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20世紀末(1990年代前半)の商業女装クラブ(その18)メイクの師匠 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

1月20日(月)

「エリザベス会館」のメイクシステムは単純で、手が空いたメイクさんに順番で入る。
客はメイクさんを選べない。

私も、最初のうちは、3人いたメイクさんに一渡りやってもらった。

ところが、新人賞をもらった後、初来館から半年が経った頃(1991年の初頃)、いちばんベテランのメイクさんが
「順子のメイクは、私がやるから、手が空くまで待ってなさい」
と言い出した。

私も3人のメイクさんの中でいちばん上手(レベルが違う)なのはわかっていたから、
「はい、よろしくお願いします」

水村ひろ子さんという、当時、50代後半の小太りの下町のおばさんだったが、テレビ業界初期からテレビ局の専属メイキャッパーだった、職人肌の人だった。

「エリザベス」のメイクは、強いストロボ光を正面から当てる(で、髭の影を飛ばす)撮影法に耐えられる、濃いメイクで、良く言えば演劇的、悪く言えば目の周囲が青黒い「狸メイク」だったが、水村さんはナチュラル風のメイクもできた(プロなのだから当たり前だが)。

女装メイクの名人としては、大阪「パレットハウス」の森田さんが有名だが、私は、東の水村、西の森田だと思っている。

「エリザベス」では、客にメイクは教えない。
教えて、自分で化粧できるようになると、来なくなるからだ。

客は、化粧台に座ると、「目を瞑って」と言われ、化粧が終わると「はい、目を開けて」と言われる。
で「きれいになったでしょう」という営業の仕方。

だから、10年せっせと通っても、化粧できない人はいくらもいた。
そもそも,化粧用具(コンパクトやルージュ)を持っていないから、メイク直しもできない。

私は、水村さんにメイクをしてもらうようになってから、
アイシャドーを一刷毛した後、「すいません」と手を止めてもらって、「今、塗ったのはどの色ですか?」と尋ねるようになった。
面倒な客だと思ったと思うが、たくさんの色が並んでいるプロ用のパレットの一色を指さしてくれた。

つまり、教えてはくれなかったが、盗ませてくれた。

だから、私のメイクの師匠は水村さんだ。

921019-1(3).jpg
画像は、1992年10月19日撮影。
名人・水村さんのメイク。
この写真、『週刊実話』1993年6月17日号に載った。
「[おんなの“武器”エロス・ウォーズ最前線]女装第一人者 三橋順子さん」


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