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so-netブログ終了と移転のご挨拶 [日常]

3月3日(月)

so-netブログの運用が、2025年3月末で終了するにともない、この「続々・たそがれ日記」も終了することとなりました。

2012年8月以来、12年6カ月間、記事数1万1846 、閲覧数の累計 1704万4904となりました。

これも長い間、読んでくださった皆さまのお陰と、心から感謝しています。

ブログという発信ツールも、SNSの発達の中で、時代遅れになってきていることは自覚しています。
これを機に「ブログ日記」を止めることも考えましたが、過去Logの保全の必要性もあり、移転・継続することとしました。

今後は、下記のサイトに移転します。
「続々・たそがれ日記―残日録―」
https://junko-archive3.seesaa.net/
「続々・たそがれ日記 ―過去Log―」
https://zokuzoku-tasogare.seesaa.net/

操作上の不慣れに加えて、私の心身不調もあり、更新回数が減少すると思いますが、引き続き読んでいただけたら、幸いに思います。

最後に、12年半の長い間、お世話になりましたso-netブログに御礼申し上げます。
ありがとうございました。

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「足抜け」 [テレビ批評]

3月2日(日)

NHK大河ドラマ「べらぼう ~蔦重栄華乃夢噺~」第9回

新吉原遊廓からの「足抜け」(遊女の逃亡)、運良く大門を潜れたとしても、江戸市中の道は2本しかない。

日本堤を今戸に向かうか、吉原田圃を抜けて浅草に出るか。
どちらも見通しが良い一本道。

新吉原は、もともと何もない低湿地を造成(盛り土)して作ったので、周囲に人家は少なく、隠れる場所に乏しい。

ということで、足弱な女性では、追っ手(妓楼+吉原会所の男衆)に、ほとんど捕まってしまう。

「べらぼう」の、新さんとうつせみ(空蝉)の足抜けも、おそらく日本堤で捕捉されてしまう設定。
足抜け.jpg
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3月2日(日)『美術の窓』のインタビュー原稿の手直し [お仕事(執筆)]

3月2日(日)

『美術の窓』のインタビュー原稿の手直し作業。

すでにレイアウトができているので、全体の字数の増減を最低限に抑えながら全文をリライト。
元原稿5778字、手直し原稿5775字で、誤差3字。
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「講武所」の桃太郎 [性社会史研究(一般)]

3月2日(日)

「講武所」芸者の「桃太郎」って、現在の感覚からしたら、まったく「女らしく」ない。
武芸を習っているのか?と思ってしまう。

講武所・ももたろう.jpg
↑ 講武所の桃太郎(凌雲閣「東京百美人」)

「講武所」は文字通り江戸幕府の武芸教習所で、現在の千代田区外神田一丁目にあった。
それを花街の通称にするのが明治時代の感性。

明治時代前期までの江戸→東京の芸者は、必ずしも「女らしく」なく、むしろ「男っぽい」イメージという事例。

実際、明治初年の異性装禁止の時代に、火消し装束の男装で逮捕された芸者がいるし、芸者が男装して写真館で撮っている事例もある。



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明治時代の美人コンテスト、浅草・凌雲閣「東京百美人」(1891年) [性社会史研究(一般)]

3月2日(日)

明治時代の美人コンテスト、浅草・凌雲閣「東京百美人」(1891年)の結果を改めてみると、新橋の圧勝。
1~4位を新橋芸者が占め、柳橋芸者はかろうじて5位に食い込んだのみ。
新橋・玉菊.jpg
↑ 1位になった新橋・玉菊

そもそもエントリーした芸者は、新橋が圧倒的に多い。
花街別にカウントすると、以下のようになる。

新橋  47人
柳橋  16人
芳町  11人
日本橋 9人
吉原  6人
下谷  5人
講武所 2人
浅草  2人
赤坂  1人
(数字仮集計です。今、目がよく見えないので)

エントリーの時点ですでに新橋が圧倒していることがよくわかる。
そして結果も新橋の圧勝。

美人かどうか以前に、物量(応募人数、支援者数)で圧倒している印象。

「写真」「美人コンテスト」という新時代の新奇な風俗に、花街をあげて積極的に取り組んだ新橋と、「それ、なに?」という感覚の他の花街との大きな差を感じる。


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子宮移植についての私見 [現代の性(一般)]

3月1日(土)

2018年のGID(性同一性障害)学会で、FtMの摘出子宮を使った子宮移植について、京都大学医学部の菅沼教授(当時)の講演を聴いて以来、医療倫理的な立場から子宮移植にはずっと反対してきたが、いよいよ人体実験の段階になってきたのか・・・。

今回の慶應義塾大学の研究計画は、子宮の提供者を親族に、移植を受ける人を生得的な女性に限定しているが、岡山大学医学部の研究では、FtM(女性→男性)の摘出子宮をMtF(男性→女性)に移植することが想定されている。
医療倫理的観点が軽視されているのは大いに疑問。

