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人見絹枝さんのこと [性社会史研究(一般)]

7月7日(日)

今日のNHK大河ドラマ「いだてん」はアムステルダムオリンピック(1928年)の回で、人見絹枝選手(1907~1931年〉がメインだった。

人見選手は、日本の女子選手として初めてオリンピックに参加し、陸上女子800mで銀メダルに輝いた日本の女子スポーツの偉大なパイオニアである。

彼女は、銀メダリストになった3年後に、結核性肺炎の一種である乾酪性肺炎で亡くなる。
24歳の若さだった。

ところが、死の直後から「人見絹江男性説」が、雑誌メディアで流布された。
170cm、57kgという、当時の女性としては稀な体格(男性としても大きい)、抜群の運動能力がもとになった「疑惑」で、当時はかなり広く流布したようだが、他には具体的な証拠はない。

ただ、ちょっと気になるのは、私の母(1920年生)が、生前はっきり「人見さんは男性よ」と断言していたことだ。

母は女医であり、しかも、1950年代に「第二の人見絹江」と将来を嘱望された陸上競技で好記録を連発した女子選手(母が校医をしていた高校の生徒)が、外性器の形態異常による性別誤認(実は男性)であることに気づいた人なので、女子選手の性別問題には素人ではなかった。

「人見さんは男性よ」という言葉に、何か根拠があったのか、それとも単なる母の主観だったのか、確かめなかったことが悔やまれる。

(参考)
Anno Jo Log「『人見絹枝は男』説の真贋 」(2005年10月27日)
https://annojo.hatenablog.com/entry/20051027/p1

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