SSブログ

20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その15)1994年の「ほうづき市」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月18日(土)

1994年7月10日、「浅草寺ほうづき市」。
940710-1(2).jpg940710-3 (2).jpg
初めてウィッグをアップに結ってもらった。
940710-2 (3).jpg
940710-4(2).jpg
↑ 「新門」のお姐さんと

この時期、「エリザベス会館」の独裁者S専務との関係は修復不能になっていて、遠からず辞める覚悟はできていた。

同期(花の90年組)で仲が良かった岡野香菜さんと記念撮影。
940710- (3).jpg

けっこう吹っ切れた表情をしている。
940710-5(2).jpg

nice!(0)  コメント(0) 

20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その14)キャバレー「ハリウッド」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月18日(土)

1994年6月26日、「エリザベス会館」の外出イベントで、キャバレー「ハリウッド小岩店」に行った。
940626-1 - コピー.jpg940626-2 - コピー.jpg
なんで女装クラブのイベントでキャバレーに行くのか?よく分からないのだが(発言力のある先輩に行きたい人がいたのだろう)、それは、「ハリウッド」側もそうだったようで、ホステスさんの接客も、どこかぎこちなかった。
940626-3(2).jpg
私がいるテーブルに着いてくれたのは、同店のNo1のホステスさん(中学生のお子さんがいるシングルマザー、たぶん私と同世代の30代後半)だったが、どこかの店の「研修」だと思ったらしく、声をひそめて「合格は、あなたともう1人ね。あとはちょっと、使い物にならないわ」と言う。
「もう1人って誰ですか?」と問うと、
「あの子」
視線の先には村田高美さん。

ベテランホステスの慧眼、恐るべし。
その3年後、高美さんは新宿・花園八番街「高美」のママになり、私は歌舞伎町区役所通り「金ジュネ」のNo2になる。
940626-4 - コピー.jpg
↑ No1ホステスさんと。

この時も、亀戸から往復タクシーの予定だったが、帰路、タクシーがなかなか拾えない。
「エリザベス会館」は21時半までに完全撤収なので、21時までに帰らないと、スタッフさんに迷惑がかかる。

ということで、私は数人を引き連れて、小岩駅から総武線の電車に乗った。
小岩ー新小岩ー平井ー亀戸で、所要時間8分。

タクシー組より早く帰り着き、定時の撤収に間にあい、スタッフさんには喜ばれたが、後日、S専務にひどく叱責された。
そして、このことも、「エリザベス会館」を追い出される一因になる。


nice!(0)  コメント(0) 

20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その13)1994年「亀戸天神・藤祭り」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月18日(土)

商業女装クラブ「エリザベス会館」の外出イベント。
亀戸天神の「藤祭り」、1994年5月3日。

地元・亀戸のイベントなので、さすがにタクシーは使わない。
「エリザベス会館」とは亀戸駅を挟んで反対側なので、街中をぞろぞろ10数分、歩いて行った。
途中でである地元のおばさんなどは、
「あら、あら・・・、いってらっしゃ~い」
みたいな反応。
940503-3(2).jpg

亀戸天神は、江戸時代からの藤の名所、花房が長い満開の藤はじつに見事だった。
940503-2(2).jpg940503-1 (2).jpg
ところが、こうやって藤の花の下でポーズをとると、見ず知らずのおじさんカ。
メラマンが断りもなく、シャッターを切る。
肖像権という概念は知られていない時代とはいえ、失礼だ。
せめて「撮ってもいいですか?」くらい言うのがマナーでしょう。

中には「お姐さん、こっち視線ください」
なんて言う、図々しい奴もいる。
「お前、どこのどいつだよ?」
と言いたくなるが、条件反射で微笑んでしまう。

後日、「駅のホールでやっている藤祭りの写真展に、順子さん、写ってたよ」ということになった。
nice!(0)  コメント(0) 

20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その12)1994年「新年会」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月18日(土)

1994年1月8日、亀戸の街のスナックで「新年会」。

比較的少人数だった記憶がある。
「エリザベス会館」は冷暖房完備の「常春の国」で、そこで女装している分には防寒具はいらない。
だから厳冬期の夜間外出に対応できる会員さんが少なかったのだと思う。

逆にフェイクファーのハーフコート(当時の流行)やロングブーツを持っている私は、自分で外出しているのがバレる仕組み。
940108-1 (3).JPG

黒の前合わせ(着物風)のマイクロミニ丈のワンピース。
袖はシースルー。
大きな蝶のバックルの幅広ベルト。
940108-2(3).JPG

亀戸なら、スナックのホステス、やれたと思う。
940108-3(2).jpg
nice!(0)  コメント(0) 

20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その11)初めての和装外出 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月18日(土)

「エリザベス会館」の外出イベントで、私がいちばん好きだったのは、7月の「浅草寺ほうづき市」。
930710-1 - コピー.jpg930710-3 - コピー.JPG 930710-2 - コピー.jpg
画像は1993年7月10日、私にとって初めての和装外出だった。

