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谷合規子『性同一性障害―3・11を超えて』 [読書]

9月5日(水)

谷合規子『性同一性障害―3・11を超えて』(論創社、2012年9月 2500円+税)をいただく。
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著者の谷合規子さんは、中学校教員、ジャーナリストを経て、1992~2004年、埼玉県新座市市議会議員を(3期)務められた方。
2002年12月に新座市議会が全国に先駆けて「性同一性障害を抱える人々が普通に暮らせる社会環境の整備を求める意見書」を国に提出した際、主導的な役割を果たされた。
1982年「薬に目を奪われた人々」で潮賞ノンフィクション賞受賞されている。
また、谷合正明参議院議員(比例区・当選2回・公明党)のお母さまでもある。

第一部は“大震災と原発事故”を背景にした上嶋守と、79歳で念願を果して女性になった矢矧章子の記録。
第二部では医学・法律・子どもの世界・欧米の動向等、「性同一性障害」の直面している課題に迫る。

大災厄の年であった2011年における性同一性障害を抱える人たちの現状を記録したドキュメント。

とりわけ、79歳という高齢で、長年連れ添った奥さんと離別までして男性から女性への性別適合手術(SRS)を受けた矢矧章子さんについての記述は、いろいろ考えさせられるところが多かった。
何かに憑かれたようにひたすらSRSの実現に走る夫、なんとかそれを止めようとする妻、夫が長年の夢を実現して女の性器を得た時、平穏だった夫婦と娘1人の家庭が無惨にも完全崩壊してしまう。
夫の死に水をとるまで一生添い遂げるつもりだった奥さんの胸中はいかばかりだろう。

そのプロセスが実に克明に描かれていて、性同一性障害という「流行病」がもたらす悲劇がリアルに伝わってくる。
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(追記)
矢矧さんの行動を批判する気はまったくない。何度かお話をうかがい、よくよくお考えの上で、ある意味、命がけの決断だと理解しているので。
個人的な判断の是非の問題ではなく、矢矧さんに家庭崩壊に至る決断をさせてしまった「性同一性障害」という枠組みがもたらした悲劇だと考える。
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私についての言及は4カ所ほど。
6月4日の第13回GID学会の場面では、しっかりヒール、つまり、性同一性障害をもつ人たちとは対置されるトランスジェンダーという存在として登場(165~167頁)。
性同一性障害をもつ人たちの私に対する無責任かつ一方的な論評(会話)を1頁以上も書き連ねる叙述は、あまり上品な手法とは言えないが、ヒール(悪役)を際立たせる技法としてはなかなか効果的だから、まあそれはいい。

問題は、8月27日のgid.jpの東京交流会での講演の部分(196頁)。
私が「わたしは性同一性障害ではない」と言ったように記されているが、私はそんなことは言っていない。

私が言ったのは、
「わたしは性同一性障害という立場はとらない」

「わたしは性同一性障害ではない」なんて、私を半年以上10数回わたって慎重に診察し診断してくださった主治医の針間克己先生の顔を潰すようなことは絶対に言わない。

このことは、私の講演や著述をちゃんと参照してくれれば、簡単にわかること。

たとえば、本書でも参考文献にあげられている『女装と日本人』(講談社現代新書)でも、「はじめに」で「私は『性同一性障害』という立場は取りません」と明記している(5頁)。

したがって、本書のこの部分の記述は重大な誤認。
この場で、著者と出版社に抗議します。

「わたしは性同一性障害ではない」

「わたしは性同一性障害という立場はとらない」
は、けっして同義ではない。

もし、それが同義に思えるような言語感覚だったら、著述を公にするのは止めた方が無難だ。

私は医師ではないので、自分が精神疾患概念(病名)である性同一性障害であるかどうか、判断する能力もないし、その立場でもない。
私が性同一性障害であるかどうかは、針間先生のような専門医が診断すること。

ただ、私は性別を越えて生きたいと願うことを「病」ととらえる性同一性障害という概念に対し、本質的な部分で疑問を持ち、この概念が日本で社会的に浮上して以来、ほぼ一貫して疑義を唱えて来たので、専門医の診断がどうあれ、「性同一性障害という立場はとらない」(公の場で性同一性障害であるかどうかという表明はしない)ということ。

そんなこと、ちゃんと取材をしてもらえれば、簡単に説明したのに。

私への直接取材・確認なしに、一個人として重要なことを誤って書かれたことを、たいへん残念に思う。

愛川純子著『セクシィ仏教』 [読書]

愛川純子さんから今年の2月に出た、ご著書『セクシィ仏教』(メディアファクトリー新書 2012年2月 740円+税)をいただいた。
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第1章 女犯の歴史
第2章 天上界の色事情
第3章 婬戒―禁じられた性
第4章 僧と愛欲
第5章 愛欲と救い

