SSブログ

ジャニー喜多川社長の訃報 [訃報・追悼]

7月10日(水)

占領期から1950年代高度経済成長期以前の日本で、米軍とコネクションがあることがどれだけ大きかったかは、たぶん現代の私たちの想像以上のものがある。

米軍関係者である象徴が、漢字と片仮名が混じる名前(通称)だった。

そういうコネクションから遠い(利益が得られない)人たちからすると、片仮名名前を名乗る連中は「胡散臭い奴ら」だった。

そうした側面や、アメリカ軍との関係が深いと推測される戦後の男性同性愛史の秘められた部分について、(無理なのは承知で)お話をうかがいたかった(合掌)。

----------------------------------------------------
ジャニー喜多川社長が死去、87歳生涯現役貫き逝く

ジャニーズ事務所のジャニー喜多川社長が9日午後4時47分、都内の病院で、解離性脳動脈瘤(りゅう)破裂による、くも膜下出血のため死去した。87歳だった。

通夜、告別式については「タレントたちとJr.のみで執り行う家族葬」という。別途、お別れの機会も設ける予定。同事務所が書面でマスコミ各社に発表した。ジャニーズの文化を作り上げ、SMAPや嵐など数多くのスターを世に送り出し、生涯現役を貫いたエンターテインメント界の一大功労者が、2度目の東京五輪を迎える前に逝った。

ジャニー氏は先月18日に、自宅で体調の異変を訴え、病院に向かおうとしたところ意識を失い、救急搬送された。懸命な救命措置の結果、集中治療室(ICU)から一般病棟に移っていた。

病室には新旧さまざまな楽曲が流され、近藤真彦(54)、東山紀之(52)、木村拓哉(46)中居正広(46)や嵐のメンバーをはじめ、ジャニーズJr.を含む、ほぼすべての事務所所属タレントが次々に見舞いに訪れ続けた。この間、危険な状態に陥ることもあったが、タレントたちが呼びかけ、体をさすったりすると、一時的に容体が回復することが繰り返されていたという。

入院については今月1日に、嵐の展覧会の会見前、メンバーを代表して松本潤(35)が「1日も早く、元気に回復してくれることを祈っています」と伝えていた。以降、東山や国分太一(44)らが、会見や情報番組などを通じてジャニー氏への思いを語っていた。

1931年(昭6)、米ロサンゼルス生まれ。33年に一家で日本に戻り、第二次世界大戦が起きると和歌山に疎開。空襲も経験した。終戦後は米に渡ったが、その後再び日本に帰った。62年にはジャニーズ事務所を設立し、同年あおい輝彦(71)ら4人組グループ「ジャニーズ」をデビューさせた。

その後、少年隊、SMAP、TOKIO、V6、KinKi Kids、嵐、関ジャニ∞など、数々の人気アイドルを世に送り出した。ギネスブックに「最も多くのコンサートをプロデュースした人物」「最も多くのNO・1シングルをプロデュースした人物」「チャート1位を獲得した歌手を最も多くプロデュースした人物」の3部門で認定された。メディアに登場することはなく、伝説的な存在であり続けた。

作品のプロデュース業にも情熱を注いだ。「ドリームボーイズ」「ジャニーズ・アイランド」などの舞台で、作・構成・演出などを手がけた。今年3月公開の映画「少年たち」では製作総指揮を務めた。舞台の稽古場には頻繁に足を運び、リハーサルや本番も毎日のように見守った。演出などを改善、変更する指示を出し続けた。

一方で、最近のジャニー氏は、記者の取材に応じた際、自身の体調について明かすこともあった。SMAP独立問題が明らかになった16年1月に入院していたことも、後日明かしている。「病気なんですよ」と口にし、冗談っぽく笑うこともあった。スタッフに支えられながら立ち上がり、車いすを使うことも増えた。時折言葉がこもってしまうこともあり、「思うようにしゃべれなくなってるんです。(体調が)良くないんですよ」とも話していた。

来年の東京五輪にも思いをはせていた。「僕は、3回五輪を経験しているんですよ」。32年と84年のロサンゼルス五輪、そして64年の東京五輪だ。来年の五輪期間中には「Endless SHOCK」「少年たち」などの舞台を特別上演するプランも明かしていた。「日本の文化のすばらしさを世界の方々に見てもらわないと。おもてなしですよ」と待ちわびていた。

倒れる前日の先月17日には、ジャニーズJr.らが出演するNHKBSプレミアム「ザ少年倶楽部」の収録を訪れていた。ほかにも連日、ライブイベントのリハーサルや、舞台の稽古現場を訪れ、積極的に指示を出したりスタッフと打ち合わせをしたりしていたという。プロデューサーとして生涯現役を貫いた人生だった。

「日刊スポーツ」2019年7月9日23時30分
https://www.nikkansports.com/entertainment/news/201907090001384.html?fbclid=IwAR3XpJSBF9oeaz6LYn0wtEe07ajqLteF2qxyEc06aPpjlbx9XMfEL-abvjQ

nice!(0)  コメント(0) 

京都大学の霊長類研究の系譜 [天文・気象・生物]

7月10日(水)

