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8月24日(金)少しづつ「旅日記」を書く [日常]

8月24日(金) 雨のち曇り 東京  31.4度  湿度78%(15時)

10時、起床。
朝食は、ミニ・デニッシュ2つとコーヒー。
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足りないので、冷たいジャガイモのスープ。
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旅行中に溜まったメールのお返事書き。
ブログ「日記」の整理。

昼食は、うどんを茹でる。
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付け合わせは、刻み油揚げとオクラ。
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旅行の写真の整理を始める。
少しづつ「旅日記」を書く。

夕食は、鶏もも肉を焼く(バジル風味とガラムマサラ風味)。
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生野菜。
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茄子と卵のお汁。
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お風呂に入って温まる。

明日は出かけるので、少し早寝。
就寝、2時。

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日本海に台風が2つ [天文・気象・生物]

8月24日(金)
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けっして広くない日本海に、台風が2ついる天気図って、天気図大好き50年の私も記憶がない。
過去にあったのだろうか?
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『新宿「性なる街」の歴史地理』の装丁案 [お仕事(執筆)]

8月24日(金)

『新宿「性なる街」の歴史地理』(朝日選書、10月25日発売予定)の装丁案が送られてきた。
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表紙カバーは、一目見て「うわ~ぁ!」と声が出てしまったくらいの、想像以上の大迫力で、編集・営業・著者一致でこれに決定!

朝日新聞出版、本気で、本の中身でなく表紙で売る気になっている(笑)

帯は2案あって(コメント欄に画像あり)、通常のタイプ(下の画が隠れる)と、疑似スケルトンタイプ(下の画が隠れない)。
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私は、表紙カバーの魅力を隠さないタイプ(下)を希望しているのだが・・・。

この画像、1950年「赤線」新吉原の高級店にいたちょっと古風だが売れっ子の女給さんという設定なのだが、ここまで再現できるモデルさんは、日本中、探しても、まずいない。

さらに、今時、これだけのクオリティの写真を撮ろうとしたら、モデルさん、カメラマン、スタイリスト&衣装提供、ヘア&メイクの人件費、加えてスタジオレンタル料で15~20万円はかかると思う。

そんなお金、朝日選書が出すはずはない。
彼女、1人4役か5役で、本当に1人で撮ってしまう(セルフポートレート)。
しかも自宅の自室で。

「持つべきものは(特殊能力がある普通じゃない)友」と言うか、まったくありがたいことだ。

彼女に表紙モデルをお願いしたのは2度目だが、前回は共編著(『性欲の研究 東京のエロ地理編』平凡社、2015年)、今回は単著。
一緒に仕事ができたというだけでなく、2人の友愛の記念碑が、本という形でほぼ永遠に残ることが、なによりうれしい。

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8月23日(木)パスポートの更新 [日常]

8月23日(木)

9時半、起床。
朝食は、ブルーベリーとりんごのパイ、コーヒー。
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12時過ぎ、家を出る。
台風20号が西日本に接近中だが、こちらは青空。

東急東横線→みなとみらい線で、日本大通り駅で下車。
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横浜の「産業貿易会館」で、パスポートの更新手続き。

例によって、書類上の性別と写真(見かけ)のそれが異なっているが、とりたててトラブルなく、無事に手続き完了。

ちょっとだけ海が見えるレストラン「カフェ・ド・ラペ」で昼食。
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ハンバーグ・ランチを注文。
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ドリンクバー付きで1100円はまずまず。
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台風の余波の、にわか雨の中、電車に乗り、渋谷へ
(続き)
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『週刊ポスト』の「美熟女」特集にコメント [現代の性(一般)]

8月23日(木)

現在発売中の『週刊ポスト』2018年8月31日号(小学館)の巻末カラー特集「男たちが本当に大好きな最高の美熟女30人」に、私のコメントが掲載されています。
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それにしても、御年73歳の吉永小百合さんが1位、87歳の八千草薫さんが14位とは。
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「熟女」の範囲がどんどん上に広がって、「老女」というカテゴリーをすっかり包摂してしまったことがわかります。

そうした「熟女の拡大」を支えているのが高齢男性の性欲、「性欲年齢」の上昇(それを煽ったのは『週刊現代』『週刊ポスト』などの週刊誌)。

早い話、80歳の男性から見れば、60歳の女性は十分に若いわけで、性的の対象になります。

で、60歳の女性の側も、男性から性的視線で見られていれば、アンチエイジングに励んで、性的魅力を維持しようとすわけです。
それが、「熟女の拡大」「美熟女の増加」の要因という説(というほどでもないけど)。

