7月15日(日)第13回「社会デザイン学会」大会 [現代の性(性別越境・性別移行)]
7月15日(日) 晴れ 東京 34.5度 湿度59%(15時)
10時、起床。
朝食は、カップケーキとコーヒー。
12時20分、家を出る。
白い百日紅も咲き始めた。
今日も暑い。
昼食は駅前の回転寿司(4皿)。
東急東横線から東京メトロ副都心線に入り池袋駅へ。
メトロ丸の内線に乗り換えて茗荷谷駅へ。
今まで縁がなかった跡見学園女子大学を探す。
けっこうわかりにくい路地の奥にあった。
第13回「社会デザイン学会」大会へ。
年1度の大会なのに、70人ほどのこじんまりした学会。
しかも、若い人が少なく、3分の2以上が中高年。
「ともに自分らしく生きられる社会を目指して ~性とジェンダーと社会デザインを考える~ 」というテーマだが、LGBT関係者は、石坂わたるさん(中野区議会議員)くらいで、ほとんどいない。
4本の講演をうかがう。
① 西尾孝幸(弁護士)
「セクシュアル・ハラスメント、その現状と制度について」
② 金澤恭平(特定非営利活動法人ReBit・就活事業部マネージャー)
「LGBT、出張研修の現場から見た職場における取組について」
③ 田中かず子(ファーメント代表、国際基督教大学元教授)
「性的マイノリティと大学での取り組みの経験から
④ 高橋裕子(津田塾大学学長)
「社会と教育におけるLGBTの権利保障について」
↑ たそがれ時(19時02分撮影)。
池袋方面を望む。
懇親会にも参加。
ほとんど北山晴一会長への義理で参加したようなものだったけど、田中かず子先生に久しぶりにお会いできたこと、高橋裕子学長にご挨拶してお話できたこと、笠原清志跡見学園女子大学の面識をえたことは、良かった。
20時、辞去。
武蔵小杉駅の「タリーズ・コーヒー」がまだ開いていたので、ちょっと休憩。
22時、帰宅。
お風呂に入って汗を流す。
W杯、決勝戦を観る。
就寝、3時。
10時、起床。
朝食は、カップケーキとコーヒー。
12時20分、家を出る。
白い百日紅も咲き始めた。
今日も暑い。
昼食は駅前の回転寿司(4皿)。
東急東横線から東京メトロ副都心線に入り池袋駅へ。
メトロ丸の内線に乗り換えて茗荷谷駅へ。
今まで縁がなかった跡見学園女子大学を探す。
けっこうわかりにくい路地の奥にあった。
第13回「社会デザイン学会」大会へ。
年1度の大会なのに、70人ほどのこじんまりした学会。
しかも、若い人が少なく、3分の2以上が中高年。
「ともに自分らしく生きられる社会を目指して ~性とジェンダーと社会デザインを考える~ 」というテーマだが、LGBT関係者は、石坂わたるさん(中野区議会議員)くらいで、ほとんどいない。
4本の講演をうかがう。
① 西尾孝幸(弁護士)
「セクシュアル・ハラスメント、その現状と制度について」
② 金澤恭平(特定非営利活動法人ReBit・就活事業部マネージャー)
「LGBT、出張研修の現場から見た職場における取組について」
③ 田中かず子(ファーメント代表、国際基督教大学元教授)
「性的マイノリティと大学での取り組みの経験から
④ 高橋裕子(津田塾大学学長)
「社会と教育におけるLGBTの権利保障について」
↑ たそがれ時(19時02分撮影)。
池袋方面を望む。
懇親会にも参加。
ほとんど北山晴一会長への義理で参加したようなものだったけど、田中かず子先生に久しぶりにお会いできたこと、高橋裕子学長にご挨拶してお話できたこと、笠原清志跡見学園女子大学の面識をえたことは、良かった。
20時、辞去。
武蔵小杉駅の「タリーズ・コーヒー」がまだ開いていたので、ちょっと休憩。
22時、帰宅。
お風呂に入って汗を流す。
W杯、決勝戦を観る。
就寝、3時。
トランスウーマンを性暴力の加害者予備軍のように語るな! [現代の性(性別越境・性別移行)]
7月14日(土)
フィミニズムの立場をとる人の中に(ジェンダーではなく)身体構造本質主義に立って、トランスフォビアを平然と表明して、トランスウーマンを女性として認めず排除する人々が、ある程度の割合でいることは、じぶんの経験から実感的に承知していた。
ただ、アメリカなどに比べると、日本ではそういう人たちはかなり少ないと思っていた。
