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富山県の遊廓 [性社会史研究(遊廓・赤線・街娼)]

10月8日(金)

1 富山県の「遊廓」
ちょっと関りがあって、富山県の遊廓を調べ始めた。
例によって『日本遊廓一覧』(1929年)のデータ。
貸座敷指定地は13か所、県の大きさを考えるとやや多いか。

① 商工業の中心地・高岡の羽衣新地が最大規模だが、それほど抜けてはいない。
② 越中富山藩(前田分家)10万石の城下町・富山には遊廓がない。
③ 氷見・伏木・新湊・魚津などの港湾に中規模な遊廓が展開する。
④ 砺波郡などの農村部にも存在する。
⑤ 「新地」がほとんど。
⑥ 高岡の羽衣新地を除いて、1軒あたりの娼妓数は1~2人で、経営規模はきわめて小さい。
羽衣新地でさえ3.3人で大きいとは言えない。
ただしこれは芸娼妓の分離がなされているという建前の数字で、『全国遊郭案内』(1930年)22軒、180人という数字を参照すると、実態はその3倍ほどをイメージすすべきだと思う。

高岡市開発町  (羽衣新地) 20軒 66人(3.3) 高岡市 商工業
氷見郡氷見町  (有磯新地) 24軒 48人(2.0) 氷見市 港
射水郡伏木町  (玉川新地) 18軒 38人(2.1) 高岡市 港 越中国府
東蠣波郡出町  (新地)   27軒 31人(1.1) 砺波市 農村部
射水郡新湊町  (十銭町)  23軒 28人(1.2) 射水市 港
下新川郡道下村 (魚津新地) 23軒 27人(1.2) 魚津市 港
中新川郡滑川町 (常盤新地) 14軒 26人(1.9) 滑川市 港
西蠣波郡石動町 (福町新地) 16軒 23人(1.4) 小矢部市 農村部 北陸道宿場
西蠣波郡福光町 (末広新地) 15軒 18人(1.2) 南砺市 農村部
東蠣波郡井波町 (堀道新地) 14軒 17人(1.2) 南砺市 農村部・工芸
下新川郡泊町  (神田新地) 10軒 11人(1.1) 朝日町 港
婦負郡八尾町  (下町新地) 4軒 7人(1.8) 富山市 農村部
上新川郡東岩瀬町(常盤新地) 2軒 5人(2.5) 富山市 港 北前船の寄港地

2 高岡・羽衣新地
高岡城址の北北西約1kmの羽衣町にあった。高岡駅からは直線距離2km近くで「徒歩三十分」。
妓楼は高岡の中心街にあったが、1900年(明治33)の「高岡大火」の後、新開地に移転した「新地」である。
現在の地番は五福町。

現在の地図でも、ほぼ正南北のメインストリートの両側に3つずつ6つの方形地割が認められる。
広いメインストリートの一部には中央分離帯(現在は駐車場)が設けられている(昔は桜並木があった)。

『全国遊郭案内』(日本遊覧社、1930年)には、戦前は「揚屋(貸座敷業)が二十一軒」「娼妓は兼業で百八十人」と記されている。営業形態は芸娼妓の分離があまり進んでいない、いわゆる「二枚鑑札」的な形だったようだ。
『全国女性街ガイド』(渡辺寛、季節風書店、1955年)によると、戦後の「赤線」時代は、「三十二軒に百二十一名」とある。
規模は戦前とそれほど変わっていない。


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