人間、歳をとれば、性的なステージから降りて「枯れる」のは自然なこと。
世の中はどんどん不自然な方向に行っているなぁと思います。

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「母はネアンデルタール人、父はデニソワ人」 ロシアで発見の化石 DNA鑑定で [性社会史研究(一般)]

8月23日(木)

とても興味深い発見。

ネアンデルタール人、デニソワ人、そして現生人類の先祖、同じヒト(Homo)属(ホモサピエンス)でも異なる種の間で、交配が繰り返され遺伝子がハイブリッドされていた可能性が強くなった。

現在のネグロイド、コーカソイド、モンゴロイドの人種の形成に異種間の混血が影響している可能性が出てきた。

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「母はネアンデルタール人、父はデニソワ人」 ロシアで発見の化石 DNA鑑定で

昔々ロシアの洞窟で、異なる種の旧人類2人が出会った。5万年後、科学者らは2人には娘がいたことを突き止めた。
この洞窟で発見された骨から検出された遺伝子によって、この骨の持ち主の少女はネアンデルタール人の母とデニソワ人の父を持つことが分かった。
学術誌「ネイチャー」に発表されたこの発見は、現生人類に最も近いヒトの生活について、貴重な情報をもたらしてくれた。
ネアンデルタール人とデニソワ人は我々と同じヒト属だが、違う種に属している。
独マックス・プランク進化人類学研究所(MPI-EVA)の研究員ビビアン・スロン博士は、「これまでの研究から、ネアンデルタール人とデニソワ人の間に子どもができていたことは推測されていた」と話した。
「しかし実際に両者の間にできた子どもを発見できるとは思っていなかった」

人類はネアンデルタール人の子孫?
現在、非アフリカ系の人類の遺伝子にはネアンデルタール人を起源とするものが少量含まれている。
そのうち一部地域に住んでいる人はさらに、アジア地域に住んでいたデニソワ人の遺伝子も持っている。
何世代にもわたって受け継がれてきた遺伝子によって、種の異なるヒト同士で交配があったことが示されている。
しかし、デニソワ人とネアンデルタール人両方の化石が見つかっているのは、シベリアのアルタイ山脈にあるデニソワ洞窟だけだ。
さらに、これまでにDNA鑑定を受けた化石人類はとても少なく、20体以下だという。
スロン博士はBBCニュースの取材で、「このとても少ない鑑定の中から、種の異なる父母を持つ個体を見つけた」と話した。
他の研究なども考え合わせれば、「人類の進化の歴史は全て、混血によって成り立っているという説が浮上してくる」という。

ネアンデルタール人とデニソワ人とは?
ネアンデルタール人とデニソワ人は、ユーラシア大陸で同じ時期に生きていたことが分かっている。
ネアンデルタール人は西側で、デニソワ人は東側で、共に4万年前ごろまで生きていた。
その後、ネアンデルタール人が東に移住していくことで、デニソワ人や、現生人類の祖先に出会った可能性がある。
MPI-EVAのスバンテ・ペーボ所長は、「ネアンデルタール人とデニソワ人が出会う機会はそれほど多くなかっただろう」と話した。
「しかし一度出会えば、私たちがこれまで考えていた以上に頻繁に交配していたはずだ」

この家族について分かっていることは?
数年前にデニソワ洞窟でロシアの考古学者が見つけた骨のかけらから、この少女の物語は始まった。
骨は独ライプツィヒで遺伝子分析を受けた。
カナダ・トロント大学のベンス・バイオラ氏は、「このかけらは長い骨の一部で、この人物が少なくとも13歳に達していたと推測できた」と説明する。
研究者らは、この少女の母親はそれまでデニソワ洞窟に住んでいたネアンデルタール人より、西欧地域に住んでいたネアンデルタール人に遺伝的に近いと推測している。
つまり、ネアンデルタール人は絶滅する数万年前から、欧州東西とアジアの間で移住を繰り返したことになる。
遺伝子分析ではさらに、デニソワ人の父親には少なくとも1人、ネアンデルタール人の祖先がいたことも明らかになった。

BBCニュース(ヘレン・ブリッグス)
(英語記事 DNA shows cave girl was half Neanderthal)
https://www.bbc.com/japanese/features-and-analysis-45280109



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イギリスBBCラジオのインタビュー [現代の性(一般)]