今回のお茶の水女子大学のトランスジェンダー受け入れ表明に関するTwitter議論を見ていると、思っていたより排除派がいることがわかった。
もちろん、容認派が圧倒的に多数で、排除派が少数なことには変わりはない。
今まで感覚的に排除派は10%くらいかなと思っていたが、20%くらいに認識を改めなければならないと思った。
トランスウーマンを虞犯者(犯罪予備軍)視することは、明治時代に警察と新聞によって意図的に流布・強化された認識だけど、21世紀の今になっても、一部の人々の間に根強くあることが、今回のお茶大の件で露わになった。
今後、そこが性的多様性を本当に認めるのか、否かのポイントになるように思う。
トランスジェンダーを性犯罪予備軍のように見なす人たちが唱える「性的多様性」など、とうてい信じる気にはなれないし、そうした人たちと共闘することもない。
性暴力において、トランスウーマンが被害者になるケースは、加害者になるケースに比べて圧倒的に多い。
100倍、いや、おそらく1000倍くらい、もっとかも。
海外では、トランスジェンダーと言うだけで、殺されてことさえ珍しくない。
そうした実態を無視して、トランスウーマンを性暴力の加害者予備軍のように語ることが、どれだけ偏見に満ち、暴力的で、心無い行為か、よく考えてほしい。
そもそも、ペニスが付いているから性暴力の加害者予備軍という認識がおかしい。
「頭、煮えてるの?」と言いたくなる。
トランスウーマンにペニスが付いていることと、それが機能するかは別の話。
まして、女性をレイプする道具に使うかは、まったく次元が異なる。
女子大への進学を希望し受け入れられるレベルのトランスウーマンだったら、ほぼ間違いなく女性ホルモンの継続的な投与を受けている。
そうしたら、女性をレイプする道具としては、まずもって機能しない。
そんなこともわからずに、トランスウーマンを性暴力の加害者予備軍のように語るな!
フィミニズムの立場をとる人の中に(ジェンダーではなく)身体構造本質主義に立って、トランスフォビアを平然と表明して、トランスウーマンを女性として認めず排除する人々が、ある程度の割合でいることは、じぶんの経験から実感的に承知していた。
ただ、アメリカなどに比べると、日本ではそういう人たちはかなり少ないと思っていた。
今回のお茶の水女子大学のトランスジェンダー受け入れ表明に関するTwitter議論を見ていると、思っていたより排除派がいることがわかった。
もちろん、容認派が圧倒的に多数で、排除派が少数なことには変わりはない。
今まで感覚的に排除派は10%くらいかなと思っていたが、20%くらいに認識を改めなければならないと思った。
トランスウーマンを虞犯者(犯罪予備軍)視することは、明治時代に警察と新聞によって意図的に流布・強化された認識だけど、21世紀の今になっても、一部の人々の間に根強くあることが、今回のお茶大の件で露わになった。
今後、そこが性的多様性を本当に認めるのか、否かのポイントになるように思う。
トランスジェンダーを性犯罪予備軍のように見なす人たちが唱える「性的多様性」など、とうてい信じる気にはなれないし、そうした人たちと共闘することもない。
性暴力において、トランスウーマンが被害者になるケースは、加害者になるケースに比べて圧倒的に多い。
100倍、いや、おそらく1000倍くらい、もっとかも。
海外では、トランスジェンダーと言うだけで、殺されてことさえ珍しくない。
そうした実態を無視して、トランスウーマンを性暴力の加害者予備軍のように語ることが、どれだけ偏見に満ち、暴力的で、心無い行為か、よく考えてほしい。
そもそも、ペニスが付いているから性暴力の加害者予備軍という認識がおかしい。
「頭、煮えてるの?」と言いたくなる。
トランスウーマンにペニスが付いていることと、それが機能するかは別の話。
まして、女性をレイプする道具に使うかは、まったく次元が異なる。
女子大への進学を希望し受け入れられるレベルのトランスウーマンだったら、ほぼ間違いなく女性ホルモンの継続的な投与を受けている。
そうしたら、女性をレイプする道具としては、まずもって機能しない。
そんなこともわからずに、トランスウーマンを性暴力の加害者予備軍のように語るな!
