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差別を合理化するフェミニズム理論なんてない [現代の性(性別越境・性別移行)]

1月8日(水)

ちょっと考えてみたのだが・・・。

トランスジェンダーの身体の完全性・自己決定の自由・人間としての尊厳は尊重されるべきであり、それを損なうことは人権侵害であるという認識は、WHO(世界保健機関)をはじめとする国連諸機関の共通認識であり、日本のフェミニズムがそれを認めない理屈を捻り出すのは、きわめて困難だと思う。

そもそもの話、性別、人種、年齢、宗教、障碍、健康状態、経済格差、性的指向並びに性同一性、性表現を理由とする差別はしてはならない、人間は平等であり人権に優劣、先後をつけてはいけないというのも、ほぼ世界の共通認識で、日本のフェミニズムだけがそれに反して、「女性の人権は重要(ただしトランス女性は除く)」とか「女性の人権が優先、トランス女性の人権はその後」という主張をしたら、それこそ世界の笑いものだ。

性暴力の問題にしても同様で、批判され裁かれるべきは加害者であり、被害者の属性によって対処を変えることは許されるものではない。
まして、ほとんどの場合、性暴力の加害者でなく被害者であることが多いトランス女性を「見かけ上、性暴力加害者と区別がつかないから」と言う理由で社会的に排除するTERF的な考え方を正当化する論理を見出すのは、いかにすぐれたフェミニズムの「理論家」でもほぼ不可能だと思う。

つまり、今さらあれこれ論じる必要はないのだ。
要は、差別をしてはいけない、人権に例外や優劣を設けてはいけないということだ。
なにも、C教授みたいに難しく考えることではなく、その基本認識に立ち返ればいいだけだ。

日本社会におけるジェンダー構造(男性優位/女性劣位)を批判的に論じることは、当然だと思うが、そこで、トランスジェンダー女性をわざわざ別枠にしても新たな成果は期待できないし、そもそも女性を分断する枠組みという点で、根本的な認識が誤っている。

差別を合理化するフェミニズム理論なんてない。

ちなみに、ここでいう「トランス女性」とは、「誕生時に性別を男性と指定されたが、現在が女性として生活している人」を指す。
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