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東京の陽性者数、ピークアウトか [世相(新型コロナ肺炎関連)]

8月24日(火)
東京都の陽性者数、ピークアウトだと思う。

水曜 4200 5366(+27.8%) 1.125[右斜め上]
木曜 4989 5534(+10.9%) 1.140[右斜め上]
金曜 5773 5405(- 6.4%) 1.096[右斜め下]
土曜 5094 5074(-0.04%) 1.081[右斜め下]
日曜 4295 4392(+ 1.0%)  1.077[右斜め下]
月曜 2962 2447(-17.4%) 1.063[右斜め下]
火曜 4377 4220(- 3.6%) 1.017[右斜め下]

「ピークアウト」というと、「コロナ禍継続願望派」(別名「コロナ脳」派)の人たちに叱られるが、数値はそれを示している。

しばらく高止まりが続き、徐々に減少基調になるだろう。
一方、遅行指標である死亡者の数は、しばらく増加する。
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今回のビデオ整理でわかったこと [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

8月24日(火)

今回のビデオ整理でわかったこと。

番組名に「性同一性障害」と銘打った番組で一番早いのは、
NHK総合1996年9月26日放送の、
「クローズアップ現代; 動き出した性同一性障害医療―解明されるか現代の病―」
と思われる。

次が、日本テレビ1997年6月15日放送の、
「ドキュメント‘97:性同一性障害・女から男へ」

私が関わった最初の番組は、
テレビ朝日(大阪朝日放送制作)1998年2月8日放送の、
「テレメンタリー‘98:性の越境者たち」
で、これは番組名に「性同一性障害」は使っていない。

4つ目が、テレビ朝日1998年5月17日放送の
「サンデー・プロジェクト:性同一性障害―女から男へ 男から女へ―」
その後、「サンデー・プロジェクト」は継続的にこの問題を取り上げる。

性同一性障害者に特徴的な「元の性を取り戻す」的な表現が番組名に登場するのは、
NHK教育1998年6月22日放送の「ETV特集:男と女の境界線―その性をとりもどす時―」
が最初。

そして、1998年10月16日夜、埼玉医科大学・第1号SRSを、各テレビ局が夜のニュースで一斉に報じる。

こうした「正規」(ガイドライン)医療の流れとは別に、16歳の男子高校生が卒業までに睾丸摘出手術を受けるために、母親が手術同意書に署名するシーン(1995年)とか、大阪のW形成クリニックで、SRS希望の男性が院長に帯封付きの100万円を渡し、院長がそこから4枚抜いて戻す(つまり手術代96万円)シーン(1998年)とか。

「闇」というか、ディープというか、「よくこんな場面を撮ったなぁ」というような部分を撮影している番組もある。
それは、それで貴重な記録。

はっきり言うと、「ガイドライン」以降のお行儀の良い番組より、おもしろい。

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ビデオの整理、終了 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

8月23日(月)

ビデオの整理、終了。
全部で45本。

エアチェックしていて、先に逝った友人の姿3人ほど。
涙が出そうになる。

なかなか見つからなかった「We are Transgenders.~性別を超え、自分らしく生きる!~」(1998年 尾川ルル監督)を、最後から4本目でようやく発見。

ああ、よかった。
大事なので仕舞い込み、見つからなくなるというパターン。

1998年「第7回東京国際レズビアン&ゲイ映画祭・フィルムコンテスト」のグランプリ受賞作品。
早世した森田MILKさん(ゲイフロント関西)の語り、大阪・堂山にあったニューハーフのお店「美女MEN」のフロアーショー、1997年に来日したミルトン・ダイヤモンド博士のお姿など、今となっては、貴重な映像が満載。
若き日(31歳?)の東優子さんもちらっと。

【追記】
ビデオの整理がやっと終わり、明け方、ベッドに倒れ込んだら、ベッド周りの本の山が一つ崩れ、そこからビデオが1本、出てきた。
15年ほど前に整理してナンバリングした19本の内、今回の捜索で行方不明だった2本の内の1本。
1997年と1998年の番組2本の録画。
これで46本。
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