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お台場で遊んだ後、新橋で(2006年6月10日) [古い写真帳から]

6月15日(月)

「古い写真帳から」
と言っても、これはそんなに古くない。
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2006年6月10日の撮影。
9年前のちょうど今の季節。
黒地に深緑の大矢絣模様の伊勢崎銘仙(単)に、銀鼠に大輪の百合を刺繍した夏帯(れえすの花)といういで立ち。
着物友達と、お台場に遊びに行った帰り、「ゆりかもめ」新橋駅から撮影。
下の道路は「第一京浜」、遠くに見えるのは銀座のネオン。
たそがれ時、私が好きな時間。
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↑ 同じ日の昼間、お台場海浜公園で。
背景に霞んでいるのはベイブリッジ。


新宿「ソウルメイト」の北陸旅行(1994年3月) [古い写真帳から]

6月14日(日)

先月末、パソコン新しくしたので、画像ファイルの整理をしながら、電子化していない古い写真の画像取り込みを少しずつしている。
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この写真は、1994年3月20日の撮影。
つまり、21年前、38歳。

場所は、北陸の粟津温泉のスナック「マリーヌ」の前。
新宿二丁目にあった「ソウルメイト」(あきこママ)という週末営業の女装スナック主催のバス旅行に参加したときのもの。

真っ赤なセーターに、濃紺に白の水玉模様のミニスカート、パッチワークキルト風のニットのショールというファッション。

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↑ 翌日は東尋坊に行った。
東尋坊近くの茶店で。
私の写真しては珍しい笑顔。

女装旅行は、前年秋の女装クラブ「エリザベス会館」の伊香保旅行に続いて2回目。
どこか監視されているような気がする女装クラブの旅行と違って、新宿の店の旅行は自由な雰囲気でとても楽しかった。
のちに、自分で女装者の親睦旅行(フェイクレディ・ツアー)を企画・運営するきっかけになった旅行。

古い手帳によると「のとや」という旅館に泊まったようだ。
調べてみたら、今も「旅亭 懐石 のとや」として盛業中のようで、何より。

チャカをバッグに入れていた頃(1998年7月10日) [古い写真帳から]

6月2日(火)
昨日に続き「古い写真帳から」。
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1998年7月10日、東京・本所の男友達の家で撮影。

前年の5月「性同一性障害の診断と治療のガイドライン」が策定され業界の各勢力の確執が強まっていた頃。
私も新宿歌舞伎町の店を出たところで、待ち伏せしていたTS(トランスセクシュアル)原理主義者に襲撃された。
幸いチーママが機転をきかせてくれたので、かすり傷程度で済んだが、本気で自己防衛を考えなければならなくなった。

その直後、その筋の男友達が
「姐(あね)さんになにかあったら、あっしらが困りますんで、これでもバッグに入れておいてください」
と持ってきてくれた。

射撃の腕には自信があったが、結局、使う機会はなかった。
まあ、そんな時代もあったということです。




その筋=ミリタリーおたくのモデルガン・マニア

三室戸寺の紫陽花と(2000年6月19日) [古い写真帳から]

6月1日(月)

必要があってある写真を画像に取り込むついでに、12枚ほどの写真を処理。
で、久しぶりに「古い写真帳から」。
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2000年6月19日の撮影。
場所は南山城、三室戸寺(京都府宇治市)。
今から15年前の写真。
薄茶と黒の細かなチェックのノースリーブのワンピースに、黒のレースのカーディガン。
前年から始めた女性ホルモンの投与で、顔に少し丸みが出てきた頃。

前日、「関西T'sフェスティバル2000」に呼んでいただき、 「トランスジェンダーと社会-21世紀に向けて」という題で基調講演をした。
着物は絽の訪問着。
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その翌日、以前から行きたかった、西国観音霊場第十番で、紫陽花の名所として知られる三室戸寺にお参りした。
ちょうど見頃のタイミングで、見事な紫陽花の大群落を堪能することができた。

紫陽花は、私にとって、幼い日の祖母(母方)との思い出につながる花。
祖母と母のことを思いながら、観音様に手を合わせた。

黄色と黒のサマードレスの立ち姿(1993年6月16日) [古い写真帳から]

1月7日(水)
昔の写真のデジタル画像化作業の成果「古い写真帳から」。
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撮影日は1993年6月16日、場所は東京亀戸の「エリザベス会館」。
今から22年前の写真。

この黄色と黒のサマードレス、8月のサマー・パーティー&「全日本女装写真コンテスト」の授賞式のために、渋谷の「東急109」で購入した。

肩幅があり二の腕も太いので、肩が丸出しになる肩紐タイプは避けるべきなのだが、色が気に入ったのだろう(昔も今も黄色が好き)。

たぶん、この日、試着してみたのだと思う。
このドレスを着た写真、本番のサマー・パーティーのものはあるが、スタジオ撮りの立ち姿の写真があることはまったく忘れていた。
ただし、フィルム写真は無く、ポラロイド写真もこの1枚きり。
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↑ 本番のパーティー会場で(1993年8月15日)
(参照)http://zoku-tasogare-3.blog.so-net.ne.jp/2012-10-05-4