中央大学×LLAN連続講座(第3回)「LGBTと法律 性別の変更について考える」</ [現代の性(性別越境・性別移行)]
7月14日(土)
中央大学×LLAN連続講座「LGBTをめぐる法と社会-過去、現在、未来をつなぐ」(第3回)
2018.07.14
「LGBTと法律 性別の変更について考える」
三橋順子(明治大学非常勤講師:性社会文化史)
1「GID特例法」以前の性別移行にともなう戸籍の続柄訂正事例
(1)布川敏の事例(*1、2、3)
・ 布川敏(源氏名:ボケ、男性名:敏之)は、1927年生(昭和2)、老舗のゲイバー「青江」のNo1ホステスとして活躍、1974年、アメリカのスタンフォード大学病院で性転換症の診断に基づき造膣手術を受けた(37歳)。一時帰国した際に、名前の変更を相談した東京家庭裁判所の相談員に戸籍の続柄(性別)訂正の可能性を示唆され、手術証明書などの書類を用意して戸籍の続柄訂正を東京家庭裁判所に申請し、1980年11月12日に同裁判所で許可となり(東京家裁昭和55年10月28日審判)、同17日に港区役所で名前の変更と続柄(性別)の訂正(長男→長女)が行われた(*4)。その後、1983年、女性としてのアメリカ人男性と結婚した(*5)
・ この事例について、法務省民事局第二課は「家裁の許可書と戸籍謄本、それに印鑑と戸籍訂正申請書を市役所に持っていけば、戸籍の性も変えられる。こういったことは、今や全国的に可能とみていいでしょう」とコメントしている(*4)
・ しかし、布川の戸籍性別訂正の事実は、いつしか忘れ去られてしまった。1990年代後半、国内における性転換手術が性同一性障害に対する医療行為として社会認知を得た後、次の課題として手術後の戸籍の性別変更問題浮上してきた際、法務省は一貫して「訂正を認めた事例は無い」としていた。
・ これに対し、三橋は『週刊文春』の記事の存在をマスコミ関係者に知らせ、と連携して布川の所在を捜し、ハワイでレストランを経営していることを突き止め、本人から戸籍のコピーの提供を受け、性別訂正が事実であることを1999年3月に確認した(*6)。写真週刊誌『FLASH』(光文社)がまず報道し、さらに同年6月に「サンデー・プロジェクト」(テレビ朝日)が本人のインタビューを含む特集を放送した。
・ その後、東京家庭裁判所もこの事実を確認し(*7)、「訂正を認めた事例は無い」とする法務省見解は崩れることになった。
(2)永井明子の事例(*8)
・ 永井明子(男性名:明)は、1924(大正13)年、東京葛飾区の生まれで、聖路加病院に雑役夫として勤めていた時に、男性への愛情をきっかけに転性を決意し、1950年8月から51年2月にかけて東京台東区上野の竹内外科と日本医科大学付属病院(執刀:石川正臣教授)で2回に分けて精巣と陰茎の除去手術と造膣手術を受け、さらに別の病院で乳房の豊胸手術を受けた。インターセックスではなく、完全な男性からの「性転換」で、手術完了の時点で27歳(*9)。
・ イギリスのRoberta Cowell(男性名: Robert)の事例(1951年5月)よりわずかに早く、戦後世界初の「性転換手術」である可能性が大。
・ 永井は、手術後、1954年11月までの間に、「明」から「明子」への改名と、「参男」から「二女」への続柄(性別)の訂正を行っている(*10)。おそらく、戸籍法113条による訂正と思われる。
※ 少なくとも1980年までは、「性転換症」の診断で「性転換手術」を受けた人が、戸籍法113条によって、家庭裁判所で戸籍の続柄(訂正)をすることは可能だった。法務省もそれを認めていた。「染色体主義」が台頭し認められなくなるのは、名古屋高裁昭和54年(1979)11月8日決定(二男→長女・却下)が最初。
2 「GID特例法」制定時の議論
(1)2つの路線
① 立法(特例法)路線(大島俊之神戸学院大学教授)
「大島3要件」(GID診断・手術済・非婚)を盛り込んだ「性転換法」の実現を目指す。
② 戸籍法(113条)改訂路線(三橋順子)
過去の訂正事例をベースに、戸籍法113条の条文改訂により、性別訂正の間口を広げることを目指す。
当初、大島教授も②の路線に近かった(戸籍法113条の「錯誤」の意味の拡大解釈*3)が、その後、路線転換。
(2)「GID特例法」への批判
・ 医療を前提にし、対象を「性同一性障害者」に限定した枠組み
