歴史を叙述するということ [性社会史研究(性別越境・同性愛)]
9月21日(土)
今日の代官山「アマランスラウンジ」のイベントの感想。
歴史を叙述するには責任がともなう。
また、当事者性に留意することも大切だ。
当事者でない人があるカテゴリーの歴史を叙述する場合、当事者への丁寧な取材が必要で、それは当事者への敬意につながる。
そのあたりのこと、マー様が冒頭でガツンと言ったのがとても良かった。
日本のドラァグクイーンの歴史を叙述するなら、まず同時代の生き証人(マー様たち)に丁寧にインタビュー調査をすることから始めるべきで、それをベースに文献や映像資料で裏打ちしていくのが、文献が乏しい分野の研究の常道。
自分の思い込みで「歴史」を作って、それを当事者であるマー様にぶつける(「ちゃちゃを」入れさせる≒検証させる)のは、手順がまったく逆だし、当事者に対する敬意と礼を失することだと思う。
大学(文学部の歴史学専攻)の卒論ゼミだったら、こういう批評になるが、昨日の演者は歴史研究の基礎訓練を受けていない人なので、言ってもしょうがないから、言わなかった。
今日の代官山「アマランスラウンジ」のイベントの感想。
歴史を叙述するには責任がともなう。
また、当事者性に留意することも大切だ。
当事者でない人があるカテゴリーの歴史を叙述する場合、当事者への丁寧な取材が必要で、それは当事者への敬意につながる。
そのあたりのこと、マー様が冒頭でガツンと言ったのがとても良かった。
日本のドラァグクイーンの歴史を叙述するなら、まず同時代の生き証人(マー様たち)に丁寧にインタビュー調査をすることから始めるべきで、それをベースに文献や映像資料で裏打ちしていくのが、文献が乏しい分野の研究の常道。
自分の思い込みで「歴史」を作って、それを当事者であるマー様にぶつける(「ちゃちゃを」入れさせる≒検証させる)のは、手順がまったく逆だし、当事者に対する敬意と礼を失することだと思う。
大学(文学部の歴史学専攻)の卒論ゼミだったら、こういう批評になるが、昨日の演者は歴史研究の基礎訓練を受けていない人なので、言ってもしょうがないから、言わなかった。
2024-09-22 11:58
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