沢東思想にかぶれた革命的ゲイ戦士が登場。
『毛沢東語録』を学習した後、互いの同志愛を確認するために、全裸になって乱交。
そのさ中、主人公の男性(なぜか生き返っている)が「コンドームつけてください」と要求すると、乱交連中が「反革命分子だ!」と糾弾。
ここは「修正主義者だ!」の方が正しいだろう。
どっちにしろ、こんなギャグは現在50歳以上でないと通用しない。
東京湾口にある無人島「猿島」を占領してゲイの独立国にするために、革命的ゲイ戦士が島に上陸。
しかし、当局に情報が漏れていたらしく、ヘリコプターから機銃掃射を浴びて、武装した3人の男たちは東屋に逃げ込む。
そこで激しいSex。
接近してくるヘリの爆音が大きくなる中、男たちは「三重連」で果てて、ジ・エンド。
記憶を頼りに粗筋を書いてみたが、全編、「馬っ鹿じゃないの!」と大声で罵りたくなるようなシーンの連続だし、目をつぶっていたシーンもあるので、記憶違いがあるかも。
いや~ぁ、衝撃的な映画だった。
夢に出てきたら吐きそうな気がする。
現実と妄想が複雑に交錯し、何が現でなにが夢かわからない混迷した世界。
こんな不条理に満ちた、前衛芸術的なゲイ映画が1997年に日本で撮影されていたなんて実に驚きだ。
制作から16年が経った今、多くのゲイはこの作品の存在すら知らないだろう。
ぜひ、レズビアン・ゲイフィルムフェスティバルで上映して、現代のゲイの人たちに鑑賞してもらうべきだと思う。
さらに海外の映画好きのゲイにも観て欲しい。
私は、本気で強く推薦する。
(続く)
(続き)
休憩なしで、薔薇族映画「メモリーズ」(監督:山崎邦紀監督、プロデューサー:浜野佐知、1997年、大蔵映画配給)。
男性と男性のSexは私の性的指向(Sexual Orientation)には皆無だし、性的嗜好(Sexual Preference)にも欠片もない。
はっきり言って、生理的な嫌悪感がかなり強い。
だけど、勉強のために観る。
主人公の男性(柳東史)が覚醒すると、そこは海岸の岩場で、しかもアマレスのコスチューム姿。
訳が分からないが、岩の向うから舟虫みたいな全裸の男が手招きしていて洞窟でいきなりSex。
そこに第3の男が出現して、主人公に軽機関銃を手渡す。
なんだこりゃ?と思っていたら、この段階で、4名ほどの男性客が会場から出て行った。
場面は、ダークスーツの男たちのパーティーに。
しかし、飲みながら談笑している男たちは、なぜ自分たちがここに集まったか分からない。
主人公の男の記憶がよみがえり、彼がS女性にフィストファックされるシーンが続く。
3指挿入の後、いきなり腕まで挿入。
ほんとうは4指から後がすごく時間がかかるのだが(初体験なら2~3時間とか)、そんなリアリティを求めてはいけない。
また、パーティーシーン。
一人の男が主人公に近寄ってきて「土手で会いましたよね」と言う。
主人公が思い出す。
夕暮れの多摩川(らしき)土手を、赤いフリフリドレスに真っ赤なランドセルを背負い大型バイクに跨った女装の中年男性(キャンディ・ミルキィ師)が走ってくる。
「猫の国を探しているのですが、知りませんか」と主人公に尋ねる。
「知らない」というと「そうですか」と走り去る。
主人公が土手の斜面に腰掛けていると、河原の葦原の中からビキニパンツに水泳帽の男が出現して主人公に襲い掛かる。
2人の絡みを、走り去ったはずのキャンディ師が見ている。
また、パーティーのシーン。
主人公が男に別室に誘われる。
誘った男はキャンディ・ミルキィ師に変身。
主人公を「パンフェラ」(パンツの上からフェラチオする行為)するキャンディ師。
もう衝撃、そんなシーン見たくないよ。
続いて、主人公がキャンディ師のスカートと膨大な量のパニエをまくり、パンツを降ろして生尻露出。
そしてアナルSex。
キャンディ師が犯されるのを見て、マジで気持ち悪くなる。
観るのを止めて会場を出ようかと本気で思った。
心に般若心経を念じて、なんとか堪える。
キャンディ・ミルキィ師は、女装世界の中でも最もセクシュアリティから遠い人。
そもそも幼女装で、9歳という設定なのだから、性的であってはいけないのだ。
私も女装世界に25年近くいるが、キャンディ師とSexしたいという男性には1人として出会ったことがない。
勝手な憶測だが、キャンディ師の生尻を見たい願望を持っている男性は、多く見積もって日本中で0~2人くらいだと思う。
そのキャンディ師にこんな演技をさせるなんて…、「責任者、出て来い!」