新宿ホステス時代にも、店で何度か着たが、構造的にスカートがまくれ易く、ちょっと屈むと、パンツが丸見えになってしまい、困った記憶がある。
(中には喜ぶお客も・・・)

晩秋の相模湖畔(1993年11月11日) [古い写真帳から]

古い写真のデジタル画像化作業の成果「古い写真帳から」。

1月6日(水)
昔の写真のデジタル画像化作業の成果「古い写真帳から」。
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撮影日は1993年11月11日、場所は晩秋の相模湖畔。
今から22年前の写真。

ドラブデートのお相手は、前にも出てきたアメ車(キャデラック)のおじ様。
山中湖に行った時から2年経っているが、とても忙しい方で海外長期滞在が挟まったりで、その間にデートしたのはたぶん2度。
つまり、4度目のデートということ。

午後になって東京を出たので、相模湖に着いたのはもう夕方近く、撮影条件は良くなかった。
それでも、まずまずの写真が撮れたのは、山中湖に行った後の2年間で、私がいろいろ経験を積んで、外出にも慣れて余裕があったからかも。
表情もずいぶんやわらかい。

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この湖を背景に撮った1枚は、女装雑誌『ひまわり』14号(1994年1月号)の表紙を飾った思い出深い写真。

ドライブで山中湖に、でも記憶がない・・・(1991年6月21日) [古い写真帳から]

1月5日(月)
久しぶりに「古い写真帳」から。
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撮影日は1991年6月21日、場所は富士五湖の山中湖。

今から24年前の写真。
身体は、まだまったく女性化してなく、今とは見違えるほどスレンダーだが、ファッションや髪型に時の流れを感じる。

ある男性の白いアメ車(車種忘却)で長距離ドライブに出かけたときの写真。
表情が硬いのは、男性との最初のロング・デートだったからだと思う。
この時のドライブ、写真はこの1枚だけで、実はほとんど記憶がない。
山中湖まで行ってるのだから、少なくとも半日デートのはずなのだが、湖の記憶だけでなく、どこで食事をしたかも覚えてない。

今まで、この写真を出さなかったのは、そんな具合で、写真の説明ができないから。


古い写真帳から(1993年9月 エリザベス会館・伊香保旅行) [古い写真帳から]

1月27日(金)
多忙でしばらく休んでいた古い写真のデジタル画像化作業。
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群馬県伊香保温泉の「ホテル轟」で。
どう見ても「クラブ王宮」のホステスだけど、実は宿泊客。
これから仲間でカラオケ大会。

当時在籍していた、女装クラブ「エリザベス会館」の伊香保温泉旅行。
初めての女装一泊旅行で楽しかった。
同時に女装クラブという場で女装していることの違和感をはっきり自覚した旅行だった。
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見学したこけし人形の工場で(ぜんぜん記憶がない)。
大きな物体を背景に撮ると、大柄の私も小さく写るというテクニック。
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帰り道に立ち寄った高崎あたりのお土産物屋さんで。

この前月の「全日本写真女装コンテスト」で2年連続の最多得票特別賞、2度目の準グランプリを獲得して、ずっと抱いていた容姿コンプレックスが他者からの評価の積み重ねでようやく和らぎ、「女」として世の中に出ていくことに少しずつ自信が持てるようになった頃。

今になって思うと、MtF(Male to Female)の場合、自分の容姿に自信がもてるようになることが、「女」としての自己肯定につながると思う。
そして、それが社会の中で他者から女性として認識される性他認の獲得につながっていく。
そのためには、化粧のテクニックをしっかり身に付けること、自分の容姿を磨く努力を怠らないことが大事。

性器の形を変えることばかりが重視され、MtFが容姿を磨くことが軽視される現代の性別移行の在り方は、どこかおかしいと思ってしまう。

古い写真帳から(1994年1月8日 亀戸「シャローム」) [古い写真帳から]

10月19日(金)

少しずつ続けている古い写真のデジタル画像化作業。
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1994年1月8日の撮影。
場所はJR総武線亀戸駅南口にあった「シャローム」というお店の前で。
当時、亀戸にあった女装クラブ「エリザベス」会館の新年会で出掛けた時のもの。

濃紺のカシュクール(着物のような斜め前合わせ)のミニ・ワンピースに、大きな揚羽蝶のバックルの極太ベルト、光沢のあるレースクイン仕様のストッキング、黒のロングブーツ、銀鼠色のフェイクファーのハーフコートという典型的なストリート・ガールファッション。

こうしたファッション、自分の好みでやっているわけだけど、当時付き合っていた男性の好みを、かなり反映している。

「エリザベス会館」は、基本的に「外出なし」の室内女装なので、「サロン」で遊んでいるかぎり、コートやロングブーツのような防寒アイテムは必要ない。
実際、コートを持っていない人も多く、この日のような真冬の特別外出(外出イベント)の場合、女性スタッフさんの古着を借りている人もいた。

