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トークセッション「Drag Queen in Japan ~異性を装うとは何か? 」のPP資料 [性社会史研究(性別越境・同性愛)]

9月9日(金)

10月9日の松濤美術館企画展「装いの力―異性装の日本史」スペシャル・トークセッション「Drag Queen in Japan ~異性を装うとは何か? ジェンダーとセクシュアリティの見地から~」のPP資料を作り始める。

司会の私は、前振りと大枠だけ作ればいいので楽。

あとは、シモーヌ深雪さんとブブ・ド・ラ・マドレーヌさんにおおいに語っていただく。

歴史事象的にいうと、日本でドラァグ・クイーンという形態が知られるようになったのは、ニューヨーク・ハーレム地区の「ドラァグ・ボール」(drag ball)に集まる黒人・スパニッシュ系のゲイ世界を記録したドキュメンタリー映画『パリ 夜は眠らない』(原題:Paris Is Burning、Jennie Livingston監督、1990年制作)。
パリ 夜は眠らない.jpg
日本公開は1992年11月の「GAY&TRANSSEXUAL/OUR LIFE」(六本木シネセゾン)。
私も、そこで見て、初めてDQの存在を知った。

この頃、現在美術家の古橋悌二さんの活動がある。
1984年、パフォーマンス集団「ダムタイプ(Dumb Type)」を結成。
1994年、映画「DIAMOND HOUR」に古橋が扮するDQ「ミス・グローリアス」が出演。
ミス・グローリアス(古橋悌二).jpg
古橋さんの活動は、日本におけるDQの起源として重要だが、1995年10月に逝去されたこともあり、広く知られることはなかった。。

次のエポックは、オーストラリア映画『プリシラ』(1994年制作)。
海辺の街シドニーに住む3人のDQが、オーストラリア大陸の中心アリススプリングのホテルで開かれるショーに出演するため、バス「プリシラ号」に乗って旅をする物語。
プリシラ.jpg
日本公開は1995年8月。
広大な砂漠とDQのド派手な衣装の対比が実に印象的で、かなり評判になった。

で、その翌年、1996年12月に、初の日本人DQの写真集(マーガレット、ルチアーノ、ホッシー)『DRAG』(デラフィック)が出版される。
DRAG.jpg

私が最初にDQに会った時。のは、その頃。
960308-2 (3).jpg
1996年3月、マーガレット小倉さんと。

つまり、日本におけるドラァグ・クイーンカルチャーの社会的顕在化は、1990年代前半から中頃(1992~96年頃)に進行したということ。

これが骨格で、あとは、シモーヌさん、マドレーヌさんに肉付けしてもらう予定。



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