(トランスジェンダリズムからの批判)
・ 非婚要件 (レズビアンの土屋ゆきからの批判)
・ 子無し要件(子どもがいる当事者からの強い反対「子供を殺せ、と言うのか!」)
・ 生殖能力喪失要件(生殖権との安易なバーターへの疑問:三橋 *11)
・ 外性器近似要件(性器形態至上主義、「近似」の曖昧さへの疑問:三橋)
3 「新・性別移行法」の制定に向けて
(参照1)ジョグジャカルタ原則
第3原則 法の下に承認される権利
万人はあらゆる場所において法の前に人としてその人格を承認される権利を有する。多彩な性的指向や性同一性を持った人々は生活のあらゆる場面において法的能力を享受する。各個人の自己規定された性的指向や性同一性はその個人の人格に不可欠なものであり、自己決定権、尊厳、自由の最も基本的側面の一つである。性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない。結婚している、あるいは親であるといった社会的身分もその当事者の性同一性の法的承認つまり法的性別変更を妨げない。万人は性的指向や性同一性を否定したり、揉み消したり、抑圧するよう圧力をかけられない。
(参照2)WHO(世界保健機関)など国連5機関共同声明(2014年5月30日)
「強制・強要された、または不本意な断種手術の廃絶を求める共同声明」(Eliminating forced, coercive and otherwise involuntary sterilization - An interagency statement)
トランスジェンダーやインターセックスの人々が、希望するジェンダーに適合する出生証明書やその他の法的書類を手に入れるために、断種手術を要件とすることは身体の完全性・自己決定の自由・人間の尊厳に反する人権侵害である。
(1)「性同一性障害者特例法」の問題性
① ICD-11の採択で、「性同一性障害」という病名がなくなり「性同一性障害者」が定義不能に。
② 精神疾患でなくなったことにより、第二条の専門医(精神科医)2人による「性同一性障害」の診断を求める論理的前提が崩壊。
③ 第三条の二、三項(非婚要件・未成年の子なし要件)は、ジョグジャカルタ第3原則に明らかに抵触。
④ 生殖機能喪失要件(第3条4項)を明記しているので、ジョグジャカルタ第3原則、国連諸機関共同声明に明らかに抵触。
→ 欧米の人権思想・国際人権法の文脈では、日本で言う「性別適合手術」も
「sterilization surgeries」(断種手術・不妊手術)のひとつになる。
まして「性別適合手術」が性別変更の要件になっている場合は「involuntary」(非自発的な、暗黙の強制に近いニュアンス)と見なされる。
(2)新たな「性別移行法」の必要性
・ 性別の移行に際し、病理を前提とする「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」のような法制度はすでに過去のもの。
・ 現行の「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(2003年)には、国際的な人権法に照らして様々な問題がある。
・ 現状は、性別の変更を望む人たちの人権が侵害された状態。
戸籍変更のために必ずしも望まない手術を受けざるを得ない。
費用負担、身体への負荷、医療事故のリスク
・ 現行の「GID特例法」を廃して、人権を前提とし、ジョグジャカルタ原則や国連諸機関共同声明などの国際的な人権法に則った、新たな「性別移行法」を制定する必要がある。
(3)「新・性別移行法」の制定のポイント
① 病理を前提としない。
② 年齢以外の要件を規定しない。
③ 家裁での審判システムを残す。
← 形式的であっても乱用防止の効果
④ 「お試し期間」(Real Life Experience)を設ける。
← 性別移行の実質性の担保
⑤ 興味本位の乱用や再変更の頻発を防止する工夫。
→ 申請と許可の間に「熟慮期間」として一定期間(1年)を置く
→「お試し期間」にもなる
※ 現在の政治状況では、実現は容易ではないが、
国際的な人権概念(性別の自己決定)に照らして、恥ずかしくない法制度を! より多くの性別移行を望む人たちが享受できる法制度を! たとえ一歩ずつでも前へ!
