藤原惟規の死 [テレビ批評(光る君へ)]
10月15日(火)
「光る君へ」第39回「とだえぬ絆」
藤式部の弟、藤原惟規の死については、寛弘8年(1011)、父・為時の任地である越後に同行して、その地で亡くなったこと以外、史料はない。
正確な没年も年齢も不詳で、おそらく30代半ばと思われる。
当時の急死のパターンとしては、「脚気傷心」、ビタミンB1不足に由来する心臓疾患(急性心不全)が考えられる。
次いで、脳血管系の病気(脳出血)。
急死ではないが、壮年期の死因としては、糖尿病。
藤原伊周は、父・道隆から受け継いだ遺伝性の糖尿病だった可能性が高い。
女性の場合、それに妊娠・出産にともなう死が加わる。
ともかく、致死性の病気に対して、有効な治療法がない時代。
頼れるのは、自らの体力・免疫力だけ。
だから神仏の加護を祈るしかない。
「光る君へ」第39回「とだえぬ絆」
藤式部の弟、藤原惟規の死については、寛弘8年(1011)、父・為時の任地である越後に同行して、その地で亡くなったこと以外、史料はない。
正確な没年も年齢も不詳で、おそらく30代半ばと思われる。
当時の急死のパターンとしては、「脚気傷心」、ビタミンB1不足に由来する心臓疾患(急性心不全)が考えられる。
次いで、脳血管系の病気(脳出血)。
急死ではないが、壮年期の死因としては、糖尿病。
藤原伊周は、父・道隆から受け継いだ遺伝性の糖尿病だった可能性が高い。
女性の場合、それに妊娠・出産にともなう死が加わる。
ともかく、致死性の病気に対して、有効な治療法がない時代。
頼れるのは、自らの体力・免疫力だけ。
だから神仏の加護を祈るしかない。
2024-10-16 22:32
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