「あなたは着物が似合うからどんどん着なさい」と、「エリザベス会館」の和装女装の大御所・斎藤玲子さんのお墨付きをもらっていたが、この日の体験で自信を持った。

露店でたこ焼きを買うと、お兄さんが
「お姐さん、美人だから、おまけしちゃおう」
と、お皿に載りきれないくらいおまけしてくれる(6個→10個)。

ホオズキも
「お姐さん、きれいだからまけちゃおう!」
で、700円値引き。

露天商の商売というものは、そういうものだと、その時はまだ知らなかった(世間知らず)。

とはいえ、先輩たちが、皆まけてもらっていたかというと、そうでもなく・・・。

「エリザベス会館」に戻って、スタッフさんにその話をすると、
「世の中、そういうものなのよ。でも、そうじゃない人もいるから、あまり言っちゃ駄目よ」
と教わった。



nice!(0)  コメント(0) 

20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その10)イベント外出の定番 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月18日(土)

「エリザベス会館」の外出イベント、私にとっては、春の「お花見」と夏の「東京湾納涼船」が定番だった。

1993年7月17日「東京湾納涼船」。
黒のタンクトップにオレンジのサマー・カーディガン、黒のタイトミニ。
竹芝桟橋で。
930717-4(2).jpg

1994年4月8日、上野公園での「お花見」。
940408-1(2).jpg
どこかの会社のお花見に紛れ込んでいる。
左端は南麻衣子先輩。



nice!(0)  コメント(0) 

20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その9)外出イベント [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月18日(土)

商業女装クラブ「エリザベス会館」に通っていた頃(1990年6月~94年8月)の思い出を書いてきたが、コンテストの話が尽きたので、外出イベントの話をする。

以前にも書いたが「エリザベス会館」の外出イベントは、基本料金4000円+追加料金(4000~10000円)でお金が掛かった。
お金がない私は、初めの2年間、いつもお留守番だった。

それと、わざわざお金を払って外出する、というシステムが理解できなかった。
また、いい大人が幼稚園児みたいに女性スタッフに引率されて出掛けるという形も。
ところが、1992年頃から、だんだん「看板娘」的なポジションになってきて、お留守番ばかりしていられなくなった。

最初のイベント外出は、1992年7月25日の「東京湾納涼船ツアー」。
初来館から2年1カ月が経っていた。
亀戸からだと、普通なら総武線と山手線を乗り継いで新橋駅へ行き、竹芝桟橋まで歩くが、なんと大型バスがチャーターされていた。
追加料金が高いわけだ。
920725(2).jpg
画像は、お船(大島航路のフェリー)の上で。
黄色のサマーニットと同色系のニットのスカート。
私としては、おとなしいファッション。
幅広のベルトは、この時代の流行。

2回目のイベント外出は、1993年4月1日の上野公園のお花見。
930401-1(2).jpg
交通機関は、亀戸から往復、タクシーだった。
どこかの会社(たしか商社の伊藤忠だった記憶)のお花見に呼ばれている。

この時、先輩の中に「自分はこんな格好をしているが、あくまでも趣味で、昼間は一流企業の管理職で・・・」みたいな言い訳をする人がいて、「野暮だなぁ」と思った記憶がある。

それに、プロのニューハーフさんへの見下しが感じられて嫌だった。
私は「お店どこ?」と問われると、「六本木」とか適当に答えていた。

nice!(0)  コメント(0) 

20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その8)コンテスト受賞を目指して [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月18日(土)

商業女装クラブ「エリザベス会館」に行くようになり、コンテストでの受賞を目指して、私がしたこと(1991~93年頃の話)。

① 体重を10%ほど減らす。
  スポーツをやっていた高校生の頃の体重レベル。

② 日焼けを止める。
  入会後すぐの夏休み、調査旅行で日焼けしたら、メイクさんに叱られた。以後は、日焼け止めクリームを常用。

③ モデル教本を買って、ポーズのトレーニング。
  これ、いちばん力を入れた。
  立ち姿勢の重心の置き方、肩・肘関節の使い方、首・肩・腰の捻り、背中の反らしetc
  自分だけでは客観視できないので、仲良くなった女性スタッフさんにトレーナー役になってもらった。
  彼女には「流し目」の練習もさせられた。

④ プロのスタジオ・カメラマンに撮影技術を教わる。
  ほとんどの人はカメラストロボだけで撮っていたが、私はプロ仕様の大型2灯ストロボの撮影技術を習得。
  さらに、ストロボに同調する発光装置をバックライト(後光)に使った。

⑤ 有名写真家の写真集を買って、表現技術の勉強。
  影響を受けたのは、日本人では当時全盛の篠山紀信、海外では、フランスの女性写真家イリナ・イオネスコ。
  一般的なバック紙ではなく。布地をコーディネートする方法を「エリザベス」に持ち込んだのは私が最初。

⑥ 『くいーん』誌経由で送られてくるファンレターにせっせとお返事を書く。
  結果「全日本女装写真コンテスト」では、日本各地から票が入るようになった。

930322-4(2).jpg930415 (2).jpg
画像左は「洋装のランジェリーに、和装の振袖や帯を組み合わせたら面白いかな」と思って試し撮りした写真(1993年3月22日撮影)。
右はその発想の完成形で、1993年の第10回全日本女装写真コンテストの応募作品(1993年4月15日撮影)。

今、比べると、試写の方がすっきりしていて良いようにも思うが、こういうことって行き着くところまで行かないと止まらないのだ(笑)



nice!(0)  コメント(0)