宇佐美翔子さんの訃報 [訃報・追悼]
9月30日(木)
早朝、友人の宇佐美翔子さんが旅立っていった。
53歳だった。
月曜日、少しの時間だけど、Zoomでお見舞いができた。
その時、あと数日だろうと思ったが、その通りだった。
覚悟はしていたけど、涙が止まらない。
とても悲しいけどよく頑張ったと思う。
癌の再発の頃から、病状はかなり詳しく聞いていた。
6月頃に、パートナーの岡田実穂さんと「夏、越せるかな?」と話していた。
なんとか夏は越したけど、それが精一杯だった。
悔やまれるのは、再発後の治療がスムーズかつ適切にいかなかったこと。
それは、ひとえに青森の医療体制と意識の遅れに原因がある。
もう一度、いっしょに青森の街を歩きたかった。
少し待っててね。
また、帆立と海鞘を肴に、いっしょに飲もう(合掌)
身支度して、10時半、Zoomで翔子さんにお別れしてきた。
穏やかなお顔だった。
最後の最後に良いニュース(青森県における同性パートナーシップ制度の導入予定)を聞けて、なによりだったと思う。
LGBT活動家としての翔子さんは、青森の地に旗を立て続けた方だった。
旗を立て続けること(ブレずに主張をし続けること)の大切さを教えてくれた方だった。
偉大な活動家だった。
翔子さんの遺志は実穂さんはじめ若い人たちが受け継ぎ、きっと実現することだろう。
早朝、友人の宇佐美翔子さんが旅立っていった。
53歳だった。
月曜日、少しの時間だけど、Zoomでお見舞いができた。
その時、あと数日だろうと思ったが、その通りだった。
覚悟はしていたけど、涙が止まらない。
とても悲しいけどよく頑張ったと思う。
癌の再発の頃から、病状はかなり詳しく聞いていた。
6月頃に、パートナーの岡田実穂さんと「夏、越せるかな?」と話していた。
なんとか夏は越したけど、それが精一杯だった。
悔やまれるのは、再発後の治療がスムーズかつ適切にいかなかったこと。
それは、ひとえに青森の医療体制と意識の遅れに原因がある。
もう一度、いっしょに青森の街を歩きたかった。
少し待っててね。
また、帆立と海鞘を肴に、いっしょに飲もう(合掌)
身支度して、10時半、Zoomで翔子さんにお別れしてきた。
穏やかなお顔だった。
最後の最後に良いニュース(青森県における同性パートナーシップ制度の導入予定)を聞けて、なによりだったと思う。
LGBT活動家としての翔子さんは、青森の地に旗を立て続けた方だった。
旗を立て続けること(ブレずに主張をし続けること)の大切さを教えてくれた方だった。
偉大な活動家だった。
翔子さんの遺志は実穂さんはじめ若い人たちが受け継ぎ、きっと実現することだろう。
2021-09-30 23:56
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