SSブログ

内心、穏やかでなかった思い出 [現代の性(性別越境・性別移行)]

12月6日(月)

今でこそトランスジェンダーの研究者が学会に出席することは、当然だし、珍しいことではない。
しかし、20数年前まではそうではなかった。

1999年10月の日本社会学会大会に参加しようと、会場の上智大学を訪れ、校門脇の守衛所で、待ち合わせの研究室の場所を尋ねたが、守衛さんが教えてくれない。
「どういう御用ですか」と尋ねられ「〇〇教授にお会いする約束で」と言っても信じてもらえなかったようで、「今日はいらしていません」(←嘘)と言われる。

あの時は、本当に帰ろうと思った。
シンポジウムの報告者なので、そうもいかず、ようやく通してもらった。

後で、守衛さんは、○○教授が飲み屋のツケを溜めて、その店の怪しいママが取り立てに来たと思って、ディフェンスしたのだ、という笑い話になったが、こちらの内心は笑い話じゃなかった。

これは、以前にも書いたような気がするが、2003年に国際日本文化研究センターの共同研究員になった時も「学問の殿堂である日文研にニューハーフが出入りするのは、学問・研究への冒涜だ。けしからん!」と真面目に言われたわけで、やっとなんとかなったのは00年代後半になってからだった。

私の場合、トランスジェンダーであることに加えて「水商売」出身だったことも、大きかったと思う。
とくにフェミニズム系の学会では、「水商売」キャリアがあることは、もしかするとトランスジェンダーであることより、受け入れられない理由として、大きかったのかもしれない。

結局は、トランスジェンダーである、「水商売」キャリアがある、まともな学歴がない、の3乗効果だったのだろうと、今になって思うが、当時はやはり辛かった。

だから、そうした時代に、実力を評価して、手を差し伸べてくださった先生たちには、今でも心から感謝している。
nice!(0)  コメント(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:[必須]
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

※ブログオーナーが承認したコメントのみ表示されます。