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漢字の字形と使用について [生活文化・食文化・ファッション文化論]

5月27日(月)

昨日の米澤泉美さんの「幽霊漢字」の報告でコメントしたことを敷衍しておく。

日本の奈良時代(8世紀)は世界中で一番たくさん文字資料が残っているが、仏典を除く行政文書(戸籍を含む)に使用されている漢字は、それほど多くない。

当然のことながら文書は書記官が毛筆で紙に書くわけで、字体の細部にややブレはあるが、公文書ではまずまず「標準化」がなされている。

地名は、和銅6年(713)に国・郡・郷レベルまで「好字二字」で完全に「標準化」されている。
だから、やたらと難しい漢字を使う地名はない。

戸籍も、庶民の名前に難しい漢字を使うはずもなく、多くは音に漢字を当てるか(佐久良)、子、丑、寅・・・のように生年の十二支を使うくらい(子麻呂、寅女)。

そうした状況は、徐々に崩壊しつつも律令文書主義が行われていた平安時代までは、大きな変化変はなかったと思う。

平安時代中期、898~901年頃にb編纂された最初の漢和辞典『新撰字鏡』(僧・昌住)12巻本には、約2万1000字が収録されている。
目一杯集めてこれで、日常的に使われていた漢字はもっとずっと少ない。

自筆本が残っている藤原道長の日記『御堂関白記』も、それほど使用漢字は多くない。
藤原実資の『小右記』や藤原行成の『権記』の方が、若干、使用漢字が多いように思う(誰も数えていない)が、まあ大差ない。

律令文書主義に起源する漢字の「標準化」が外れて、やたらと漢字の字体が増えていくのは、おそらく
鎌倉時代以降ではないだろうか。

その傾向は江戸時代にさらに拡大していく。

そうした字体の多様化の背景には、漢字使用者の拡大があると思う。
使用者が多くなり、標準化チェックが効かなくなると、誤字も増え、その誤った字形が引き写されて拡大していく。

私は、多様な字形のかなりは、誤字起源だと思っている。

明治時代になって「王政復古」で律令制的な戸籍や土地台帳(土地登記簿)が作成されるようになったが、漢字の「標準化」がまったく不十分で、江戸時代以来の多様な字形が、戸籍や登記簿のような公文書に持ち込まれる。

本来、誤字であっても、いったん公文書に記されると、「この字形は誤りである」と言えなくなる。
で、字形がどんどん増えていく。

そうした状況が、昭和戦後期の漢字使用制限(でも、名字は例外)、1970年代末のコンピューター使用の開始による漢字の電子化まで続く。

という理解でどうでしょう? 泉美さん。
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