中塚理事長を先頭に「GI(性別不合)学会」の大勢は、子宮移植推進だと思うが、私は頑固に反対する。

技術的にできることと、やっていいこととは別。
生命倫理が絡む問題は、十分に慎重であるべき。

「単なる臓器移植と考えるべき」という意見もあえうだろう、
そうだとしても、生体移植は提供者の負担・リスクが大きいので、命の危機がある場合以外は、慎重に考えるべきだと思う。

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「子宮移植」の臨床研究計画 審査委で承認 慶応大学病院


生まれつき子宮がない女性などに親族から提供された子宮を移植して出産を目指す「子宮移植」について、慶応大学病院は学内のグループが進めている臨床研究の計画が審査委員会で承認されたと発表しました。今後、実際に手術を行うかどうか病院で検討するとしています。

慶応大学の木須伊織専任講師らのグループは、生まれつき子宮がない女性や病気で摘出した女性など3人を対象に親族から提供された子宮を移植する臨床研究の計画を3年前、大学の審査委員会に申請しました。

この計画について慶応大学病院は27日、審査委員会で承認されたとホームページで発表しました。

子宮移植について日本医学会は、子宮を提供する女性や移植を受ける女性などへのリスクが明らかでなく、倫理的課題が残されているとして、少数の臨床研究に限って認めるとする報告書を4年前にまとめていますが、これまで国内で実施されたケースはありません。

グループの計画では手術は慶応大学病院で行うことになっていて、今後、実際に手術を行うかどうか病院で検討するということです。

慶応大学病院は「委員会で承認され、病院で検討を始められる段階に入ったという状況だ。現時点で手術を実施するかしないかは決まっておらず、今後検討を進めたい」としています。

「NHKニュース」2025年2月27日 16時26分
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芸者イメージの転換 [性社会史研究(一般)]

3月1日(土)

江戸・深川の「巽(たつみ)芸者」は、男性の衣類である羽織を着て、桃太郎とか稲吉のような男名前(権兵衛名)を名乗り、気性も意地と張りが売りだった。

柔和・従順のような近代的なイメージでの「女らしさ」ではなく、むしろ男気が人気だった。

また、新吉原遊廓の「吉原芸者」は、遊女との差異化が必要で、ファッション的には意識して地味な造りをしていた。
やはり、華美で「女らしい」近代の芸者イメージとは異なる。

それが、近代になると、芸者は「女らしさ」の象徴的存在になっていく。

江戸以来の巽芸者の伝統を引く柳橋芸者が徐々に衰退し、明治新政府の要人たちに愛された新興の新橋芸者が台頭していくのが、その転換を象徴している。

問題は、男ぶりから女らしさへという芸者イメージの転換がいつ進行し、そこに何が作用しているのか?ということ。

時期的には、明治初期(明治5~20年頃、1872~1889)だろうか。
浅草・凌雲閣の「東京百美人」(明治24年、1891)では写真でみる限り、「女らしく」なっているように思える。

作用したものについては、明治初期に東京に流入した新政府の担い手たちが持ち込んだ文化が考えられる。
薩摩は男色好きの女色嫌いで芸者文化はほとんどないので、長州の芸者文化(馬関芸者)のイメージが持ち込まれたのか。

時期や作用の実証は史料的に難しいが、江戸・東京において、芸者イメージが、男ぶりから「女らしさ」に大きく転換したのは、間違いない。

現代の「女らしい」芸者イメージは、近代の産物だと言うこと。

さらに、そこには、明治期以降に日本を訪れた欧米男性が抱いた「日本女性の典型」としての「女らしい」芸者イメージが逆輸入・投影されているかもしれない。

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2月28日(金)第1回「芸娼妓研究会」 [お勉強(研究会)]

2月28日(金)

13時20分、大妻女子大学・千代田キャンパスへ。
第1回「芸娼妓研究会」に出席。
とても活発で充実した議論。

対面とZoom合わせて6人の少人数だったが、私の世代からすると、このテーマで学術的な共同研究会が成立することが隔世の感。

ようやくこういう時代になったということ。

私のような高齢のロートル(←死語)研究者にお声を掛けていただいて、ほんとうに感謝。
体調的にもう実証的研究はできないが、考えてきたこと、知っていること、集めた資料は、できるだけ次の世代に伝えたいと思っている。

12月以来、心身不調による自宅療養生活で、病院に行く以外ほとんど外出していなかった。
研究会という学問的な場で、最新の研究を聴き、思いついたことをしゃべるのは、ほんとうに久しぶりで、時間が経つのも忘れるほど楽しかった。

懇親会はトルコ料理の老舗「ボスポラスハサン(市ヶ谷店)」。
料理とお酒をいただきながら、なんと4時間もおしゃべり。
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トルコワイン、少しだけお相伴。
お酒を飲むのは昨年5月以来。

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