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芸者イメージの転換 [性社会史研究(一般)]

3月1日(土)

江戸・深川の「巽(たつみ)芸者」は、男性の衣類である羽織を着て、桃太郎とか稲吉のような男名前(権兵衛名)を名乗り、気性も意地と張りが売りだった。

柔和・従順のような近代的なイメージでの「女らしさ」ではなく、むしろ男気が人気だった。

また、新吉原遊廓の「吉原芸者」は、遊女との差異化が必要で、ファッション的には意識して地味な造りをしていた。
やはり、華美で「女らしい」近代の芸者イメージとは異なる。

それが、近代になると、芸者は「女らしさ」の象徴的存在になっていく。

江戸以来の巽芸者の伝統を引く柳橋芸者が徐々に衰退し、明治新政府の要人たちに愛された新興の新橋芸者が台頭していくのが、その転換を象徴している。

問題は、男ぶりから女らしさへという芸者イメージの転換がいつ進行し、そこに何が作用しているのか?ということ。

時期的には、明治初期(明治5~20年頃、1872~1889)だろうか。
浅草・凌雲閣の「東京百美人」(明治24年、1891)では写真でみる限り、「女らしく」なっているように思える。

作用したものについては、明治初期に東京に流入した新政府の担い手たちが持ち込んだ文化が考えられる。
薩摩は男色好きの女色嫌いで芸者文化はほとんどないので、長州の芸者文化(馬関芸者)のイメージが持ち込まれたのか。

時期や作用の実証は史料的に難しいが、江戸・東京において、芸者イメージが、男ぶりから「女らしさ」に大きく転換したのは、間違いない。

現代の「女らしい」芸者イメージは、近代の産物だと言うこと。

さらに、そこには、明治期以降に日本を訪れた欧米男性が抱いた「日本女性の典型」としての「女らしい」芸者イメージが逆輸入・投影されているかもしれない。

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2月28日(金)第1回「芸娼妓研究会」 [お勉強(研究会)]

2月28日(金)

13時20分、大妻女子大学・千代田キャンパスへ。
第1回「芸娼妓研究会」に出席。
とても活発で充実した議論。

対面とZoom合わせて6人の少人数だったが、私の世代からすると、このテーマで学術的な共同研究会が成立することが隔世の感。

ようやくこういう時代になったということ。

私のような高齢のロートル(←死語)研究者にお声を掛けていただいて、ほんとうに感謝。
体調的にもう実証的研究はできないが、考えてきたこと、知っていること、集めた資料は、できるだけ次の世代に伝えたいと思っている。

12月以来、心身不調による自宅療養生活で、病院に行く以外ほとんど外出していなかった。
研究会という学問的な場で、最新の研究を聴き、思いついたことをしゃべるのは、ほんとうに久しぶりで、時間が経つのも忘れるほど楽しかった。

懇親会はトルコ料理の老舗「ボスポラスハサン(市ヶ谷店)」。
料理とお酒をいただきながら、なんと4時間もおしゃべり。
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トルコワイン、少しだけお相伴。
お酒を飲むのは昨年5月以来。

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