*1 三橋順子「性転換の社会史(2) -「性転換」のアンダーグラウンド化と報道、1970~90年代前半を中心に-」
(『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部、2006年3月)
*2 山内俊雄『性転換手術は許されるのか ー性同一性障害と性のあり方ー』
(明石書店、1999年9月)
*3 大島俊之『性同一性障害と法』(『日本評論社、2002年6月』)
*4「性転換して女の戸籍を闘いとった“男”の術前術後」
(『週刊文春』1981年4月23日号)
*5「性転換手術で女の戸籍を得た男が、本物の男と結婚していた」
(『週刊文春』1986年5月1日号)
*6「日本で一人! ♂→♀に戸籍変更の“性転換熟女”」
(『FLASH』1999年3月30日・4月6日号)
*7 東海林保「いわゆる性同一性障害と名の変更事件、戸籍訂正事件について」(『家庭裁判月報』52-7、2000年)
*8 三橋順子「性転換の社会史(1)-日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950~60年代を中心に-」
(『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部、2006年3月)
*9 第1報は『日本観光新聞』1953年9月4日号・9月18日号)。詳報は「日本版クリスチーヌ 男から女へ キャバレーの女歌手で再出発」(『週刊読売』1953年10月4日号)
*10「恐ろしい人工女性現わる!-宿命の肉体“半陰陽”-」(『日本週報』1954年11月5日号)
*11 三橋順子「往還するジェンダーと身体-トランスジェンダーを生きる-」
(鷲田清一編『身体をめぐるレッスン 1 夢みる身体 Fantasy』 岩波書店 2006年11月)
中央大学×LLAN連続講座「LGBTをめぐる法と社会-過去、現在、未来をつなぐ」(第3回)
2018.07.14
「LGBTと法律 性別の変更について考える」
三橋順子(明治大学非常勤講師:性社会文化史)
1「GID特例法」以前の性別移行にともなう戸籍の続柄訂正事例
(1)布川敏の事例(*1、2、3)
・ 布川敏(源氏名:ボケ、男性名:敏之)は、1927年生(昭和2)、老舗のゲイバー「青江」のNo1ホステスとして活躍、1974年、アメリカのスタンフォード大学病院で性転換症の診断に基づき造膣手術を受けた(37歳)。一時帰国した際に、名前の変更を相談した東京家庭裁判所の相談員に戸籍の続柄(性別)訂正の可能性を示唆され、手術証明書などの書類を用意して戸籍の続柄訂正を東京家庭裁判所に申請し、1980年11月12日に同裁判所で許可となり(東京家裁昭和55年10月28日審判)、同17日に港区役所で名前の変更と続柄(性別)の訂正(長男→長女)が行われた(*4)。その後、1983年、女性としてのアメリカ人男性と結婚した(*5)
・ この事例について、法務省民事局第二課は「家裁の許可書と戸籍謄本、それに印鑑と戸籍訂正申請書を市役所に持っていけば、戸籍の性も変えられる。こういったことは、今や全国的に可能とみていいでしょう」とコメントしている(*4)
・ しかし、布川の戸籍性別訂正の事実は、いつしか忘れ去られてしまった。1990年代後半、国内における性転換手術が性同一性障害に対する医療行為として社会認知を得た後、次の課題として手術後の戸籍の性別変更問題浮上してきた際、法務省は一貫して「訂正を認めた事例は無い」としていた。
・ これに対し、三橋は『週刊文春』の記事の存在をマスコミ関係者に知らせ、と連携して布川の所在を捜し、ハワイでレストランを経営していることを突き止め、本人から戸籍のコピーの提供を受け、性別訂正が事実であることを1999年3月に確認した(*6)。写真週刊誌『FLASH』(光文社)がまず報道し、さらに同年6月に「サンデー・プロジェクト」(テレビ朝日)が本人のインタビューを含む特集を放送した。
