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1955年(昭和30年)という時代 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

6月17日(月)

私が生まれた1955年(昭和30年)は、朝鮮戦争(1951~53年)の「特需」を足がかりに、戦後の経済的困難をなんとか脱し、高度経済成長の入口に差し掛かった頃。

多くの人は戦後混乱期の「飢え」を脱したが、まだまだ「飢え」と紙一重の貧しい人がいたし、そうした人たちを支援する社会システムは存在した(1950年「生活保護法」制定)が、十分ではなかった。

そんな時代に、30代でバーを経営している男性という設定は、かなりヤバい。
よほど太いパトロンが付いているか、戦後の混乱期に荒稼ぎしたか、のどちらか。
たとえば、闇市の愚連隊のボスだったとか。
あまちまともな人ではないと思う。

この時代、現在の「ゲイバー」的な店はほとんどない。
元祖の「やなぎ」(新橋→銀座)や「青江」「ボンソワール」(銀座)はあったが、高級店で気楽に飲めるような店ではない。

また、この頃の男性同性愛の関係線は、伝統的・土着的な年齢改定性の影響が色濃く残っていて、大人の男性と青年・少年という組み合わせが圧倒的だった。
現代、主流になっているほぼ同世代の対等なカップルは稀だった。
たとえば。40歳と25歳みたいな年齢差のあるカップルを設定した方が、当時としては自然だ。

女装して暮らしている人は、数こそ少ないがいた。
ほとんどの場合、女装することと生業がリンクしていた。
具体的な職種としては、男娼(セックスワーク)、芝居の女形、温泉地の芸者など。
女装することと生業がリンクしていないアマチュアの(趣味の)女走者は。まだほとんど社会の表面に出てきていない。
趣味の女装者とそれを愛でる女装者愛好男性の秘密グループ「演劇研究会」が結成されるのが、この年(1955年)。

戦後混乱期に上野で山の女装男娼をして稼ぎ、世の中が落ち着いてきたタイミングで足を洗って、貯めた稼ぎで、飲み屋街の小さなバーの営業権を買って、飲み屋の「女将」に転身、という設定なら、リアリティがある(実例あり)。。


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