女装商業雑誌の失敗 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
9月3日(土)
日本最初の商業異性装雑誌『CROSS DRESSING』(光彩書房)の創刊号(1991年12月)と第2号(1992年4月)。


記録的な返本の山で、「3号雑誌」にも届かず、2号であえなく廃刊。
商業雑誌にしては知性的に過ぎ、逆にエロ度が少なすぎたのが敗因。
時期的にも5年早すぎたと思う。
残念ながら、今回の「装いの力 ー異性装の日本史」展では、展示する余裕がなかった。
『CROSS DRESSING』の大コケの後も、同じく光彩書房から『innerTV』が刊行され、3号で廃刊(1994年1月~8月)、『女装読本』(1994年12月)は1号で廃刊と、商業女装雑誌はまさに死屍累々。
意欲はあっても戦略がなく、正直言えば、「この人、編集者なのに、なんで一貫の女装者(私)よえい、世間を知らないのだろう?」と不思議に思った記憶がある。
やはり、エロ(ヌード・グラビア)がなければ売れないという判断で、「脱げる」プロ中心の『ニューハーフ倶楽部』(三和出版)創刊(1995年3月)となる。

そこらへんの流れ(女装商業雑誌の失敗)、ずっと関わっていたのだけど、よく考えたら、まとめて書いたことはなかった。
もう誰も興味ない(誰もインタビューに来ない)だろうから、詳しい話は、お墓まで持って行く。
日本最初の商業異性装雑誌『CROSS DRESSING』(光彩書房)の創刊号(1991年12月)と第2号(1992年4月)。


記録的な返本の山で、「3号雑誌」にも届かず、2号であえなく廃刊。
商業雑誌にしては知性的に過ぎ、逆にエロ度が少なすぎたのが敗因。
時期的にも5年早すぎたと思う。
残念ながら、今回の「装いの力 ー異性装の日本史」展では、展示する余裕がなかった。
『CROSS DRESSING』の大コケの後も、同じく光彩書房から『innerTV』が刊行され、3号で廃刊(1994年1月~8月)、『女装読本』(1994年12月)は1号で廃刊と、商業女装雑誌はまさに死屍累々。
意欲はあっても戦略がなく、正直言えば、「この人、編集者なのに、なんで一貫の女装者(私)よえい、世間を知らないのだろう?」と不思議に思った記憶がある。
やはり、エロ(ヌード・グラビア)がなければ売れないという判断で、「脱げる」プロ中心の『ニューハーフ倶楽部』(三和出版)創刊(1995年3月)となる。

そこらへんの流れ(女装商業雑誌の失敗)、ずっと関わっていたのだけど、よく考えたら、まとめて書いたことはなかった。
もう誰も興味ない(誰もインタビューに来ない)だろうから、詳しい話は、お墓まで持って行く。
9月2日(金)渋谷区立松濤美術館の企画展「装いの力ー異性装の日本史ー」内覧会 [現代の性(性別越境・性別移行)]
9月2日(金)
渋谷区立松濤美術館の企画展「装いの力ー異性装の日本史ー」内覧会、大盛況。

私としては、キャンディ・ミルキィ師に、展示ケースに収められた女装雑誌『ひまわり』(キャンディさんが編集・発行人)を見せられたのが、なにより良かった。
ささやかな恩返し。
「キャンディさんの誕生!」
それにしても、この撮影コーナー、なぜ、逆光ライティングなのだろう?

キャンディ・ミルキィ師とシモーヌ深雪さんのツーショット。

図録、ずっしり厚い。
カラー図版も大きく、資料価値大。
で、いくらなのだろう?
もらったので、値段がわからない。
ドラァグ・クイーン(DQ)の展示が「西に偏っている」という指摘(というか、東はほとんどゼロ)。
西のDQ文化はアート志向、東はパフォーマンス志向なので、美術館の企画だと西の比重が大きくなる。
そこらへん、10月の公開対談で語ってもらおう。

公開対談でご一緒するシモーヌ深雪さんと。
渋谷区立松濤美術館の企画展「装いの力ー異性装の日本史ー」内覧会、大盛況。
私としては、キャンディ・ミルキィ師に、展示ケースに収められた女装雑誌『ひまわり』(キャンディさんが編集・発行人)を見せられたのが、なにより良かった。
ささやかな恩返し。
「キャンディさんの誕生!」
それにしても、この撮影コーナー、なぜ、逆光ライティングなのだろう?
キャンディ・ミルキィ師とシモーヌ深雪さんのツーショット。
図録、ずっしり厚い。
カラー図版も大きく、資料価値大。
で、いくらなのだろう?
もらったので、値段がわからない。
ドラァグ・クイーン(DQ)の展示が「西に偏っている」という指摘(というか、東はほとんどゼロ)。
西のDQ文化はアート志向、東はパフォーマンス志向なので、美術館の企画だと西の比重が大きくなる。
そこらへん、10月の公開対談で語ってもらおう。
公開対談でご一緒するシモーヌ深雪さんと。