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「背の高いお嬢さんたち」 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月2日(月)

「背の高いお嬢さんたち」とは、2002年、女装世界で遊んでいたある男性のお通夜の際に、お寺のご住職が言った言葉。

独身の中年男性のお通夜なのに、参列者がやたらと「女性」の比率が高く、かつモデル並みに背が高い「女性」が多かったので不思議に思ったらしい。

お斎(とき)の際に、ご親戚の方が、恐る恐る私に「皆さんは故人とどういうご関係で・・・」と尋ねてきたので、「遊び仲間です」と答えた。

嘘は言っていない。

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「女装者愛好男性」の心性 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

11月2日(月)

昨日「追悼会」があった「ぺんちゃん」のような「女装者愛好男性」(自分は女装しないが女装者が大
好きな男性)の意識の特質は、ほとんどの場合、「ホモセクシュアル」ではなく「自分は女好き」と主張すること。

そこに「ホモフォビア(同性愛嫌悪)」的な意識がないとは言えないが、性行動的にはゲイの人たちとは明らかに異なる。

たとえば、女装者が女装してない男姿の時には、触手が動かず、女姿のときだけ寄ってくる。
また、若いころに「女遊び」(買春)が盛んだったり、ストリップ小屋に通いつめたりした人もいる。
多くが女性と結婚してお子さんを儲けているし、中には、本妻とは別にお妾さん(女性)を囲っている人もいた。

それでいて、女装者を愛で、生活の面倒を見たりもする。

私はこうしたことから「女装者愛好男性」を究極の「女性ジェンダー(表現)好き」であると分析した。
男性がイメージする「女らしさ」への過剰な性的嗜好の1つの帰着点なのだと思う。

なんていう分析をご当人に話したら、
「いや~ぁ、ただの「釜好き」だよ。『釜セクシュアル』かな」と言われてしまった。

でも、「釜セクシュアル」は学術用語としては、ちょっと使えない(笑)。

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なお、20世紀末の「新宿女装世界」に興味がお有りの方は、下記の拙稿をご覧ください。

①「現代日本のトランスジェンダー世界 ―東京新宿の女装コミュニティを中心に」
②「女装者愛好男性という存在」
③「Aさんと私―ホステス順子の手記―」
④「女装者愛好男性A氏のライフヒストリー」
①~④は、矢島正見編著『戦後日本女装・同性愛研究』(中央大学出版部 2006年)に収録。

⑤『女装と日本人』(講談社現代新書 2008年)
第5章「現代日本の女装世界―新宿の女装コミュニティ―」





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やつれただけ [日常]

11月2日(月)
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昨日、20年ぶりくらいに会った人に「痩せました?」と言われた。
よほど太ったイメージだったのだろう。

「寄る年波で、やつれただけです。もうすぐお迎えが来るので」...




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セルフサービスのお店と高齢者 [世相]

11月2日(月)

昨日(1日)、「プライドハウス東京レガシー」に行く前に、いつものように「丸亀製麺・新宿御苑駅前店」に寄った。

日曜日の13時代ということに加えて、11月1日・2日が「釜揚げうどん半額デー」ということで、かなり混んでいた。

それにしても行列の進みが遅い。
おかしいなと思ったら、列の前の方にかなり高齢の女性(80代)がいて、そこで手間取って渋滞していた。

高齢者が、比較的安価な飲食店や喫茶店に来ると、セリフサービス・システムに対応できないという事態、あちこちで見られる。

店のスタッフが対応するしかないのだが、人手不足で付きっ切りというわけにもいかない。
明日は我が身と思いつつ、たいへんだなぁと思う。
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釜揚げうどん(並・半額)+れんこん天+鶏天(280÷2+110+150=400円)。安い!
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11月1日(日)「ぺんちゃん」の追悼会 [訃報・追悼]

11月1日(日) 曇り  東京  19.9度  湿度65%(15時)

10時、起床。
朝食は、マロンデニッシュとコーヒー。
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12時過ぎ、家を出る。
東急東横線・東京メトロ副都心線・丸の内線で新宿御苑前駅へ。
昼食は、いつものように「丸亀製麺」(詳細別記)。

「レガシー」に寄って、1時間半ほど雑務。
14時40分、辞去。

徒歩で新宿1丁目の鉄板焼き屋へ。

今日は、ここで「ぺんちゃん」の追悼会。
「ぺんちゃん」は1990年代~2000年代、新宿の女装バー&スナックの男性客で、自分は女装しないが女装者が大好きな「女装者愛好男性」の典型的な1人だった。

