紫式部の遠い子孫、源在子という女性 [テレビ批評(光る君へ)]
9月25日(水)
鎌倉時代初期に源在子(あるこ:1171~1257)という女性がいた。
その母、藤原範子は後鳥羽天皇の乳母で、後白河院政の実力者・源通親(村上源氏)の妻になった。
在子の実父は、平清盛の正室(継室)平時子の異父弟の法勝寺執行・能円(姓は藤原)だったが、母の縁で在子は、通親の猶子として後鳥羽天皇の後宮に入り、第一皇子・為仁親王を産み、親王が即位すると、承明門院の院号を与えられた。
この在子、実は紫式部の遠い子孫なのだ。
式部の娘・藤原賢子(大弐三位)は、大宰大弐。高階成章と結婚し、高階為家を産む。
為家の息子・為賢の娘が藤原能兼(藤原南家貞嗣流)との間に藤原範兼を産み、その範兼が範子の父になる。
つまり、
紫式部ー藤原賢子ー高階為家ー高階為賢ー女子ー藤原範兼ー藤原範子ー源在子ー土御門天皇
という系譜になる。
このあたり、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽の4代の院政を支えた中・下級貴族の間で通婚が行われている状況が見える。
在子は紫式部の7代の子孫、128分の1の血を受け継いでいることになる。
そして、在子を通じて紫式部の遺伝子は皇室に入り、土御門天皇は今上天皇の直系のご先祖なので、現在まで受け継がれることになる。
すご~~~~く、薄まっているが・・・。
鎌倉時代初期に源在子(あるこ:1171~1257)という女性がいた。
その母、藤原範子は後鳥羽天皇の乳母で、後白河院政の実力者・源通親(村上源氏)の妻になった。
在子の実父は、平清盛の正室(継室)平時子の異父弟の法勝寺執行・能円(姓は藤原)だったが、母の縁で在子は、通親の猶子として後鳥羽天皇の後宮に入り、第一皇子・為仁親王を産み、親王が即位すると、承明門院の院号を与えられた。
この在子、実は紫式部の遠い子孫なのだ。
式部の娘・藤原賢子(大弐三位)は、大宰大弐。高階成章と結婚し、高階為家を産む。
為家の息子・為賢の娘が藤原能兼(藤原南家貞嗣流)との間に藤原範兼を産み、その範兼が範子の父になる。
つまり、
紫式部ー藤原賢子ー高階為家ー高階為賢ー女子ー藤原範兼ー藤原範子ー源在子ー土御門天皇
という系譜になる。
このあたり、白河・鳥羽・後白河・後鳥羽の4代の院政を支えた中・下級貴族の間で通婚が行われている状況が見える。
在子は紫式部の7代の子孫、128分の1の血を受け継いでいることになる。
そして、在子を通じて紫式部の遺伝子は皇室に入り、土御門天皇は今上天皇の直系のご先祖なので、現在まで受け継がれることになる。
すご~~~~く、薄まっているが・・・。
2024-09-26 15:28
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