明治時代の美人コンテスト、浅草・凌雲閣「東京百美人」(1891年) [性社会史研究(一般)]
3月2日(日)
明治時代の美人コンテスト、浅草・凌雲閣「東京百美人」(1891年)の結果を改めてみると、新橋の圧勝。
1~4位を新橋芸者が占め、柳橋芸者はかろうじて5位に食い込んだのみ。

↑ 1位になった新橋・玉菊
そもそもエントリーした芸者は、新橋が圧倒的に多い。
花街別にカウントすると、以下のようになる。
新橋 47人
柳橋 16人
芳町 11人
日本橋 9人
吉原 6人
下谷 5人
講武所 2人
浅草 2人
赤坂 1人
(数字仮集計です。今、目がよく見えないので)
エントリーの時点ですでに新橋が圧倒していることがよくわかる。
そして結果も新橋の圧勝。
美人かどうか以前に、物量(応募人数、支援者数)で圧倒している印象。
「写真」「美人コンテスト」という新時代の新奇な風俗に、花街をあげて積極的に取り組んだ新橋と、「それ、なに?」という感覚の他の花街との大きな差を感じる。
明治時代の美人コンテスト、浅草・凌雲閣「東京百美人」(1891年)の結果を改めてみると、新橋の圧勝。
1~4位を新橋芸者が占め、柳橋芸者はかろうじて5位に食い込んだのみ。

↑ 1位になった新橋・玉菊
そもそもエントリーした芸者は、新橋が圧倒的に多い。
花街別にカウントすると、以下のようになる。
新橋 47人
柳橋 16人
芳町 11人
日本橋 9人
吉原 6人
下谷 5人
講武所 2人
浅草 2人
赤坂 1人
(数字仮集計です。今、目がよく見えないので)
エントリーの時点ですでに新橋が圧倒していることがよくわかる。
そして結果も新橋の圧勝。
美人かどうか以前に、物量(応募人数、支援者数)で圧倒している印象。
「写真」「美人コンテスト」という新時代の新奇な風俗に、花街をあげて積極的に取り組んだ新橋と、「それ、なに?」という感覚の他の花街との大きな差を感じる。
2025-03-02 09:53
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