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DQの方向性 [現代の性(性別越境・性別移行)]

9月23日(金・祝)

松濤美術館の『図録」掲載の文書で、DQは「主にクラブパーティーなどの場で、『やりすぎ』という手段により、ルッキズムを背負い込んだ近代女性のジェンダーそのものを、コスチュームやショーでパロディ化する様式のひとつ」(167頁)と定義されている。

私、これに引っ掛かった。

女性はルッキズムを「背負い込んだ」のではなく、「(男性によって)背負い込まされた」のではないか?と思うから。

だとすると、「究極的にデフォルメ」した「超女性性」を「ジェンダーへのパロディ」として、ゲイ男性が笑いのネタとするのは、ジェンダー構造的にいかがなものか?と思う。

「いかがなものか?」という言い方は、かなり遠慮しているわけで、本音としては、時代遅れであり、現代のジェンダー認識としては、ゾーニングされていない場では、するべきではないと思う。

今後のDQの方向性として、女性性への風刺・揶揄(それがしばしば女性嫌悪・蔑視に陥る)ではなく、『朝日新聞』の記事でシモーヌ深雪さんが言っているように「(異性装よりも)度を超えて、世間の常識からどれだけ逸脱するか(が重要)」というジェンダーの「超越」の方向にいくべきではないだろうか。


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