続いて、なぜかダークスーツの男たちが銀行強盗を働く。
主人公の男は警官に腹部を撃たれ大量出血。
なんとかアジトに戻ったものの、医者が呼べず治療ができない。
そんな状況下でも、この男たちはSexにふける。
傷の痛みに苦しむ男に「大丈夫か」と声をかけた仲間の男が、いきなりフェラチオ。
お前ら馬鹿か! 重傷の人間にそんな血圧が上がることしたら…、あ~ぁ、やっぱり死んじゃった・・・(実は死んでいない)。
またまた、パーティーシーンを挟んで、毛沢東思想にかぶれた革命的ゲイ戦士が登場。
『毛沢東語録』を学習した後、互いの同志愛を確認するために、全裸になって乱交。
そのさ中、主人公の男性(なぜか生き返っている)が「コンドームつけてください」と要求すると、乱交連中が「反革命分子だ!」と糾弾。
ここは「修正主義者だ!」の方が正しいだろう。
どっちにしろ、こんなギャグは現在50歳以上でないと通用しない。
東京湾口にある無人島「猿島」を占領してゲイの独立国にするために、革命的ゲイ戦士が島に上陸。
しかし、当局に情報が漏れていたらしく、ヘリコプターから機銃掃射を浴びて、武装した3人の男たちは東屋に逃げ込む。
そこで激しいSex。
接近してくるヘリの爆音が大きくなる中、男たちは「三重連」で果てて、ジ・エンド。
記憶を頼りに粗筋を書いてみたが、全編、「馬っ鹿じゃないの!」と大声で罵りたくなるようなシーンの連続だし、目をつぶっていたシーンもあるので、記憶違いがあるかも。
いや~ぁ、衝撃的な映画だった。
夢に出てきたら吐きそうな気がする。
現実と妄想が複雑に交錯し、何が現でなにが夢かわからない混迷した世界。
こんな不条理に満ちた、前衛芸術的なゲイ映画が1997年に日本で撮影されていたなんて実に驚きだ。
制作から16年が経った今、多くのゲイはこの作品の存在すら知らないだろう。
ぜひ、レズビアン・ゲイフィルムフェスティバルで上映して、現代のゲイの人たちに鑑賞してもらうべきだと思う。
さらに海外の映画好きのゲイにも観て欲しい。
私は、本気で強く推薦する。
(続く)
浜野佐知映画祭(1)ピンク映画「平成版阿部定 あんたが、欲しい」 [映画・コンサート]
8月5日(月)
(続き)
14時、渋谷円山町の「オーディトリウム渋谷」で開催中の「浜野佐知映画祭」へ。
ロビーで浜野監督にご挨拶。
1部の1本目は浜野佐知監督のピンク映画「平成版阿部定 あんたが、欲しい」(主演:時任歩、1999年、エクセス配給)。
実は、今日、初めてピンク映画というものを観る。
浜野監督の作品だけでなく、ピンク映画は1本も見たことがない。
近年になって、研究の必要上、日活ロマンポルノを数本見たことがあるだけ、
この作品は「平成版阿部定」という題名の通り、昭和11年(1936)に起こった「阿部定事件」を現代にアレンジした作品。
「阿部定事件」は、東京・中野の「石田屋」の仲居阿部定が主人であり愛人である石田吉蔵を性行為中に扼殺し、その遺体から男根を切断して逃亡した事件。
猟奇事件として、当時、大評判になった。
現代版では、税理士の夫をもち、副業のコインランドリーを管理する美しい人妻が、新宿2丁目のゲイバーで「売り専ボーイ」をやっているゲイの青年に惹かれ、彼を誘惑してSexにのめり込んでいく。
そして快楽を追及するあまり、性行為中に青年を絞め殺し、死後も勃起したままの男根を切り取って逃亡、蓮の花が咲く池の畔でオナニーにふけるというラスト。
ラストの「料亭」での二昼夜にわたるSexシーンは、実際の「阿部定事件」のディーテルを、浴衣の紐で首を絞めるところなど、かなり丁寧に摸していることがわかる。
全体として浜野監督らしい美しい映像、というか、「第七官界彷徨—尾崎翠を探して」(1998年)や「百合子、ダスヴィダーニヤ」(2011年)などの文芸作品で映像の美しさに定評がある監督は、ピンク映画でも美しい映像を撮っていたのだということが確認できたのが大きな収穫。
監督のお話では、ピンク映画というのは、開始から3分?以内に主人公がSexを始めなければいけないとか、いろいろ約束事が多く、どうしても様式的になってしまう。
その中で、どれだけ描きたいものを盛り込むかが腕の見せ所なのだそうだ。
ピンク映画では口説くという行為が最低限しかなされない。
男女が出会って見つめ合うと、もう次のシーンではSexしている。
Sexシーンでは言葉がない。
女性は延々とよがり声だけあげて、男は黙々とひたすら腰を使うだけ。