私が最初に会ったのは、たぶん1996年、新宿歌舞伎町区役所通りに女装スナック「ジュネ」だったと思う。
今日、思い出したが、当時の新宿女装世界の顔役で、私が「女装者愛好男性」を概念化したモデルの斎藤会長が連れてきて紹介されたような気がする。

私は「斎藤さんの女」ということになっていたので、ぺんちゃんは私にはちょっかいを出さず(ただ好みでなかったのかもしれない)、私とはだだのお客とホステスだけの関りだった。
それほど深酒するタイプではなく、どちらかと言えば、おとなしいお客さんだった。
縁が濃かったわけでもなく、なにしろ最後に会ってから20年近く経っているので、お顔もよく覚えていなかった(遺影を見て、ああ、この人と思い出した)。

出席したのは、古い友達の松田千絵さん(歌舞伎町「ミステリー・スポット東京」のママ)が誘ってくれたからで、同時に他の古い知り合いの消息がわかるかも、という思いだった。

追悼会には「背の高いお嬢さん」たちをはじめ30人ほどの関係者が集まっていた。
故人の人徳を偲ばせる。

ぺんちゃんは、今年の4月に亡くなられたが、長患いもせず、満88歳の大往生だったとのこと。
私が24年前に会った頃、60歳前後だった印象があるから、辻褄は合う。

面白かったのは、開会の辞と弔辞を読んだ発起人2人がどちらも「ぺんちゃんの女」だったこと。
さらに、会場には3人くらい「ぺんちゃんの女」がいた。
どうやら、病気で衰えた斎藤会長の後の2000年代が「ぺんちゃん」の全盛期だったらしい。
追悼会に元愛人が5人もいたら修羅場になりそうなものだが、そこは「女装世界」、和気あいあいの雰囲気で故人を偲んだ。

歴史研究者の悪い癖で、挨拶に来た発起人に尋ねると「ぺんちゃんの女」だった期間は、交代ではなく重なっていることがわかった。
まあ、同時並行的に複数の「女」の面倒を見るだけの経済力と気配りがあった人なのだろう。

驚いたのは「ペンちゃん」のご家族(同居していた娘さんと孫娘さん、そして息子さん)が来ていたこと。
とくに娘さんは、お父さんのちょっと変わった夜遊びを知っていたようだ。

で、さらに驚いたのは、その娘さんが「三橋さんて、講演のお仕事とかされてますよね?」と尋ねてきたので「はい」と返事すると、「ウチ、杉並で、この娘(孫娘)和田中なんですよ」。
杉並区立和田中学校は2003年から2008年まで、私は藤原和博校長の「よのなか科」の「差異と差別を考える」の授業のゲスト講師を務めていた。
今27歳の孫娘さんは、私のゲスト講義を受けた中学生さんだった。

なんという奇縁!と驚いていたら、孫娘さんも「家でその授業のことを話したら、お祖父さん(=ぺんちゃん)が『その順子というのは俺のダチなんだ』と言うので、またお祖父ちゃん適当なことを・・・と信じなかったのですけど、ホントだったのですね」と驚いていた。

千絵ママと昔のことをいろいろ話す。
「あの頃は、お互い元気だったし、いろいろ楽しかったね」と言うと、「順子さんはいつも穏やかで後輩をいじめなかったから、いっしょに遊んでいて楽しかったんですよ。だから、今日、お声をかけたんです」という返事。

ふ~ん、そうだったのかぁ。
私とは逆に「いつも後輩をいじめていた怖い人」がいたということ。
その人は、呼ばれてなかった(笑)。
だって、後輩をいじめて潰すより、やさしくして育てた方が、ぜったい女装世界の将来の繁栄につながるじゃないか。

ただ、南麻衣子さんや早春(さはる)さんなど、私と同年代で亡くなった方もいて、次は私の番だなと思った。

「ぺんちゃん」のお陰で、楽しかった時代をいろいろ思い出すことができた。
ありがとうございました。
御魂の安からんことを。

18時半、辞去。
夕食は、家猫さんと、自宅最寄り駅前の回転寿司。
炙りマグロ。
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今年のサンマは、やはり小さくて高い。
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蒸し牡蠣。
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就寝、2時。

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