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トランスジェンダーの役割≒殺されても仕方がない人 [現代の性(性別越境・性別移行)]

11月29日(月)

記事を読んで思いだしたこと。

20年ほど前、どこかの講演で「映画や小説に出てくるトランスジェンダーの役って、犯人か被害者のどちらかなんですよ。被害者の場合も、必然性なく無意味に殺されちゃうみたいな」という話をした。
すると、聴いている人は呑気に笑っていた。
「それは仕方がないよね。オカマなんだから」みたいな感じで。

たとえば、どこかのバーに鉄砲玉が飛び込んできて拳銃を発射、でも下手くそでターゲットには当たらず、カウンターの中の女装のママに当たって死んじゃう、みたいな演出。
「そういう不運な目にあっても仕方ないよね、こういう人たちは」みたいな納得感が作り手にも視る側にも濃厚にあった。

トランスジェンダー的な人が、小説の中でどう扱われてきたか、というテーマは、けっこう資料(小説)を集めて、中には数少ないけど、女装者が犯人や被害者ではなく探偵役の小説も「発見」したのだけど、あまりにひどい設定のものが多く、嫌気がさして論考にしなかった思い出。

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「トランスジェンダー女性を描いた映画『片袖の魚』から考える。なぜ、「当事者の目線」が大切なの?」
「HUPP POST」 2021年11月29日 06時30分 JST
https://www.huffingtonpost.jp/entry/katasode-no-sakana_jp_61a2ffb4e4b044a1cc15edc5?ncid=other_twitter_cooo9wqtham&utm_campaign=share_twitter&fbclid=IwAR1qschEN9iHv54ODzzvrlu4Xs1KnTfbhSFPOQNpFg9RqjTzbUkFn29hQO8



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