言葉でのコミュニケーションが好きな私は、こんなことして楽しいのだろうか?と、かなり違和感。
この作品でいちばん疑問なのは、なぜ誘惑する相手が二丁目のゲイの青年なのか?ということ。
男性経験しかなかった青年は、人妻の誘惑にほとんど抗う術もなくあっけなく溺れていく。
これでは、ヘテロセクシュアリティがホモセクシュアリティに一方的に勝利しているようで、なんとも嫌な気がする。
理不尽にも、人妻に思い人を奪われるゲイバーの店主があまりにかわいそう。
性別を入れ替えれば、レズビアンの女性に「ちんぽ入れられれば、男嫌いなんてすぐに治るよ」とエロオヤジが言いながら迫るのに等しい。
言葉を換えるならば、メジャー・セクシュアリティのマイナー・セクシュアリティへの横暴。
お互いのセクシュアリティを尊重するという考え方からすると、大いに疑問だ。
「こんな脚本を書いたのは誰だ! 責任者出て来い!」
と言いたくなるが、考えてみれば、セクシュアリティの相互尊重という考え方は1999年段階ではほとんどなかったから、仕方がないのか・・・。
(続き)
(続き)
14時、渋谷円山町の「オーディトリウム渋谷」で開催中の「浜野佐知映画祭」へ。
ロビーで浜野監督にご挨拶。
1部の1本目は浜野佐知監督のピンク映画「平成版阿部定 あんたが、欲しい」(主演:時任歩、1999年、エクセス配給)。
実は、今日、初めてピンク映画というものを観る。
浜野監督の作品だけでなく、ピンク映画は1本も見たことがない。
近年になって、研究の必要上、日活ロマンポルノを数本見たことがあるだけ、
この作品は「平成版阿部定」という題名の通り、昭和11年(1936)に起こった「阿部定事件」を現代にアレンジした作品。
「阿部定事件」は、東京・中野の「石田屋」の仲居阿部定が主人であり愛人である石田吉蔵を性行為中に扼殺し、その遺体から男根を切断して逃亡した事件。
猟奇事件として、当時、大評判になった。
現代版では、税理士の夫をもち、副業のコインランドリーを管理する美しい人妻が、新宿2丁目のゲイバーで「売り専ボーイ」をやっているゲイの青年に惹かれ、彼を誘惑してSexにのめり込んでいく。
そして快楽を追及するあまり、性行為中に青年を絞め殺し、死後も勃起したままの男根を切り取って逃亡、蓮の花が咲く池の畔でオナニーにふけるというラスト。
ラストの「料亭」での二昼夜にわたるSexシーンは、実際の「阿部定事件」のディーテルを、浴衣の紐で首を絞めるところなど、かなり丁寧に摸していることがわかる。
全体として浜野監督らしい美しい映像、というか、「第七官界彷徨—尾崎翠を探して」(1998年)や「百合子、ダスヴィダーニヤ」(2011年)などの文芸作品で映像の美しさに定評がある監督は、ピンク映画でも美しい映像を撮っていたのだということが確認できたのが大きな収穫。
監督のお話では、ピンク映画というのは、開始から3分?以内に主人公がSexを始めなければいけないとか、いろいろ約束事が多く、どうしても様式的になってしまう。
その中で、どれだけ描きたいものを盛り込むかが腕の見せ所なのだそうだ。
ピンク映画では口説くという行為が最低限しかなされない。
男女が出会って見つめ合うと、もう次のシーンではSexしている。
Sexシーンでは言葉がない。
女性は延々とよがり声だけあげて、男は黙々とひたすら腰を使うだけ。
言葉でのコミュニケーションが好きな私は、こんなことして楽しいのだろうか?と、かなり違和感。
この作品でいちばん疑問なのは、なぜ誘惑する相手が二丁目のゲイの青年なのか?ということ。
男性経験しかなかった青年は、人妻の誘惑にほとんど抗う術もなくあっけなく溺れていく。
これでは、ヘテロセクシュアリティがホモセクシュアリティに一方的に勝利しているようで、なんとも嫌な気がする。
理不尽にも、人妻に思い人を奪われるゲイバーの店主があまりにかわいそう。
性別を入れ替えれば、レズビアンの女性に「ちんぽ入れられれば、男嫌いなんてすぐに治るよ」とエロオヤジが言いながら迫るのに等しい。
言葉を換えるならば、メジャー・セクシュアリティのマイナー・セクシュアリティへの横暴。
お互いのセクシュアリティを尊重するという考え方からすると、大いに疑問だ。
「こんな脚本を書いたのは誰だ! 責任者出て来い!」
と言いたくなるが、考えてみれば、セクシュアリティの相互尊重という考え方は1999年段階ではほとんどなかったから、仕方がないのか・・・。
(続き)