先日のシンポジウムで、日本学術会議会長で、京都大学総長の山極壽一先生にご挨拶した。
たぶん、今まで名刺交換した方で、いちばん偉い方なのではないかと思う。

山極先生は、人類学者で、京都大学の霊長類研究の伝統を引き継ぐ方で、会場でも「ゴリラの先生」と呼ばれていたように、とりわけゴリラについては世界の一人者。
ゴリラの生態観察から「家族」の成り立ちなどを研究されている。

とても精力的な方で著書も数多い。
ここでは、『家族進化論』(東京大学出版会、2012年)をあげておく。

Wikiで調べたら1952年1月の生まれで、私より3歳、4学年上。
師匠は、ニホンザル研究で著名な伊谷純一郎京都大学名誉教授(1926年~2001年)だそうで、
さらにその先生は、日本の霊長類学の礎を築いた今西錦司京都大学名誉教授(1902年~1992年)で、私は若い頃(20歳前後)、今西先生や伊谷先生の本を読んでいた。

ちなみに、私のセクシュアルマイノリティの「住み分け」理論は、今西先生の「種の棲み分け」理論の影響があると思う。

なにが言いたいかというと、学術研究は、世代を越えて、継承・発展していかなければ駄目だということ。
その点、京都大学のような伝統のある大学は強いと、あらあためて思った。

あ、山極先生のご本も読まないと・・・。
nice!(0)  コメント(0) 

7月9日(火)明治大学文学部「ジェンダー論」第12講「テレビ・メディアとジェンダー(2)―テレビドラマが見せる新しい世界―」 [お仕事(講義・講演)]

7月9日(火) 曇り  東京  21.8度  湿度78%(15時)

8時半、起床。
朝食はラズベリーデニッシュとコーヒー。
190709-1 (1).JPG
シャワーを浴びて、髪にあんこを入れて頭頂部で結んで、シュシュを巻く。
化粧と身支度。
黒地に茶と白の花柄のロングチュニック(6分袖)を黒のレギンス(3分)と合わせてミニワンピース風に、黒の網タイツ、黒のサンダル、ベージュのバッグ。
IMG_8515 - コピー.JPG

11時、家を出る。
ちょっと肌寒い。
東急目黒線から都営地下鉄三田線に入り、神保町駅で下車。
今日も1本早い電車に乗れたので、靖国通り沿いの「ドトール」で昼食を済ます。

今日は、海老とアボガドのミラノサンド。。
190709-2.JPG

12時25分、明治大学(駿河台)に到着。
レジュメは420部×2枚=840枚を印刷。
講義開始30分前に教室に運び、設置。
講師控え室に戻って前回の出欠記入。

13時30分、講義開始。
質問に答えた後、第11講「テレビ・メディアとジェンダー(1)―描かれるもの、消されるもの、操作されるイメージ―」の残りを解説。

1 テレビの中のL/G/B/T -その問題点-
 (1)取り上げ方のアンバランス
 (2)トランスジェンダーの扱いにおけるダブル・スタンダード
2 「おネエ」カテゴリーの問題性
 (1)「おかま」という言葉
 (2)「おネエ」という言葉
3 テレビ・メディアとトランスジェンダーの歴史 
 (1) 1960年代後半~1980年代
 (2)1980年代末
 (3)1990年代前半
  【参考映像1】 「帰ってきたニューハーフ100人」(日本テレビ1996年3月?日放送)
----------------(ここから)-----------------
 (4)1996年代後半~2000年代前半
  【参考映像2】「ニュース・ステーション 性を変えたい人」(テレビ朝日 1999年6月25日放送)
----------------(ここから)-----------------
 (5)2000年代後半
 (6)2010年代

続いて、第12講「テレビ・メディアとジェンダー(2)―テレビドラマが見せる新しい世界―」に入る。

1 ドラマ「女子的生活」を見る
 【概要】
 【あらすじ】
2 シーンの分析
(抽出シーン1)この容姿、この声ならば…
(抽出シーン2)女扱い(性他認の獲得)
(抽出シーン3)みきの自己規定
(抽出シーン4)就労さえできれば、なんとかなる
(抽出シーン5)元ルームメイト「ともちゃん」登場 (未)
(抽出シーン6)トランスジェンダーにとっての最大の問題:家族
----------------(ここまで)-----------------
まとめ

例によって、DVDの操作に手間取る。
まとめが残ってしまったが、予定した映像はほぼ見てもらえた。
あと2回で、なんとか追いついた。

15時10分、終了。
講師控え室に戻り、残りレジュメの整理。
続いて、コメント票の整理。

16時半、辞去。

駿河台下の「丸亀製麺」へ。
190709-3 (1).JPG
↑ かけ(並)+長茄子天+鶏天=290+130+150=570円

神保町「すずらん通り」の「サンマルクカフェ」で休憩。
190709-3 (2).JPG

自宅駅前の「ドトール」で家猫さんと待ち合わせ。
19時過ぎ、帰宅。

夕食は、寄せ豆腐。
190709-4 (1).JPG
空心菜の炒め物。
190709-4 (2).JPG

お風呂に入って温まる。
ちょっと疲労。

就寝、2時半。


nice!(0)  コメント(0)