「サヴァト会」で誕生日祝い [交友]
5月28日(日)
「サヴァト会」(代官山「アマランスラウンジ」)で、誕生日祝いをしていただいた。
Edoさん、皆さん、ありがとうございました。
誕生当月中にお祝いしてもらったのは初めてだと思う。
で、これが最後かも。
5月生まれのお仲間のレジーヌさん(店主)にお年を尋ねたら15歳違いだった。
一回り違いくらいかなと思っていたのでショック(笑)
カスタードベースにフルーツがたくさんのったケーキ、おいしかった。
「サヴァト会」(代官山「アマランスラウンジ」)で、誕生日祝いをしていただいた。
Edoさん、皆さん、ありがとうございました。
誕生当月中にお祝いしてもらったのは初めてだと思う。
で、これが最後かも。
5月生まれのお仲間のレジーヌさん(店主)にお年を尋ねたら15歳違いだった。
一回り違いくらいかなと思っていたのでショック(笑)
カスタードベースにフルーツがたくさんのったケーキ、おいしかった。
「We are Transgenders.」に記録された1990年代後半の先進性 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
5月29日(月)
ドキュメンタリー映画「We are Transgenders.~性別を超え、自分らしく生きる!~」(尾川ルル監督、1998年)に記録されている1990年代後半の先進性。
(1)「Xジェンダー」概念の萌芽が確認できる
「自分が生まれた時に決められた性別と違う何かになろうとしている人」
↓
MtX、FtX(2000年代)
↓
Xジェンダー(2010年代)
(2)民法を勉強し、可能な限り婚姻と同等の権利を記した事実婚公正証書を作成した同性カップルがいたことが記録されている。
→ 渋谷区が公正証書を取り入れた同性パートナーシップ条例(2015年)に先立つこと18年前。
(3)性的マイノリティの「挙児」に注目している。
「おかま」と「おなべ」(いずれもご本人たちの自称)の夫婦の「挙児」と子育て。
→ 性的マイノリティの「挙児」が社会的に注目される2010年代後半の約20年前。
(4)いろいろな人たちが、性別(ジェンダー)は自己選択・自己決定であることを語っている。
→ 精神科医に性別を認定してもらう「性同一性障害」の病理的・他律的な発想と決定的に異なる自律的思想。
ドキュメンタリー映画「We are Transgenders.~性別を超え、自分らしく生きる!~」(尾川ルル監督、1998年)に記録されている1990年代後半の先進性。
(1)「Xジェンダー」概念の萌芽が確認できる
「自分が生まれた時に決められた性別と違う何かになろうとしている人」
↓
MtX、FtX(2000年代)
↓
Xジェンダー(2010年代)
(2)民法を勉強し、可能な限り婚姻と同等の権利を記した事実婚公正証書を作成した同性カップルがいたことが記録されている。
→ 渋谷区が公正証書を取り入れた同性パートナーシップ条例(2015年)に先立つこと18年前。
(3)性的マイノリティの「挙児」に注目している。
「おかま」と「おなべ」(いずれもご本人たちの自称)の夫婦の「挙児」と子育て。
→ 性的マイノリティの「挙児」が社会的に注目される2010年代後半の約20年前。
(4)いろいろな人たちが、性別(ジェンダー)は自己選択・自己決定であることを語っている。
→ 精神科医に性別を認定してもらう「性同一性障害」の病理的・他律的な発想と決定的に異なる自律的思想。
5月28日(日)ドキュメンタリー映画「We are Transgenders.」上映会 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
5月28日(日)
ドキュメンタリー映画「We are Transgenders.~性別を超え、自分らしく生きる!~」(尾川ルル監督、1998年)の上映会にご参加くださいました皆さま、ありがとうございました。
上映後の質疑応答も活発で、企画者としてとても有意義な時間でした。
会場でお話ししたとおり、このフィルムに記録された1990年代後半のトランスジェンダー世界の先進性は、あらためて再評価されるべきものだと思います。
同時に自分が生きてきたこの時代がすでに「歴史」になっていることに、今さらながら気付きました。
そして、歴史研究として客観的に評価する必要を感じました。
ドキュメンタリー映画「We are Transgenders.~性別を超え、自分らしく生きる!~」(尾川ルル監督、1998年)の上映会にご参加くださいました皆さま、ありがとうございました。
上映後の質疑応答も活発で、企画者としてとても有意義な時間でした。
会場でお話ししたとおり、このフィルムに記録された1990年代後半のトランスジェンダー世界の先進性は、あらためて再評価されるべきものだと思います。
同時に自分が生きてきたこの時代がすでに「歴史」になっていることに、今さらながら気付きました。
そして、歴史研究として客観的に評価する必要を感じました。