この時期の私はもう自前の防寒ファッションを揃えていたわけで、個人的な女装外出をしていたということ。

1992年秋から付き合いだした彼が慶応ボーイで、職場が品川だったので、デートはもっぱら六本木だった。
私にとって最初の男性だった彼とは1995年夏くらいまで3年ほどの関係だったが、今でも懐かしく思い出す。
広島にいるはずだけど、元気にしてるだろうか?
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この写真、ワンピースの構造がよくわかる。
かなりのミニ丈であるのに加えて、着物タイプの斜め前合わせ(合わせは着物と逆)で左サイドでシースルーの付け紐で大きく結ぶカシュクールタイプなので、合わせがスリットになって、余計に危ない。
今なら、下の短いレギンスでも履くところだが、当時はそんなものはなかった。
袖が肩からシースルーで寒いので、肘上まである黒地に金で唐草模様のガントレット(籠手)をしている。
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「シャローム」の店内で。
亀戸という「場末」(江戸の最東端)にもかかわらず、なかなかおしゃれな店だった。
調べてみたら、今はもう無いみたい。18年も経っているかななぁ。

この頃から、水商売娘(ホステス)へのあこがれが急激につのっていた。
夜の盛り場で「女」として働いてみたい、ネオンが似合う女になりたいという願望が抑えられなくなっていた。

室内女装中心の「エリザベス会館」から次のステージに移る時期が近づいていた。

古い写真帳から(1997年10月11日 自宅玄関で出勤姿) [古い写真帳から]

10月9日(火)

ちょっと、珍しい写真。
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撮影場所は、目黒の自宅マンションの玄関。
これから新宿歌舞伎町にあった女装スナック「ジュネ」に出勤するところ。

撮影日のメモがなくはっきりしなかったが、今回、画像をアップするにあたって、画面右下に少し見える「スポニチ」の見出しからこの新聞が1997年9月28日のものであることがわかった。
私は、駅売りのスポーツ新聞を買ってきて読むと、直に玄関の新聞袋に入れる習慣なので、その少し後、当時の手帳と照合すると1997年10月11日(金)の撮影と思われる。
つまり、ちょうど15年前。

黒のボディコンシャスなタンクトップタイプのミニワンピースの上に銀光沢の長袖ブラウスを羽織り、極太ベルトでウェストを絞っている。
ストッキングは、当時お気に入りだったソニア・リキエルの不整形網タイツ。
黒革にいぶし銀の横縞がはいった大きめのショルダーバッグという出で立ち。

金曜日は大学の講義日だったので、講義を終えると飛ぶようにして夕方18時過ぎに家に帰り、すぐにネクタイを外しYシャツを脱ぎ、シャワーを浴びて化粧にかかり、真っ赤なルージュ、真っ赤なマニキュアを塗って夜のお仕事のお姐ちゃんに変身。
20時過ぎに家を出て最寄りの東急東横線学芸大学駅まで歩き、渋谷駅でJR山手線に乗り換えて新宿へ。
東口から急ぎ足で区役所通りの丸源54ビル2階の店に出勤というパターンだった。

当時の「ジュネ」の金曜日は、中山麻衣子さんが主任ホステスを務める「金ジュネ」の全盛期。
大勢のお客さんを相手に、一晩中、休む間もなく立ち働き、たいてい10曲、時には20曲近く唄い、朝5時頃やっと閉店。
片付けをして、早朝の電車の乗って家に帰るともう7時過ぎという日々だった。

それでもやっと「ネオンが似合う女」になれたことがたまらなくうれしくて、女として過ごす夜がとても楽しい時代だった。

ちなみに、実年齢は42歳だったが、店では30歳と言っていた。
これは、1つ年下の麻衣子さんが29歳と言っていたのに合わせるため。

「ジュネ」の店内の写真はほとんどない。
お客さんのプライバシーを守るため営業時間中の撮影はしていないことになっていたからだ。
というか「金ジュネ」の場合、忙しすぎて写真を撮っている余裕などなった。
この写真は、1998年12月20日の撮影。
『ニューハーフ倶楽部GOLD』という雑誌に連載していたエッセーに使うために、常連のお客さんにお願いして撮らせてもらったもの。
http://www4.wisnet.ne.jp/~junko/junkoworld1_8_04.htm
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この写真、拙著『女装と日本人』(講談社現代新書)の265頁にも(素顔で)載っているが、ネットということを考えて「匿顔」処置をした。
男性客は店で「船長さん」と呼ばれていた方だが、別に船乗りではなく、某大手デパートにお勤めだった。
私のことをとりわけ可愛がってくださった3人の男性客のうちの1人。
歌が好きで、橋幸夫&吉永さゆり「いつでも夢を」のデュエットから始まって、夜通し唄いあったのも懐かしい思い出。
左側、カラオケで唄っているのは「ジュネ」の会員さん。

ところで、冒頭の写真、1人住まいのマンションになぜシャッターを押してくれる人がいたかというと、私のHPを作成・管理してくれる個人秘書さんが、たまたまこの日は「残業」していたから。

それで、珍しい(現存唯一)出勤姿の写真が撮れたというわけ。

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