・ その後、東京家庭裁判所もこの事実を確認し(*7)、「訂正を認めた事例は無い」とする法務省見解は崩れることになった。
(2)永井明子の事例(*8)
・ 永井明子(男性名:明)は、1924(大正13)年、東京葛飾区の生まれで、聖路加病院に雑役夫として勤めていた時に、男性への愛情をきっかけに転性を決意し、1950年8月から51年2月にかけて東京台東区上野の竹内外科と日本医科大学付属病院(執刀:石川正臣教授)で2回に分けて精巣と陰茎の除去手術と造膣手術を受け、さらに別の病院で乳房の豊胸手術を受けた。インターセックスではなく、完全な男性からの「性転換」で、手術完了の時点で27歳(*9)。
・ イギリスのRoberta Cowell(男性名: Robert)の事例(1951年5月)よりわずかに早く、戦後世界初の「性転換手術」である可能性が大。
・ 永井は、手術後、1954年11月までの間に、「明」から「明子」への改名と、「参男」から「二女」への続柄(性別)の訂正を行っている(*10)。おそらく、戸籍法113条による訂正と思われる。
※ 少なくとも1980年までは、「性転換症」の診断で「性転換手術」を受けた人が、戸籍法113条によって、家庭裁判所で戸籍の続柄(訂正)をすることは可能だった。法務省もそれを認めていた。「染色体主義」が台頭し認められなくなるのは、名古屋高裁昭和54年(1979)11月8日決定(二男→長女・却下)が最初。
2 「GID特例法」制定時の議論
(1)2つの路線
① 立法(特例法)路線(大島俊之神戸学院大学教授)
「大島3要件」(GID診断・手術済・非婚)を盛り込んだ「性転換法」の実現を目指す。
② 戸籍法(113条)改訂路線(三橋順子)
過去の訂正事例をベースに、戸籍法113条の条文改訂により、性別訂正の間口を広げることを目指す。
当初、大島教授も②の路線に近かった(戸籍法113条の「錯誤」の意味の拡大解釈*3)が、その後、路線転換。
(2)「GID特例法」への批判
・ 医療を前提にし、対象を「性同一性障害者」に限定した枠組み
(トランスジェンダリズムからの批判)
・ 非婚要件 (レズビアンの土屋ゆきからの批判)
・ 子無し要件(子どもがいる当事者からの強い反対「子供を殺せ、と言うのか!」)
・ 生殖能力喪失要件(生殖権との安易なバーターへの疑問:三橋 *11)
・ 外性器近似要件(性器形態至上主義、「近似」の曖昧さへの疑問:三橋)
3 「新・性別移行法」の制定に向けて
(参照1)ジョグジャカルタ原則
第3原則 法の下に承認される権利
万人はあらゆる場所において法の前に人としてその人格を承認される権利を有する。多彩な性的指向や性同一性を持った人々は生活のあらゆる場面において法的能力を享受する。各個人の自己規定された性的指向や性同一性はその個人の人格に不可欠なものであり、自己決定権、尊厳、自由の最も基本的側面の一つである。性同一性の法的承認、つまり法的性別変更の条件にホルモン療法や不妊手術や性別適合手術といった医学的治療は必須とされない。結婚している、あるいは親であるといった社会的身分もその当事者の性同一性の法的承認つまり法的性別変更を妨げない。万人は性的指向や性同一性を否定したり、揉み消したり、抑圧するよう圧力をかけられない。
(参照2)WHO(世界保健機関)など国連5機関共同声明(2014年5月30日)
「強制・強要された、または不本意な断種手術の廃絶を求める共同声明」(Eliminating forced, coercive and otherwise involuntary sterilization - An interagency statement)
トランスジェンダーやインターセックスの人々が、希望するジェンダーに適合する出生証明書やその他の法的書類を手に入れるために、断種手術を要件とすることは身体の完全性・自己決定の自由・人間の尊厳に反する人権侵害である。
(1)「性同一性障害者特例法」の問題性
① ICD-11の採択で、「性同一性障害」という病名がなくなり「性同一性障害者」が定義不能に。