8月22日(水)

2泊3日の「2018夏『家猫さん慰労』北陸・温泉旅」から、18時、新横浜駅に帰着。
家猫さんに付き合ってもらい、駅上の「キュービックプラザ」の中華料理「梅蘭」で、時間調整を兼ねて、ゆっくり夕食。

19時半、家猫さんに先に帰ってもらって、新横浜プリンスホテルへ。

20時~21時10分、ホテルのお部屋で、イギリスBBCラジオの女性記者さんのインタビューを受ける。
内容は日本のトランスジェンダーの歴史と現在。

22時、ようやく帰宅。
疲労困憊。

ということで、旅行のことは、明日以降に書きます。

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2018夏「家猫さん慰労」北陸・温泉旅行(1日目の3:麩料理の「茶寮・不室庵) [旅]

8月20日(月)
(続き)
13時、予約してあった尾張町の麩料理「茶寮・不室(ふむろ)庵」へ。
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↑ 「にゃんこ、そっちじゃないよ」
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↑ 「こっちだよ」

「不室屋」は慶応元年(1865)創業の加賀麩の老舗。
麩は、小麦粉に食塩水を加えてよく練って粘りを出した生地を布製の袋に入れて水中で揉み、デンプンが流出させた後に残ったグルテン(タンパク質)を使った食品で、グルテンを蒸したものが生麩。
元来は、室町時代初期に明から渡来した禅僧によって製法が伝えられた精進料理だが、タンパク質が不足しがちな時代にあって、豆腐や納豆などの大豆タンパク食品と並んで、タンパク質を摂取できる食品だった。
生麩はお寺が多い京都、奈良、そして金沢が産地。

私の母方の祖母、母の好物だった。
そして、なぜか、家猫さんの好物。

ということで、「麩久箱膳」をいただく。
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↑ 蓋裏膳
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↑ 耳のあるお皿が気になったが、牛さんだった。
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↑ 麩久箱
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↑ お手毬麩入り卵焼き。まるでテリーヌのよう
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↑ 治部煮
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↑ 汁
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↑ 香の物と生麩のしぐれ煮
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↑ 甘味
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↑ 麩まんじゅう、好き。
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↑ 「おいしかったにゃ、満足にゃん」

まだ少し時間があったので、現在は「尾張町 町民文化館」になっている「旧・金沢貯蓄銀行」を見学。
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明治40年(1907)の建造。後に合併で北陸銀行尾張町支店になった。
外観は、腰壁が切石積み、黒漆喰の土蔵造りだが・・・、
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内部は洋風モダン。
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↑ 頭取室。

タクシーで、金沢駅へ。
(続く)
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2018夏「家猫さん慰労」北陸・温泉旅行(1日目の2:金沢城) [旅]

8月20日(月)

昼食の予約まで2時間弱あるので、バスで金沢城へ。
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32年前の新婚旅行の時は、城址は国立金沢大学で観光客は入れなかった。
その後、1995年に大学が移転し、石川県が国から城址を取得、復元整備を開始した。
そして、2001年、金沢城址公園として公開。

金沢城は、言わずと知れた加賀藩百万石の前田氏のお城。
金沢平野の中央を流れる犀川と浅野川に挟まれた小立野台地の先端に築かれた平山城で、元は加賀一向一揆の拠点「尾山御坊」(浄土真宗の寺院だが胃要塞的施設)があった。
それをで織田信長が攻め落とし、跡地に金沢城を築いて部将の佐久間盛政を置いた。
盛政が「賤ヶ岳の戦」(1583年)で柴田勝家に組して、羽柴秀吉に敗れると、秀吉は金沢城を前田利家に与えた。
利家は1592年(文禄元)から改修工事を始め、曲輪や堀の拡張を行い、五層の天守閣や多くの櫓を建て並べた。

前田利家は、織田信長の小姓→母衣衆で「槍の又左衞門」として知られ、右目下に矢を受けながらも敵を討ち取ったという武勇の人。
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その功績で、本能寺の変で信長政権が崩壊したときには、能登一国(23万石)を与えられていた。
羽柴秀吉と柴田勝家が対決した「賤ヶ岳の戦」では、長年、北陸方面軍で「与力」として行動を共にした勝家と、若い頃から交友があり(妻同士も仲良しの)秀吉との間で去就に悩み、いったん勝家方として布陣しながら、合戦の途中で突然撤退し、秀吉軍の勝利を決定づけた。
その功績で、利家は盛政の旧領・加賀国のうち二郡を加増され拠点を金沢城に移した。
結局、大きな合戦で勝利したわけでもないのに、天下人になった秀吉に信頼され、加賀・越中・能登三国百万石の太守となり、豊臣政権末期には五大老の次席(筆頭は徳川家康)に成り上がった人。