テーマがテーマだけに、また、手軽な新書という枠組みの中で、記述内容・スタイルに苦労されたことがよくわかる。

でも、全体的にとても読みやすく、仏の教えと煩悩・愛慾という難しいテーマのポイントは外していない。
売れ行きが良いのもうなずける。

私的には、第3章の性欲と戒律の解説で、いろいろな性欲処理法を考える弟子たちに、お釈迦様が「波羅夷(はらい=教団追放)だ」を連発するのが笑えた。

セクシュアリティの歴史に興味がお有りの方には、お勧めの1冊。

ホイチョイ・プロダクションズ作品『新・東京いい店やれる店』( [読書]

8月24日(金)

時間つぶしに寄った渋谷駅東口歩道橋下の「山下書店」で、ホイチョイ・プロダクションズ作品『新・東京いい店やれる店』(小学館 2012年7月 1600円+税)を購入。
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1994年に出版された『東京いい店やれる店』 (小学館)の新版という設定だが、実際にはこの15年間に女性雑誌『FRaU』や『CanCam』に連載した「東京コンシェルズ」をもとにまとめたもの。

後者の英語書名は『SEX&THE CITY&THE RESTAURANTS』。
女性を、おいしいレストランに連れて行く→ホテルに連れ込む→Sexする、というパターンはバブル期(1980年)に流行った手口。

時代が遷り、経済状況がインフレからデフレへと一変し、男女の意識も変わった。
かっては、おいしいレストランの情報は男性が握っていて、店の選択の主導権は男性にあった。
今や、女性の方がずっと情報に精通しているし、何を食べる?の主導権も女性側に移った。

なのに、食欲と性欲をリンクさせた発想と手口指南が相変わらず男性発想なのが、逆に面白い。

この本は、読者対象を「M2(35歳以上の男性)」としているが、実際にはバブルの甘い香りを実体験して、夢よ再びと思っている50歳以上のオヤジ族だろう。
あるいは、娘時代にバブルのおいしい体験をたっぷりして、御馳走される習慣がすっかり身についている45歳以上のバブル女性たちが「相手の手口を研究するため」に読むのかもしれない。

著者は「デート使いのレストランの支払いは、一人最大1万2000円と考えている」(19頁)という基準で、お店を紹介している。

ということは、男性のレストランでの支払いは2万4000円ということ(ここでは「割り勘」という発想はない)。
首尾良く行けば、それにホテル代の支払いが加わるから、タクシー代などの諸雑費を加えたらデートの予算は4万前後。
太っ腹に構えるのなら5万円は準備しないと。

安価な居酒屋で割り勘でせいぜい1人数1000円レベル、さらにはもっと安く「家飲み」でデートする現代の若者には、まったく無縁な世界というか、そもそもデートにそこまでお金をかける発想が「信じられない!」ということになる。

今のご時世、オヤジ族でも、実際にそこまでのデート予算を確保できる人は少ないのではないか?。

それにしても「若い男子が、間抜けなデートを繰り返しているかぎり、20代の顔のいい女の心が、同世代の男から離れ、40代男性に惹かれてゆくのは当然の帰結。今や、日本の『若いいい女』資源は、我々オヤジに門戸を開いて待っているも同然なのである」(10頁)なんて書いてある。

このずうずうしい自信は、いったいどこから来るものなのか?

まあ、昔からホイチィ・プロダクションズの作品は、どこまで本気にしたら(真に受けたら)いいのかわからないところが、おもしろいのだが・・・・。
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↑ 実際にはしばしばこういうことになる。

ちなみに、索引に載っている162軒のお店で、私が行ったことがある店は1軒だけ。
白金の「都ホテル(シェラトン都ホテル東京」)の中華「四川」。
「東京の四川料理店で最も『やれる店』は(148頁)、ここだろう」という高評価の店。

私が行ったのは、たしかバブルの余韻がまだ残る1993年だったと思う。
連れて行ってくれたのは舞台照明の大家のオジ様。

四川料理を堪能した後は、もちろんエレベーターで階上のお部屋へ直行。
たしかに「やれる店」(私の側からすると「やられる店」)だった。

表紙や帯のイラストに「ヒライくん」が登場しているのも懐かしい。
「ヒライくん」は、ホイチィ・プロダクションズの作品のキャラクターで、もともとは広告業界4コマ漫画『気まぐれコンセプト』 (1984年)の主舞台「白くま広告社」の営業マン(早稲田大学卒)。

あの頃、30歳代前半の平社員だった彼は、28年経った今、順調なら重役クラスに出世しているはず。
でも、イラストの「ヒライくん」はすっかり中年太りしているが、やっていることはどうもあの頃と同じレベルみたいだ。
彼の28年間の人生、どんなだったのだろう?

実は、いつかバブル全盛期の六本木を駆け抜けた女性をメインにして、女性視点からバブル期の社会史的な本を書きたいと思っている。

そういうこともあって、今となっては貴重なバブル男性発想を維持しているこの本を買ってみた。