② 精神疾患でなくなったことにより、第二条の専門医(精神科医)2人による「性同一性障害」の診断を求める論理的前提が崩壊。
③ 第三条の二、三項(非婚要件・未成年の子なし要件)は、ジョグジャカルタ第3原則に明らかに抵触。
④ 生殖機能喪失要件(第3条4項)を明記しているので、ジョグジャカルタ第3原則、国連諸機関共同声明に明らかに抵触。
→ 欧米の人権思想・国際人権法の文脈では、日本で言う「性別適合手術」も
「sterilization surgeries」(断種手術・不妊手術)のひとつになる。
まして「性別適合手術」が性別変更の要件になっている場合は「involuntary」(非自発的な、暗黙の強制に近いニュアンス)と見なされる。
(2)新たな「性別移行法」の必要性
・ 性別の移行に際し、病理を前提とする「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」のような法制度はすでに過去のもの。
・ 現行の「性同一性障害者の性別の取扱いの特例に関する法律」(2003年)には、国際的な人権法に照らして様々な問題がある。
・ 現状は、性別の変更を望む人たちの人権が侵害された状態。
戸籍変更のために必ずしも望まない手術を受けざるを得ない。
費用負担、身体への負荷、医療事故のリスク
・ 現行の「GID特例法」を廃して、人権を前提とし、ジョグジャカルタ原則や国連諸機関共同声明などの国際的な人権法に則った、新たな「性別移行法」を制定する必要がある。
(3)「新・性別移行法」の制定のポイント
① 病理を前提としない。
② 年齢以外の要件を規定しない。
③ 家裁での審判システムを残す。
← 形式的であっても乱用防止の効果
④ 「お試し期間」(Real Life Experience)を設ける。
← 性別移行の実質性の担保
⑤ 興味本位の乱用や再変更の頻発を防止する工夫。
→ 申請と許可の間に「熟慮期間」として一定期間(1年)を置く
→「お試し期間」にもなる
※ 現在の政治状況では、実現は容易ではないが、
国際的な人権概念(性別の自己決定)に照らして、恥ずかしくない法制度を! より多くの性別移行を望む人たちが享受できる法制度を! たとえ一歩ずつでも前へ!
*1 三橋順子「性転換の社会史(2) -「性転換」のアンダーグラウンド化と報道、1970~90年代前半を中心に-」
(『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部、2006年3月)
*2 山内俊雄『性転換手術は許されるのか ー性同一性障害と性のあり方ー』
(明石書店、1999年9月)
*3 大島俊之『性同一性障害と法』(『日本評論社、2002年6月』)
*4「性転換して女の戸籍を闘いとった“男”の術前術後」
(『週刊文春』1981年4月23日号)
*5「性転換手術で女の戸籍を得た男が、本物の男と結婚していた」
(『週刊文春』1986年5月1日号)
*6「日本で一人! ♂→♀に戸籍変更の“性転換熟女”」
(『FLASH』1999年3月30日・4月6日号)
*7 東海林保「いわゆる性同一性障害と名の変更事件、戸籍訂正事件について」(『家庭裁判月報』52-7、2000年)
*8 三橋順子「性転換の社会史(1)-日本における「性転換」概念の形成とその実態、1950~60年代を中心に-」
(『戦後日本女装・同性愛研究』中央大学出版部、2006年3月)
*9 第1報は『日本観光新聞』1953年9月4日号・9月18日号)。詳報は「日本版クリスチーヌ 男から女へ キャバレーの女歌手で再出発」(『週刊読売』1953年10月4日号)
*10「恐ろしい人工女性現わる!-宿命の肉体“半陰陽”-」(『日本週報』1954年11月5日号)
*11 三橋順子「往還するジェンダーと身体-トランスジェンダーを生きる-」
(鷲田清一編『身体をめぐるレッスン 1 夢みる身体 Fantasy』 岩波書店 2006年11月)