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今頃、初夢? [日常]

1月7日(日)

滅多に夢を見ない(覚えていない)私だが、今朝は夢を覚えていた。
とても珍しいことなので記しておく。

なぜか、お金持ちの女性2人と、広いマンションに同居している(シェアハウス?)。
A嬢は本物のセレブお嬢様で、趣味の着物道楽を仕事(着物コーデ―ネーター)にして優雅に暮らしている。
B嬢は実家はお金もちの、バリバリのキャリアウーマンで、やはり着物好き。

私は、マンションの部屋代の代わりに、A嬢の秘書役をしている。

A嬢に「この着物に合う帯、Bちゃんが持ってるような気がするから借りてきて」みたいにこき使われていた。
でも、ひそかにB嬢に心を寄せているので、話すきっかけができてうれしい。

なんでこんな設定が夢に出てきたのかわからない。
記憶にある限り、初めてのパターン。
(だいたいは、家猫さんか、野猫さんが出てくる)



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「西郷(せご)どん」(初回)を見て [テレビ批評]

1月7日(日)

NHK大河ドラマ「西郷(せご)どん」(初回)を見ての感想。

薩摩藩の郷中(ごじゅう)教育と、会津藩の「日新館」を中心とする武士道教育とでは、システムも内容がかなり違う。
形而上学的な(儒教的な)学問レベルははっきり言って、かなり違う(会津の方が圧倒的に上)。

それはともかく、江戸時代を通じて、藩士子弟の教育に(異様に)熱心だったのは会津、薩摩、そして長州藩だったことは間違いない。

幕末維新の争乱で、この3藩が最後まで戦ったのは、ある意味、必然だったのかもしれない。
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薩摩と会津の大きな違いは女子教育。

薩摩藩では強烈な女性蔑視のもと、教育の場から女子を徹底的に排除した。
だから、明治維新で薩摩が権力を握っても、女性の人材はほとんど出ていない。

会津は、女子にも武芸を習わせた。とくに薙刀。
会津戦争で奮戦して散った中野竹子ら「会津娘子軍」は、そうした会津の女子教育の成果。
また、鉄砲術にたけた山本八重(後の新島八重)のような女子もいた。

明治時代になり賊軍の子女というハンデキャップを負いながら、山川(大山)捨松、新島八重(同志社女学校)、山川二葉(東京女子高等師範)などの女子教育者や、瓜生岩子などの社会事業家を出したのも、会津藩の女子教育のレベルの高さを証明している。

私の母方の祖母(会津藩江戸藩邸詰・神尾家の出身、1900年生)は女学校に行っている(白金の香蘭女学校。結婚のため卒業はしていない)。
裕福な家庭の子女でも学校教育を受けさせない(受ける必要がない)という形は、薩摩や長州ではけっこうあったように聞いている。
会津のような賊軍の子女はせめて教育を受けないと、這い上がれない。
祖母の家も賊軍の没落士族だから、お金はなかったと思う。
ただ会津の士族の子女には、元・家老の山川家(大山捨松の生家)を中心に、今で言う「奨学金」的な互助組織があったらしい。
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薩摩藩の郷中制度である「兵児二才(へこにせ)」制では、年長の少年が年少の少年を犯すのは、ごく普通に見られた習俗。

犯された年少の少年が数年経てば、今度は犯す側に回る。

こうして男色の精神と、肛門性交の技術がエンドレスに継承される。

http://www.newsweekjapan.jp/stories/culture/2015/12/post-4181.php







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