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20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その26)神田→亀戸 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月23日(木)

1991年9月、「エリザベス会館」は、12年間を過ごした神田須田町を離れ、亀戸に移転した。

千代田区から大川(隅田川)の向こうの江東区、江戸下町の中心・将軍様のお膝元の神田から、下総国葛飾郡亀戸村へ、誰が考えても「都落ち」だ。

移転の理由は知らない。
ただ、会員さんの間には「どうせ移転するなら東じゃなく西(新宿方面)でしょう」という意見はあった。

東京という都市の構造変化を考えたらもっともな話だ。

しかし「エリザベス会館」の幹部の意見は、
「こういう(女装)商売は、人目が多い繁華な場所はだめなのよ」
というものだった。

時代の動きがわかっていない、いかにも下町の小企業の発想だった。

移転した亀戸店は、JR亀戸駅の北口を出て右方面へ、東武鉄道亀戸線の線路に沿って5~6分の場所で、元は倉庫だったらしい2階建ての建物だった。

1階の手前が女装用品のショップ、奧が月極のロッカー室。
階段を上った2階は、手前に化粧室、中央に談話室、奧に写真スタジオという構成で、手狭だった神田店よりずっと広くなった。
化粧室と談話室が同じ階になったのも機能的だった。

それは良いのだが、私のように東京の西側の住人にとっては通うのが遠く不便になった。
電車に乗っている時間が20分近く長くなったし、秋葉原駅での乗り換え(地下鉄→JR)も面倒だった。

私にとって残念だったのは、懐いていた世話係のDさんが、移転のタイミングで退職したことだ。
彼女も東京の西側の住人だったので、通勤の便が悪くなったのも
理由だったろう。

「エリザベス会館」が東京東部の亀戸へ移転したことによって、それまでも対立関係にあった新宿女装世界との距離がますます離れることになった。

画像は1991年8月28日撮影。
移転間近な神田店のルームで。
910828 - コピー.jpg

【追記】
「エリザベス会館」の店舗の場所選択が「変」だった事例。
亀戸移転とほぼ同時期(1991年10月)に出店した「新宿店」(ショップと小さな談話室のみ。メイク室はなし)は、JR山手線の新大久保駅北口から鍛えかなり歩く大久保・百人町で、とても「新宿」と言える場所ではなかった。
そんな場所にわざわざ行く女装者は少なく、談話室はまもなく閉鎖になった。
新大阪にあった「エリザベス・大阪店」が「パレットハウス」として独立(1990年1月)した後、出店した新「エリザベス・大阪店」は繁華街から遠い西区九条で、かなり不便だった。
当然、お客さんは少なく閉店。
移転した「難波店」も、新歌舞伎座裏のまた裏通りで、ミナミの繁華街ではなかった。

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