金沢城は、その縄張りからして、必ずしも要害堅固な城ではない。
ほぼ天下が定まった豊臣政権期に大改修された城で、壁面に平瓦を並べて貼り、瓦の目地(継ぎ目)に漆喰を蒲鉾形に盛り上げた海鼠(なまこ)壁、屋根には豪雪対策の白い鉛瓦を葺いた外観、櫓1層目や塀の唐破風や入母屋破風の出窓などは優美で、戦国時代の城の実戦的で武骨な雰囲気は薄い。
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↑ 鶴の丸の堀と塀。

石川門から入城。
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↑ 桝形と家猫さん。
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↑ 二の丸の五十間長屋と菱櫓(右端)。
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↑ 鶴の丸、後ろの森は本丸。
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↑ 橋爪門で。
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↑ 本丸下の空堀。さすがにここは堅固。
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↑ 本丸への道。高さの差はあまりない。
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↑ 本丸・三十間長屋(国指定重要文化財)。
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↑ 本丸・戌亥櫓跡から二の丸を望む。 
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↑ 本丸西側・いもり坂の石垣。
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↑ 同上
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↑ 玉泉院庭園(上から)
玉泉院(永姫、1574~1623年)は、織田信長の四女で、加賀藩初代前田利長(利家の嫡子)の正室。
晩年をここで過ごした。
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↑ 同(下から)。まだ一部、復元整備中。

お城を時計回りに3分の1周して、尾張町方面へ。

(続く)

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8月20日(月)「2018夏『家猫さん慰労』北陸・温泉旅」(1日目の1:北陸新幹線で金沢へ) [旅]

8月20日(月) 曇りときどき晴れ 金沢  32.5度  湿度42%(15時)

やっと夏休み。
今日から2泊3日の北陸旅行。

6月くらいから義父の容体が悪化し「今年の夏は越せない」ということで、夏の旅行はあきらめていた。
ところが、予想していたより3週間ほど早く義父が逝ってしまった。
葬儀を終えて一段落したのは8月5日頃。
まだ夏休みはたくさん残っている。
それなら、最期の数か月介護でたいへんだった家猫さんを慰労するため、どこか近場で旅行しよう、と思った。

で、「どこか行きたい所がある?」と尋ねたら、
「東尋坊」
という返事。

32年前の新婚旅行は、近江~越前~加賀と巡った。
秋(10月)の旅行だったが、まずまずお天気に恵まれ、賤ヶ岳に立って羽柴秀吉と柴田勝家の合戦について論じ、越前一乗谷で朝倉氏の栄華をしのび、永平寺に詣でて道元禅師の遺訓に触れた。

ところが、東尋坊だけは風雨が強かった。
それでも岬を目指したものの、土産物屋のおばさんに「お嬢さん、飛ばされるよ、危ないよ」と制止され、断念した。
私はそれほどでもなかったが、家猫さんはずいぶん無念というか心残りだったらしい。

それなら、東尋坊に再チャレンジしようということになり、なら、私が行きたい和倉温泉と合わせて、大急ぎでプランを作って、電車や宿の予約を入れた。

東京駅8時36分発の「かがやき505号」に乗車。
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何度も乗ったことのある長野駅まではうとうと。
長野から先の北陸新幹線は今回が初乗車。
朝が早く(5時起き)、ちょっとお腹が空いているので、「一本炙り あなご弁当」(1200円)を半分こして食べる。
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なかなかおいしい。
お値段だけのことはある。

北陸新幹線長野駅から先が早かった。

若い頃、直江津乗り換えの北陸本線に乗った身としては、「ほくほく線」」(北越急行、1997年開業)ができた時、「ずいぶん早くなった」と感じた思い出があるが、さすがは新幹線、それどころではなかった。
長野ー富山間がわずか46分、富山ー金沢間が19分(新丸子ー渋谷とほぼ同じ)、東京ー金沢で2時間30分というのは、今までの感覚とは次元が違う。

で、あっという間に、11時06分金沢駅に到着。
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金沢駅も、32年前の記憶とはまったく違う姿になっていた。
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(続き)
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