経産省が最高裁判決を遵守しない事態 [現代の性(性別越境・性別移行)]
9月22日(日)
自分にとって、都合が悪い判決だから、最高裁の判断を遵守しなくていい、しかも官公庁・・・、ということになったら、三権分立の法治国家は崩壊する。
法の支配、三権分立の根幹に関わる重大問題。
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最高裁違法判決後もトイレ制限 経産省、トランスジェンダーの職員に
経済産業省がトランスジェンダー女性の50代職員に対し、勤務階から2階以上離れた女性トイレを使わせたのは「違法」と判断した昨年夏の最高裁判決をめぐり、同省が判決から1年以上経っても、トイレ制限を続けていることが分かった。
『朝日新聞』2024年9月22日 5時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S16040586.html
自分にとって、都合が悪い判決だから、最高裁の判断を遵守しなくていい、しかも官公庁・・・、ということになったら、三権分立の法治国家は崩壊する。
法の支配、三権分立の根幹に関わる重大問題。
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最高裁違法判決後もトイレ制限 経産省、トランスジェンダーの職員に
経済産業省がトランスジェンダー女性の50代職員に対し、勤務階から2階以上離れた女性トイレを使わせたのは「違法」と判断した昨年夏の最高裁判決をめぐり、同省が判決から1年以上経っても、トイレ制限を続けていることが分かった。
『朝日新聞』2024年9月22日 5時00分
https://www.asahi.com/articles/DA3S16040586.html
私のドラァグクイーン認識 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
9月22日(日)
私は最初に会ったドラァグクイーン(DQ)がマーガレットさん(1996年)で、以後もいろいろ教えてもらってきたので、DQについての認識はマー様の影響が強いのは自覚しているが、その上で。
DQの本領は、風刺(caricature)に富んだファッションと毒のある言葉だと思っている。
だから、あたり触りのない容姿で、毒が抜けたことしかしゃべらないDQは、私的にはDQではなく、普通に女装のタレントさんだと思っている。
昼間の公の場で、より広いお客さんに接するには、毒を抜かなければならない営業的な事情は解るが、それはDQの本筋ではないということ。
逆に言えば、毒が本領のDQは、表舞台に出る存在ではない。
それを表舞台に引っ張り出せば、現代のポリコレ的にトラブルになる(なった)。
DQのプライドは、金の王冠ではなく、紙の王冠である、というマー様の言葉、あらためて噛みしめたい。

私は最初に会ったドラァグクイーン(DQ)がマーガレットさん(1996年)で、以後もいろいろ教えてもらってきたので、DQについての認識はマー様の影響が強いのは自覚しているが、その上で。
DQの本領は、風刺(caricature)に富んだファッションと毒のある言葉だと思っている。
だから、あたり触りのない容姿で、毒が抜けたことしかしゃべらないDQは、私的にはDQではなく、普通に女装のタレントさんだと思っている。
昼間の公の場で、より広いお客さんに接するには、毒を抜かなければならない営業的な事情は解るが、それはDQの本筋ではないということ。
逆に言えば、毒が本領のDQは、表舞台に出る存在ではない。
それを表舞台に引っ張り出せば、現代のポリコレ的にトラブルになる(なった)。
DQのプライドは、金の王冠ではなく、紙の王冠である、というマー様の言葉、あらためて噛みしめたい。
歴史を叙述するということ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
9月21日(土)
今日の代官山「アマランスラウンジ」のイベントの感想。
歴史を叙述するには責任がともなう。
また、当事者性に留意することも大切だ。
当事者でない人があるカテゴリーの歴史を叙述する場合、当事者への丁寧な取材が必要で、それは当事者への敬意につながる。
そのあたりのこと、マー様が冒頭でガツンと言ったのがとても良かった。

日本のドラァグクイーンの歴史を叙述するなら、まず同時代の生き証人(マー様たち)に丁寧にインタビュー調査をすることから始めるべきで、それをベースに文献や映像資料で裏打ちしていくのが、文献が乏しい分野の研究の常道。
自分の思い込みで「歴史」を作って、それを当事者であるマー様にぶつける(「ちゃちゃを」入れさせる≒検証させる)のは、手順がまったく逆だし、当事者に対する敬意と礼を失することだと思う。
大学(文学部の歴史学専攻)の卒論ゼミだったら、こういう批評になるが、昨日の演者は歴史研究の基礎訓練を受けていない人なので、言ってもしょうがないから、言わなかった。
今日の代官山「アマランスラウンジ」のイベントの感想。
歴史を叙述するには責任がともなう。
また、当事者性に留意することも大切だ。
当事者でない人があるカテゴリーの歴史を叙述する場合、当事者への丁寧な取材が必要で、それは当事者への敬意につながる。
そのあたりのこと、マー様が冒頭でガツンと言ったのがとても良かった。
日本のドラァグクイーンの歴史を叙述するなら、まず同時代の生き証人(マー様たち)に丁寧にインタビュー調査をすることから始めるべきで、それをベースに文献や映像資料で裏打ちしていくのが、文献が乏しい分野の研究の常道。
自分の思い込みで「歴史」を作って、それを当事者であるマー様にぶつける(「ちゃちゃを」入れさせる≒検証させる)のは、手順がまったく逆だし、当事者に対する敬意と礼を失することだと思う。
大学(文学部の歴史学専攻)の卒論ゼミだったら、こういう批評になるが、昨日の演者は歴史研究の基礎訓練を受けていない人なので、言ってもしょうがないから、言わなかった。