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1950年代の性風俗雑誌の終刊と「悪書追放運動」 [性社会史研究(性風俗雑誌)]

2月7日(月)

「性文化雑誌」として順調な刊行を続けていた『あまとりあ』が1955年8月号で終刊になるのは、経営問題ではなく(ずっと黒字)、当時活発化していた「悪書追放運動」の標的にされたから、ということが、終刊号の座談会で語られている。

ほぼ同じ時期に、敗戦後の混乱期に出版された「カストリ雑誌」時代からの生き残りである老舗・性風俗雑誌の『りべらる』(1955年8月)と『デカメロン』(1955年3月?)が終刊を迎える。『風俗科学』も同時期に終わっている(1955年3月)。
1956年以降まで刊行が続いた性風俗雑誌は意外に少ない。
(『奇譚クラブ』は数少ない例外)

それらから考えると、「悪書追放運動」の影響は、私が思っていた以上に大きかったのではないか、と思えてくる。

ちなみに、私の世代は、街のあちこちにあった「悪書追放」の白い箱(ポスト)を知っている。
あれが、いくつもの雑誌を滅ぼすほどの影響力があったのか? ちょっと不思議な気がする。

1955年から始まる「悪書追放運動」と1960年くらいから顕著になる「東京浄化運動」は、時期的に連続するし、担い手もかなり重なっていて、一続きに見えるが、私は敢えて分けて考えようと思っている。

後者は2020東京五輪の時に思い出した人もいたが、前者は、現在ではほとんど忘れられている。

「悪書追放運動」は、少なくとも1955年の時点では、かなり苛烈な出版に対する弾圧(焚書)で、後者は風俗営業規制の側面が強く、出版への規制はそれほどでもなかったように思う。


「悪書追放運動」はキリスト教徒の鳩山一郎内閣の成立(1954年11月)を契機に、キリスト教の性規範が社会の前面に出てきたもので、「純潔教育」推進や「売春処罰法(案)」などと重なる部分が大きいと思う。
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