公の場で「性倒錯」認定は、まずい [現代の性(性別越境・性別移行)]
9月23日(金・祝)
松濤美術館の『図録』に掲載された資料(167頁)に、次のような記述がある。
「いわゆるストレート男性の性倒錯による一部のトランスヴェスタイト」
これは、本気でまずい。
まず「性倒錯」という用語は、完全に過去のもの。
アメリカ精神医学会のマニュアルDSM-5(2013年)の日本語版では「パラフィリア障害群」であり、世界保健機関(WHO)の「疾病及び関連保健問題の国際統計分類・第10版」(ICD-10)の日本語訳は「性嗜好の障害」であり、「性倒錯(性的倒錯)」という訳語はもう使っていない。
また、世界保健機関(WHO)のCD-10では、「F65 性嗜好の障害(Disorders of sexual preference)」に、「F65.1 フェティシズム的服装倒錯症(Fetishistic transvestism)」という項目(病名)があったが、2019年採択、2022年1月実効の第11版(ICD-11)では、完全に削除された。
つまり、現状、異性装は、国際基準的にParaphilia(性的逸脱)ではない。
そもそもの話、「超女性」的ファッションを身にまとっているDQが、女装者を「性倒錯」者呼ばわりするのは侮辱であり、とんでもない思い上がりだ。
公立の施設が刊行した『図録』に、なんの注釈もなく、こうした文言が掲載されているのは問題だと思う。
「細かいこと言うな」と言われると思うが、「性倒錯」という言葉が差別的な文脈で使われてきた歴史を考えると、安易な「性倒錯」認定は、公の場ではまずいと思う。
少なくとも、「現状、国際基準的に、異性装は性倒錯ではない」旨の注釈を付けるべきだ。
先ほど、担当者にメールで伝えた。
【追記】
早い話、ゲイが「超女性性」を身にまとうDQは「アート」で、ひっそりと女性の服飾をしている「ストレート」の女装者は「性倒錯」という思い上がった考え方に、ブチ切れた、ということ。
「目糞、鼻糞を笑う」とはこのことだ。
私は、差異化のために他者を貶めるというやり方が、大嫌いなのだ。
松濤美術館の『図録』に掲載された資料(167頁)に、次のような記述がある。
「いわゆるストレート男性の性倒錯による一部のトランスヴェスタイト」
これは、本気でまずい。
まず「性倒錯」という用語は、完全に過去のもの。
アメリカ精神医学会のマニュアルDSM-5(2013年)の日本語版では「パラフィリア障害群」であり、世界保健機関(WHO)の「疾病及び関連保健問題の国際統計分類・第10版」(ICD-10)の日本語訳は「性嗜好の障害」であり、「性倒錯(性的倒錯)」という訳語はもう使っていない。
また、世界保健機関(WHO)のCD-10では、「F65 性嗜好の障害(Disorders of sexual preference)」に、「F65.1 フェティシズム的服装倒錯症(Fetishistic transvestism)」という項目(病名)があったが、2019年採択、2022年1月実効の第11版(ICD-11)では、完全に削除された。
つまり、現状、異性装は、国際基準的にParaphilia(性的逸脱)ではない。
そもそもの話、「超女性」的ファッションを身にまとっているDQが、女装者を「性倒錯」者呼ばわりするのは侮辱であり、とんでもない思い上がりだ。
公立の施設が刊行した『図録』に、なんの注釈もなく、こうした文言が掲載されているのは問題だと思う。
「細かいこと言うな」と言われると思うが、「性倒錯」という言葉が差別的な文脈で使われてきた歴史を考えると、安易な「性倒錯」認定は、公の場ではまずいと思う。
少なくとも、「現状、国際基準的に、異性装は性倒錯ではない」旨の注釈を付けるべきだ。
先ほど、担当者にメールで伝えた。
【追記】
早い話、ゲイが「超女性性」を身にまとうDQは「アート」で、ひっそりと女性の服飾をしている「ストレート」の女装者は「性倒錯」という思い上がった考え方に、ブチ切れた、ということ。
「目糞、鼻糞を笑う」とはこのことだ。
私は、差異化のために他者を貶めるというやり方が、大嫌いなのだ。
2022-09-24 02:52
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