20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その24)わずか2カ月余の「3階建てビル」時代 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
1月21日(火)
「エリザベス・神田店」は1979年11月から、1991年9月23日に江東区亀戸に移転するまで、千代田区神田須田町の靖国通沿いの5階建ての「筒井ビル」にあった。
しかし、そこは創業の地ではない。
創業は、1979年8月25日、同じ神田須田町だが、少し西寄りの3階建てのビルだった。
そしてわずか2ヵ月余で「筒井ビル」に移転した。
私が「エリザベス会館」に行くようになった頃(1990年)、この「3階建てビル時代」を知っている会員さんは、もう2、3人しかいなかった。
画像は、数人しかいない「レジェンド」の1人、太田碧(ぺき)さんにいただいた「3階建て時代」の入場券(未使用)とパンフレット。

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「筒井ビル」時代とは化粧室と談話室の上下関係が逆で、「新人さん、あがりま~す」ではなく「新人さん、おりま~す」だったとのこと。
「エリザベス・神田店」は1979年11月から、1991年9月23日に江東区亀戸に移転するまで、千代田区神田須田町の靖国通沿いの5階建ての「筒井ビル」にあった。
しかし、そこは創業の地ではない。
創業は、1979年8月25日、同じ神田須田町だが、少し西寄りの3階建てのビルだった。
そしてわずか2ヵ月余で「筒井ビル」に移転した。
私が「エリザベス会館」に行くようになった頃(1990年)、この「3階建てビル時代」を知っている会員さんは、もう2、3人しかいなかった。
画像は、数人しかいない「レジェンド」の1人、太田碧(ぺき)さんにいただいた「3階建て時代」の入場券(未使用)とパンフレット。

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「筒井ビル」時代とは化粧室と談話室の上下関係が逆で、「新人さん、あがりま~す」ではなく「新人さん、おりま~す」だったとのこと。
「エリザベス会館」と新宿女装世界の差異 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
1月21日(火)
1990年代の商業女装クラブ「エリザベス会館」と新宿の女装世界の最大の差異は、セクシュアリティ。
前者は女装しない男性は入れないので、男性との性愛関係は生じない。
後者の「酒場」の客には「女装者愛好男性」(自分は女装しないが女装者が好きな男性)がたくさんいるので、しばしば性愛関係が生じる。
「エリザベス会館」の女装者の多くのセクシュアリティは、服装フェティシズム的で自己完結(オナニー)だが、新宿の女装者は、程度の差はあれ、男性とのセクシュアリティに(身体的かつ性愛技巧的に)対応できないと、やっていけない。
1990年代の商業女装クラブ「エリザベス会館」と新宿の女装世界の最大の差異は、セクシュアリティ。
前者は女装しない男性は入れないので、男性との性愛関係は生じない。
後者の「酒場」の客には「女装者愛好男性」(自分は女装しないが女装者が好きな男性)がたくさんいるので、しばしば性愛関係が生じる。
「エリザベス会館」の女装者の多くのセクシュアリティは、服装フェティシズム的で自己完結(オナニー)だが、新宿の女装者は、程度の差はあれ、男性とのセクシュアリティに(身体的かつ性愛技巧的に)対応できないと、やっていけない。
女装世界とGID世界 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
1月21日(火)
1990年代前半の商業女装クラブ「エリザベス会館」は、ほぼ完全にTV(Transvestite)の世界で、TS(Transsexual)の人が多いニューハーフ世界と対置していた。
だから1992年11月に女装交際誌『くいーん』の「セミナー」で、私が当時最新の「狭義のTG」概念を紹介したときには、大きな反発があった。
「エリザベス会館」の会員さんは、当時施行されたばかりのWHOのICD-10に当てはめれば、女装することが性的快楽に結びついているフェティシズム的服装倒錯症(fetishistic transvestism)の人が主流だったが、性別違和感の自覚がある両性役割服装倒錯症(Dual-role Transvestism)の人もけっこういたと思う。
両性役割服装倒錯症は、ICD-10では、Gender Identity Disorderの1つなので、2000年代以降なら「性同一性障害」の診断書が出るはずだ。
実際、そうした人たちは、1990年代末以降「性同一性障害」概念が流布してくると、女装世界からGIDの世界に移動していった。
たとえば、1990年代後半に「エリザベス会館」の有力会員で、「全日本女装写真コンテスト」でグランプリを獲得した方は、新宿の女装世界を経て、GIDの運動に転じ、2003年の「GID特例法」制定に、大きな役割を果たした。
また、ミニコミ誌『FTM日本』の発行人で、日本のGID運動の草分け的存在である虎井まさ衛さんが、アメリカでSRSを受けて帰国した後、コンタクトしたのはアマチュア女装交際誌『くいーん』だった。
今からすると信じられないような話だが、誌面に虎井さんメインの座談会が載っている(座談会の相手は私)。
1990年代は、今で言う「性別違和感」を抱いている人たちの居場所が乏しかった。
だから「なんか違うんだよな」と思いつつも、似たような人がいる場所(商業女装クラブや新宿の女装スナック)に同居していた。
「性別違和感」を抱いている人たちの居場所ができるのは、1990年代末に、GIDの自助・支援運動が始まってからのこと。
なにが言いたいかといえば、女装世界とGID世界は、そんなにきっぱり切れるものではなかったということ。
両者は、いろいろなところで繋がっていたのが歴史的事実ということ。
1990年代前半の商業女装クラブ「エリザベス会館」は、ほぼ完全にTV(Transvestite)の世界で、TS(Transsexual)の人が多いニューハーフ世界と対置していた。
だから1992年11月に女装交際誌『くいーん』の「セミナー」で、私が当時最新の「狭義のTG」概念を紹介したときには、大きな反発があった。
「エリザベス会館」の会員さんは、当時施行されたばかりのWHOのICD-10に当てはめれば、女装することが性的快楽に結びついているフェティシズム的服装倒錯症(fetishistic transvestism)の人が主流だったが、性別違和感の自覚がある両性役割服装倒錯症(Dual-role Transvestism)の人もけっこういたと思う。
両性役割服装倒錯症は、ICD-10では、Gender Identity Disorderの1つなので、2000年代以降なら「性同一性障害」の診断書が出るはずだ。
実際、そうした人たちは、1990年代末以降「性同一性障害」概念が流布してくると、女装世界からGIDの世界に移動していった。
たとえば、1990年代後半に「エリザベス会館」の有力会員で、「全日本女装写真コンテスト」でグランプリを獲得した方は、新宿の女装世界を経て、GIDの運動に転じ、2003年の「GID特例法」制定に、大きな役割を果たした。
また、ミニコミ誌『FTM日本』の発行人で、日本のGID運動の草分け的存在である虎井まさ衛さんが、アメリカでSRSを受けて帰国した後、コンタクトしたのはアマチュア女装交際誌『くいーん』だった。
今からすると信じられないような話だが、誌面に虎井さんメインの座談会が載っている(座談会の相手は私)。
1990年代は、今で言う「性別違和感」を抱いている人たちの居場所が乏しかった。
だから「なんか違うんだよな」と思いつつも、似たような人がいる場所(商業女装クラブや新宿の女装スナック)に同居していた。
「性別違和感」を抱いている人たちの居場所ができるのは、1990年代末に、GIDの自助・支援運動が始まってからのこと。
なにが言いたいかといえば、女装世界とGID世界は、そんなにきっぱり切れるものではなかったということ。
両者は、いろいろなところで繋がっていたのが歴史的事実ということ。