ニューハーフ真里さんのトークから(その3) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
2月25日(月)
ニューハーフ真里さん、6カ所整形にしているとのこと。
① 額(プロテーゼを入れて丸みをもたせる)
② 目(一重まぶた→二重まぶた)
③ 鼻(削って、プロテーゼを入れて隆鼻)
④ フェイスライン(エラ=下顎角を削る)
⑤ 顎(削って先端にプロテーゼを入れる)
⑥ 豊胸
費用は、トータルで400万円ほど(1980年頃)。
①は、男性の顔の特徴として、眉骨(眉上弓)が出ているので、それを削り、額にプロテーゼを入れて、女性的な丸みのある形に整える(前額形成)。
トークの時、真里さんの横顔を見る角度だったので、額の整形状態がよくわかったのだが、真里さん、ほとんど眉骨がわからない。
額の形が女性的でないので、60過ぎても前髪をおろして隠している私としては、うらやましい限り。
まったくどこも直していない私としては、かなりコンプレックだった。
それはともかく「ニューハーフさんは上から(顔→胸)手術する」の典型的な事例。
(それに対して「性同一性障害の人は下(股間)から手術する」)
ニューハーフ真里さん、6カ所整形にしているとのこと。
① 額(プロテーゼを入れて丸みをもたせる)
② 目(一重まぶた→二重まぶた)
③ 鼻(削って、プロテーゼを入れて隆鼻)
④ フェイスライン(エラ=下顎角を削る)
⑤ 顎(削って先端にプロテーゼを入れる)
⑥ 豊胸
費用は、トータルで400万円ほど(1980年頃)。
①は、男性の顔の特徴として、眉骨(眉上弓)が出ているので、それを削り、額にプロテーゼを入れて、女性的な丸みのある形に整える(前額形成)。
トークの時、真里さんの横顔を見る角度だったので、額の整形状態がよくわかったのだが、真里さん、ほとんど眉骨がわからない。
額の形が女性的でないので、60過ぎても前髪をおろして隠している私としては、うらやましい限り。
まったくどこも直していない私としては、かなりコンプレックだった。
それはともかく「ニューハーフさんは上から(顔→胸)手術する」の典型的な事例。
(それに対して「性同一性障害の人は下(股間)から手術する」)
ニューハーフ真里さんのトークから(その2) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
2月25日(月)
真里さんのお気に入りのマーメイドスタイルのドレス。
フランスのファッション誌『VOGUE』(日本語版はまだない)を見ていて気に入り、さっそく注文(オートクチュール)。
お値段は76万円。
ただし、1983年当時は1ドル=240円前後なので、現在の貨幣価値にすると150万円ほどになる。
まさに「黄金の80年代」、衣装にかけるお金の感覚が違う。
撮影場所は赤坂の高級ゲイバー「ジョイ」で。
ママ(マダム・ジョイ)に、「あたしより高いドレス着ちゃあ、駄目でしょ!」と叱られたとのこと。
赤坂の迎賓館前で。
店を終えた後、この格好で移動し、警備の警察官にシャッターを押してもらったとのこと。
もう1枚、このドレスもすごい!
裾が写っていないのが残念。
撮影場所は、やはり赤坂「ジョイ」。
真里さんのお気に入りのマーメイドスタイルのドレス。
フランスのファッション誌『VOGUE』(日本語版はまだない)を見ていて気に入り、さっそく注文(オートクチュール)。
お値段は76万円。
ただし、1983年当時は1ドル=240円前後なので、現在の貨幣価値にすると150万円ほどになる。
まさに「黄金の80年代」、衣装にかけるお金の感覚が違う。
撮影場所は赤坂の高級ゲイバー「ジョイ」で。
ママ(マダム・ジョイ)に、「あたしより高いドレス着ちゃあ、駄目でしょ!」と叱られたとのこと。
赤坂の迎賓館前で。
店を終えた後、この格好で移動し、警備の警察官にシャッターを押してもらったとのこと。
もう1枚、このドレスもすごい!
裾が写っていないのが残念。
撮影場所は、やはり赤坂「ジョイ」。
ニューハーフ真里さんのトークから(その1) [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
2月25日(月)
真里さんは、大阪から上京して(1975年3月)入店した「ピープル」(六本木「スクェアビル」→赤坂)以外、ショーの固定メンバーには入らず、「遊軍」的なポジションだったようだ。
美貌でクレバーで、ダンス、トーク、音楽構成ができる「即戦力」だったので、各店で重宝されたらしい。
昨夜のトークで出てきただけでも、「ピープル」、「プティ・シャトー」(西麻布)、「ジョイ」(赤坂)、「ピーターパン」(新宿二丁目)、「マダムパパ」(新宿歌舞伎町)など1980年代の一流・有名ニューハーフ・ショーパブが並ぶ。
ただ、ママや先輩が言うことには絶対服従の体育会気質が強いニューハーフ世界で、嫌なことは嫌とはっきり言い、束縛を嫌う「自由な女」の真里さんは、一つの店に居続けにくかった面もあったようだ。
そうした姿勢と実力が、平成大不況期(1997年~)以降、同世代のニューハーフの多くが店の没落と運命を共にしていく中、生き延びて、64歳の今なお現役を続けられる力になったと思う。
画像は、「ピーターパン」(新宿二丁目、1983~88年)のショー。
撮影は1980年代中頃。
当時のカラーフィルムの感度では、室内で動きのあるダンスショーを撮るのは容易なことではなく、状態の良い写真は、あまり残っていない。
真里さんは、大阪から上京して(1975年3月)入店した「ピープル」(六本木「スクェアビル」→赤坂)以外、ショーの固定メンバーには入らず、「遊軍」的なポジションだったようだ。
美貌でクレバーで、ダンス、トーク、音楽構成ができる「即戦力」だったので、各店で重宝されたらしい。
昨夜のトークで出てきただけでも、「ピープル」、「プティ・シャトー」(西麻布)、「ジョイ」(赤坂)、「ピーターパン」(新宿二丁目)、「マダムパパ」(新宿歌舞伎町)など1980年代の一流・有名ニューハーフ・ショーパブが並ぶ。
ただ、ママや先輩が言うことには絶対服従の体育会気質が強いニューハーフ世界で、嫌なことは嫌とはっきり言い、束縛を嫌う「自由な女」の真里さんは、一つの店に居続けにくかった面もあったようだ。
そうした姿勢と実力が、平成大不況期(1997年~)以降、同世代のニューハーフの多くが店の没落と運命を共にしていく中、生き延びて、64歳の今なお現役を続けられる力になったと思う。
画像は、「ピーターパン」(新宿二丁目、1983~88年)のショー。
撮影は1980年代中頃。
当時のカラーフィルムの感度では、室内で動きのあるダンスショーを撮るのは容易なことではなく、状態の良い写真は、あまり残っていない。