オーラル・ヒストリーの両義性 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]
10月30日(水)
『ジェンダー史学』20号に掲載された茶園敏美さんによる平井和子『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」』(岩波書店、2023年7月)の書評を読む。
原著はかなり重厚な本で、視力が衰えている私は十分に読み切れてないのでありがたい。
整理されている論点のうち、私が共感するjのは「オーラル・ヒストリーという手法の両義性(怖さと潜在力)」だ。
私は、若い頃に、文字資料の分析をベースにする文献史学を徹底的に学んだ。
40代で、研究テーマを変えた時、オーラルヒストリーの手法に出会い、おおいに魅力を感じたが、同時にその危うさも感じた。
オーラルヒストリーで語られることは、語り手にとっての「事実」ではあっても、必ずしも歴史事実とは言えない。
しかし、そこに文字資料としては残っていない事実がたくさん含まれていることも間違いない。
もちろん可能な限り「裏をとる」わけだが、裏がとれるようなテーマでないことの方がずっと多い。
その結果、「その人にとっての事実」を記録することが重要であり、その積み重ねの中から、おのずから歴史事実が見えてくると考えるようになった。
オーラルヒストリーを軽視する(信じない)傾向が日本の歴史学会には根強く存在する。
そうした風潮の中で、平井さんや茶園さんは、オーラルヒストリーに基づく、戦後占領期の女性史研究を続け、すばらしい成果をあげてきた。
心から敬意を抱いている。
私も、死ぬ前に、なんとかオーラルヒストリーをベースにした本を書かなければいけない。
その思いを強くした。
『ジェンダー史学』20号に掲載された茶園敏美さんによる平井和子『占領下の女性たち 日本と満洲の性暴力・性売買・「親密な交際」』(岩波書店、2023年7月)の書評を読む。
原著はかなり重厚な本で、視力が衰えている私は十分に読み切れてないのでありがたい。
整理されている論点のうち、私が共感するjのは「オーラル・ヒストリーという手法の両義性(怖さと潜在力)」だ。
私は、若い頃に、文字資料の分析をベースにする文献史学を徹底的に学んだ。
40代で、研究テーマを変えた時、オーラルヒストリーの手法に出会い、おおいに魅力を感じたが、同時にその危うさも感じた。
オーラルヒストリーで語られることは、語り手にとっての「事実」ではあっても、必ずしも歴史事実とは言えない。
しかし、そこに文字資料としては残っていない事実がたくさん含まれていることも間違いない。
もちろん可能な限り「裏をとる」わけだが、裏がとれるようなテーマでないことの方がずっと多い。
その結果、「その人にとっての事実」を記録することが重要であり、その積み重ねの中から、おのずから歴史事実が見えてくると考えるようになった。
オーラルヒストリーを軽視する(信じない)傾向が日本の歴史学会には根強く存在する。
そうした風潮の中で、平井さんや茶園さんは、オーラルヒストリーに基づく、戦後占領期の女性史研究を続け、すばらしい成果をあげてきた。
心から敬意を抱いている。
私も、死ぬ前に、なんとかオーラルヒストリーをベースにした本を書かなければいけない。
その思いを強くした。
2024-10-31 16:44
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